ベンガル文学の翻訳にあたって
「現代インド文学選集」が完結してから、早くも3年半がたちました。この選集は、インドの代表的な言語で書かれた文学を直接翻訳紹介する初めての試みとして、画期的な企画だと思います。
私は、若い頃からベンガル文学の豊かさ・多様性に触れ、それを生きる糧としてきました。より多くの作品を日本の読者の手元に届けたい、という気持ちを抱きながらも、さまざまな理由から、いままでその思いを十分に果たせずにきました。
今回、めこんのホームページに、ベンガル文学の翻訳を連載する機会をいただけることになりました。これから月に2回のペースで、ベンガルの近現代作家の作品を、簡単な解題とともに掲載していきたいと思います。
連載に当たっては、ベンガルの自然と社会、そこに生きる人びとの多様性が、読者の皆様に具体的なイメージとして伝わるよう、努めます。楽しんで読んでいただければ、幸いです。
2020年10月12日 メルボルンにて
おばさん
おばさん 解題
ビブティブション・ボンドパッダエのこの作品は、前回掲載の「名優ジョドゥ・ハジュラの演技」と同様、彼の二つ目の短編集、『生と死』(1931)に収められています。
「おばさん」の結婚相手となる、気が触れた「ポレシュおじさん」は、ムクッジェ家の息子。また、ナレーターの少年パブー(正式名バニブロト、「言葉を尊ぶ者」の意)は、ガングリ家の息子。ムクッジェ(「ムカルジ」の口語形)、ガングリは、いずれもベンガルの高位バラモンの家系です。
パブーは、「ウパナヤナ」(ベンガル語では「ウポノヨン」または「ポイテ」)と呼ばれる、バラモンの入門儀礼を受けます。この時、バラモンになった印として、木綿の「ポイテ(聖紐)」を導師から授かり、左肩から右脇下にかけます。
また、ヒンドゥー教徒の、特にヴィシュヌ神を信仰する信愛派(バイシュナヴァ派)の間では、太陰暦の月齢11番目の日が、聖なる日と見なされ、この日に菜食を摂る習慣があります(「おばさん」がパブーのために調理する菜食のうち、「モホンボグ」は、セモリナ(荒い小麦粉)をバター油でいため、それにミルクや砂糖を加えて温め、さらにナッツや干し葡萄などを加えたもの。「ニムキ」は、小麦粉に塩を加えてバター油で捏ね、小さな菱形に切ってふっくらと揚げたもの。「コチュリ」は、小麦粉をバター油で捏ねて平らにし、その中にいためたジャガイモなどの野菜の具を包み込んで、揚げたもの)。
また、おばさんがしばしば行う、願掛け儀礼(ブロト儀礼)では、バラモンであるパブーが祭司を務め、おばさんはその見返りとして、パブーに、ポイテ(聖紐)と何某かのお金を喜捨します。
なお、作品の中に、「修行者ニマイ」と題する芝居が言及されています。ニマイは、信愛派の教えをベンガル中に広めた、中世の修行者チャイタニヤ(ベンガル語「チョイトンノ」、1486~1533)の、出家前の名前。最初の妻が蛇に噛まれて死んだ後、母の要請で、彼はビシュヌプリヤ(「ヴィシュヌ神に愛される女」の意)を娶ります。ニマイが24歳で出家した後、ビシュヌプリヤは、彼にまみえることなく、彼が残した木靴を礼拝しながら信仰生活を続けた、と伝えられます。
おばさん
ビブティブション・ボンドパッダエ
本格的な雨季が始まった。
昼も夜も、ポタポタ雨が降り続ける。
ぼくは、チョンディ・モンドプ [四方屋根・吹き抜けの、公共の集いの場] の露台の上にすわって、算数の計算をしていた。もうすぐ真昼時だった。雨が降らなければ、ビノド先生の授業は休みになるはずだった。でも、何てひどい雨だ。運が悪いことに、3日前から、ずっと降り続けだ。
その時、どこかから汚い身なりの人がやって来て、チョンディ・モンドプの正面の中庭に佇み、ぼくの方を見てクスリと笑った。今でも思い出す ―― 身体には汚れたベトベトのカミージュ
[緩い長袖の上衣]、裸足で、ボサボサの髪。年齢は、わかりようがなかった ―― 少なくともぼくには。
ぼくはその人を、見たことがなかった。というのも、この村が両親の村なのは確かだけれど、母方のお祖母さんがぼくを手放したくなかったために、ぼくはずっと、母方の叔父さんの家にいたのだ。ぼくがこの村に戻ってから、あまり日が経っていなかった。戻って来た時、ぼくは6歳になったばかりだった。
ビノド先生は言った ―― 「どうした、ポレシュ、元気かい?」
その人が中庭に立ったまま、雨に濡れているのを見て、ぼくは「上に来ませんか」と言いかけた ―― でも、ビノド先生はぼくを遮って言った、「何の用だい、ポレシュ?」
その人は、もう一度、何やら奇妙な笑いを、顔に浮かべた。この問いに対する答にふさわしい笑い方ではない ―― まるで、自分が褒められたので、遠慮がちに、恥ずかしそうに笑う、という風だった。まだ子供だったとはいえ、ぼくにも、その笑いが場違いのものだとわかった。
その人は言った ―― 「腹が減ったよ。」
ぼくの父方の従兄のシトルが、家の中からチョンディ・モンドプに出て来て、中庭の方に目を遣ると声を上げた ―― 「あれ、ポレシュ叔父さんじゃない? 今まで、どこにいたの?」
その人は、ただこう繰り返すだけだ ――「腹が減ったよ。」
シトルは、家の中に戻って、炒り米を器いっぱいに入れて持って来ると、その人のドーティーの前裾の中に、それを詰めてやったのだ。ぼくはびっくりして、その人は誰だろう、と思っていた。それに、シトル兄さんが、こんな風に敬意をこめて呼んでいるのに、すわるように言わないのはどうしてだろう、とも。とその時、その人は、とんでもないことを仕出かした。グルリと右回りに一回転すると、シトル兄さんがあげたムリを、一口食べただけで、その残りを中庭の泥の上に撒き散らしたのだ
―― そしてそれと同時に、意味不明の俚謡をひとつ、歌うような節回しで口ずさんだ ――:
たにし、たにし ぐーるぐる
神様のお米 手拭い 包んで
たにし、たにし ぐーるぐる
たにし、たにし ……
たにし、たにし ……
その人が、まだ俚謡を唱いながらグルグル廻っている時、ぼくの父方の2番目の叔父さん、ドゥルロブ・ラエが出て来た。威厳があって、ものすごく厳格な人だった。叔父さんは、チョンディ・モンドプの横の、中庭から家の中に通じる扉のところに立つと、大声を張り上げた
―― 「こんな真昼時に、騒いでいるのはどいつだ? あの気狂い野郎か? 炒り米をもらったくせに、なぜそんな風に撒き散らすんだ ―― 他に場所がないのか、こんなバカなことをする?」
こう言うと、近づいて、その人の頬をピシャピシャと何回か平手でなぐりつけ、その後、力任せに身体を突いて言った、「出て行け、ここから。もしまたこの扉から入って来たら、お前の骨を、粉々に砕いてやる。」
―― 頑強な叔父さんに力任せに小突かれて、痩せ細ったその人は少し遠くに突き飛ばされ、泥まみれの中庭に倒れそうになりながら、何とか持ち堪え、少し体勢を整えて佇むと、地面に一度、唾を吐いた
―― 血塗れの赤い唾を。
そうするうちに、ぼくらの家の幼い子供たちが、面白がって、中庭の扉のところに集まった ―― その人が突き飛ばされて倒れそうになるのを見て、彼らはケラケラ笑い声を上げた。
ぼくの胸は、その人に対する同情心でいっぱいになった。
ポレシュおじさんとの、これが最初の出逢いだった。
だんだんわかって来たのは、ポレシュおじさんがこの村のムクッジェ家の息子で、西インドのどこかに、職を得ていたこと。歳はまだ行っていない ―― たったの25歳にすぎない。でも、2年ほど前に急に頭がおかしくなり、仕事をやめて、そこら中、気狂いじみたことをしながらうろつくようになったのだ。彼の面倒をみる人は誰もいない。ムクッジェ家の男たちは、皆、ベンガルの外で仕事をしていて、この村には誰もおらず、気が狂った兄弟を自分のところに引き取ろうという気を起こす者も、これまでいなかった。気が狂ったおじさんは、腹を満たすために、他の家に物乞いして廻るのだけれど、毎日恵んでもらえるわけでもなく、時にはぶたれたり、殴られたりすることもあったのだ。
ある日、ぼくは川岸に、ひとり、鳥の雛を探しに行った。ある人が、野生のシャリク鳥の巣を、川の高い土堤のあたりに、たくさん見かけた、と教えてくれたのだ。さんざん探したけれど、巣は見つからなかった。
日が暮れかかってきた。木の高い枝の上方を見ても、もう陽光は見えない。川岸には、深い翳が差した。家に帰ろうとして見ると、川辺のチョトカ=トラの焼き場にある、村のプロッラド・コルの嫁が建てた小さなトタン屋根の小屋の中に、誰かがすわっている。
怖くなった。お化けじゃないだろうな?
少し近づいて、よくよく見ると、お化けではなくて、ポレシュおじさんだ。小屋の床に、焼き場に捨てられた一枚の古いゴザを広げ、その上に黙ってすわっている。
ぼくを見て、訊いた ―― 金を持っているか?
誰もがポレシュおじさんを怖がって、避けて通るのだけれど、ぼくは勇気を出して近寄った。だって、ポレシュ叔父さんは、それまで、人に殴られることはあっても、誰も殴ったことはなかったのだ。可哀想に、おじさんの背中は真っ赤に爛れていて、その傷痕には蠅がたかっている。傍にある土製の深皿には、豆スープとご飯が少し入っているが、それにも蠅がたかっている。
ぼくは言った ―― おじさん、どうして、こんな藪の中にいるの? ぼくの家に来ない? さあ、おいでよ、焼き場なんかに、いるもんじゃないよ ――
ポレシュおじさんは言う ―― ふん、これが焼き場だって? これは、おれの、居間なんだぜ。おれの家はな、あっちにあるんだ、二つ大きな部屋があってな。兄さんに2千ルピー払ったんだが、兄嫁と喧嘩になって、そのせいで、くれようとしない。喧嘩が収まったら、おれのものさ。5年も仕事をしたのに、金を貯めなかった、とでも思っているのか?
どんなにいろいろ気を惹こうとしても、おじさんは、死骸を載せていたゴザにすわったまま、動こうとしなかった。
このことがあってしばらくして、おじさんの母方の叔父一家が来て、おじさんをフグリ県に引き取った。
2年後、ぼくのウパナヤナ [バラモンの入門式] の日の饗応の場で、ポレシュおじさんが、バラモンたちの列にすわって饗応を受けているのを見た。おじさんの病気は、すっかり治ったのだと聞いた。母方の叔父さん一家が、彼をいろんな医者・伝統医に見せて、たくさんの治療費を払ったのだそうだ。
何て美しい容貌になったことだろう! おじさんがこんな美男子だったなんて、気が触れた状態で千切れたボロボロの服をまとい、泥や塵に覆われてうろつき廻るおじさんを見ていたせいで、ぼくは気がつかなかったのだ。力みなぎる細身の体型、輝くように白い肌、美しい顔。それを目にして、嬉しくなった。
しばらくして、ポレシュおじさんの大掛かりな結婚式があった。新嫁は、カルカッタのどこか裕福な家の、娘なのだそうだ! 夕方、大嵐になったせいで、花嫁花婿の到着は、夜の第一プロホル
[9時過ぎ] になった。灯りをつけて、花嫁を迎え入れる儀式があった。ぼくらは、アセチリン・ガスのランプに照らされた花嫁の顔を見て、びっくりした
―― ここらの地域で、こんな美しい娘を、今まで見たことがなかった。誰もが口を揃えて言った ―― まるで天女だ、ポレシュがこんな嫁を得ることができたのは、何生もの間、徳を積んだおかげだ、と。
式があってしばらくして、花嫁は実家に帰った。2ヶ月ほどして、また村に来た。
朝、ポレシュおじさんの家に遊びに行った。何かの休暇で、ムクッジェ家の家族は、皆、家に集まっていた。ぼくと同年代の子供たちも、たくさんいた。
新しいおばさんは、ベランダにすわって、野菜を細かく切っていた。裾が錦糸のサリーをまとっていた。ぼくらの学校では、その頃、学芸の神サラスヴァティー女神の像が作られていたが、ちょうどその女神像のように、美しい顔立ちだった。
ぼくらは、正面の中庭で走り回って遊んでいた。おばさんがそこにすわっていたせいで、ぼくは、その日は特に、いつもの倍も勇み立った。ありったけの、考えられないようなことを仕出かして、おばさんを喜ばせたくなったのだ。跳びはねたり、駈けずり廻ったり、大声をあげたり、どんなにいろんなことを、突然、やり始めたことか! 百人力を得たかのようだった。
その時、おばさんが、その家の男の子ネパルに訊いているのが耳に入った ―― あの色白の子は誰なの、ネパル? 綺麗な目をしているわね ――
ネパルは答える ―― 向こうの居住区の、ガングリ家の、パブーだよ ――
おばさんは言う ―― あの子を、ここに呼びなさいな?
嬉しさのあまり、ぼくの胸は、ドキドキが止まらなくなった。日向で走り回ったせいで、顔はもう赤くなっていたけれど、今や、恥ずかしさのあまり、顔はますます赤くなった。でも、何も恥ずかしがることなんて、なかったのに!
近づいて、まず初めに足塵を拝した。ポレシュおじさんの新嫁は言った ―― あなたの名前は何なの? パブー? 本当の名前は?
恥じらいとためらいの笑みを浮かべて、答えた ―― バニブロト ――
―― まあ、素敵な名前だこと。顔だけじゃなくて、名前も素敵なのね。勉強してるんでしょ? いい子ね。毎日ここに遊びに来るのよ。わかった?
その夜、嬉しさのあまり、ぼくはよく眠れなかったように思う。どこか天国の女神か御伽話の王女様が、自分から進んで、ぼくの友達になってくれたんだ。あんなに綺麗な姿、人間のはずなんか、絶対に、ないや!
その次の日から、ポレシュおじさんの家に、毎日行くようになった。どんな日も、朝も、昼も。おばさんと、どんなに仲良しになったことか! ぼくはその頃12歳、おばさんがいくつか、その時はわからなかったけれど、今思うに、18、9歳くらいだっただろう。
結婚した翌年、ポレシュおじさんが、外地の職場で、また気が触れたとの知らせが、村に届いた。おばさんは、その2ヵ月前から、実家にいた。気が触れたという知らせを聞いて、お父さんと一緒に、旦那の職場に行ったけれど、ポレシュおじさんは、すでにキチガイ病院に送られた後で、おばさんと会うことはなかった。おばさんのお父さんも、娘をキチガイ病院に連れて行って婿に会わせるのに、乗り気ではなかった。すべて事が片付くと、彼は娘を連れて家に戻った。
ポレシュおじさんの兄嫁は、その頃、子供たちを連れて、村の家にいた。彼女は、その2ヵ月ほど後に手紙を書いて、おばさんを村に呼び寄せた。おばさんが来たという知らせを聞いて、ぼくは、朝起きるとすぐに会いに行った。おばさんの表情や姿には、悲しみのどんな痕跡も見られなかった。昔と同じ笑みを湛え、顔は前のように綺麗で、その稲妻のような色には、これっぽっちの翳りも差していなかった。何と言う、愛情に満ちた眼差し。ぼくが足塵を拝すると、おばさんは、すぐにぼくの顎を手で支えて、笑顔でこう言った
―― あら、パブーじゃない、元気? 少し痩せたみたいね!
ぼくは笑顔で答えると、おばさんの前の床に、腰をおろした。そして言った ―― おばさんは元気なの?
―― この私に、元気もくそも、あるものですか。そんなこと、聞かないで、パブー!
ポレシュおじさんが、気が触れたことを思い出して、おばさんのことを気の毒に思った。可哀想な、おばさん!
おばさんは言う ―― もっと私のそばに、おすわりなさいな、パブー。パブーは、私のことを好きなのよね
―― そうでしょ?
ぼくは肩を左右に揺すって、すごく好きなことを伝えた。
―― 私も、カルカッタにいると、パブーのことを、すごく思うのよ! パブー、この村では、誰も、あなたのように、私を好きじゃないの!
恥ずかしさのあまり、顔を赧らめ、笑みを浮かべたまま黙っていた。13歳の子供に、どんな言葉が思い浮かぶと言うのだろう!
――カルカッタを見たことがあるの、パブー?
――ないよ。誰も連れて行ってくれないもの。
――わかった、今度私がここから行く時、一緒に連れて行ってあげましょう。そう、私の家に行って泊まるのよ。いいでしょ?
――おばさん、いつ行くの? スラボン月[7月半ば〜8月半ば]? いや、もうしばらくここにいてよ。今は行かないで。
――どうしてなの?
笑みを浮かべ、おばさんの顔の方を見ないままに言った ―― おばさんがいてくれると、すごく嬉しいんだもの。
新しくバラモンになったばかりなので、その頃はまだ、十一夜目の菜食のしきたりを守っていた ―― ウパナヤナが終わって、1年以上経っていたにもかかわらず。十一夜になる度に、おばさんは、ぼくを招いてご馳走してくれた。手ずから調理したものを、ぼくのためにとっておいてくれた。モホンボグのこともあれば、ニムキやコチュリのこともあった。夕方遊びに行くと、ぼくを側にすわらせて、その心尽くしの料理を食べさせてくれた。それから、おばさんはいろんな種類の願掛け儀礼をしたけれど、そんな時、祭司役を務めるのは、このぼくだった。ポイテ(聖紐)とお金が、どんなにたくさん、ぼくのちっぽけなブリキ缶の中に、溜まったことだろう。
ぼくのほうも、暇さえあれば、おばさんのところに駆けつけたものだった。屋上の片隅にすわって、おばさんと、どんなにいろんな、他愛ないおしゃべりをしたことか。本を読んで聞かせたりもした。おばさんは読み書きがよくできたけれど、それでもこう言ったものだ
―― パブー、読んで聞かせてくれる? 私、あなたが読むのを聞くのが、とても好きなの! あなたの声、とっても綺麗だから ――
ぼくらの村では、その頃、有志の企画で「修行僧ニマイ」の芝居があった。芝居の中で、ビシュヌプリヤの歌の一つがとても素敵だったので、ぼくはそれを覚えた。けっこううまく、歌うこともできたのだ。
主よ、この目にて まみえること 決して能わず ――
ただひたすら この胸の 内にて まみえん。
わが夜の 夢の中に 来たりたまえ、
はかなき眠りの 覆いの下に。
おばさんは、よくぼくに言った ―― パブー、あの歌を、歌ってくれない?
でも、村人の多くは、おばさんを目の仇にしていた。
ぼくの耳にも、そうした悪口が、聞こえて来た。
ラエ家の一番上のおかみさんが、こう言うのを、一度聞いたことがある ―― まったく何てこと! カルカッタかぶれの、仕出かしそうなことね。旦那がキチガイ病院にいるっていうのに、よくもまあ、あんなに髪を飾り立てて、前髪を小粋に分けて、どこから一体、あんな楽しそうな笑いが、出てくるのかしら! 思わせぶりたっぷり、まあ綺麗な色の、サリーだこと! ――
まったく、いやらしいったらありゃしない ―― でもね、どうせ私たち、時代遅れの婆あですからね、カルカッタのファッションなんて、縁がないっていうものよ。
似たような言葉を、他のいろんな人の口からも聞いた。
そんな連中の鼻を、へし折ってやりたかった。喧嘩をふっかけて、こう言ってやりたかった ―― いいや、お前たちなんかに、わかるものか。おまえたちの話は、全部、嘘っぱちだ。おまえたちなんかより、おばさんの方が、ずっといいんだから
―― ずーっと、ずーっといいんだから!
でも、こんな噂をするのは、皆、村社会のお偉方で、歳もぼくよりずっと上だ。だから、黙っているしかなかった。
おばさんの貌、顔かたちを、こんなに歳月の経った今、すごくはっきり覚えていると言うわけではない。ただ、おばさんの、ある一日の、輝くばかり好奇心に溢れた素晴らしい笑顔が、ぼくの胸に深く刻まれているのだ。その顔を思い出す時、19か20の、めずらし物好きの、笑みに満ちた美しい娘の姿が、目の前にくっきり浮かんでくるのだ。
その頃、ぼくらの村に、どこからか、イナゴの大群が押し寄せて来た。ありとある木、竹藪、ワサビノキの木叢、薮という薮を、イナゴが覆い尽くした。おばさんとぼくは、屋上に立って、この光景を見ていた
―― 二人のどちらも、それまで、イナゴの大群を見たことがなかったのは、言うまでもない。おばさんは、突然、驚きと好奇心を露わにして、指差しながら言った ―― ねえパブー、ほらほら、見てごらん
―― ラエ家のインド栴檀の木に、一枚も葉っぱが、ついていないわ、幹と枝だけよ、こんなの、見たことがないわ ―― あら、あら!
こう言うと同時に、面白がってはしゃぐ小娘のように、ケラケラ笑い始めたのだ。ぼくが覚えているのは、その時のおばさんの、その笑顔なのだ。
雨季が終わり、秋になった。ぼくらの川の両岸は、ススキの白い花が、輝くばかりに咲き誇っている。空は青く、白く軽やかな雲のかけらが、バダムボニの川洲の方から漂って来る。それは村のシャエルの舟着場の上を通り、ギリシュ叔父さんの広大なマンゴー果樹園の上を通り、シュボロトノプルの原の方へ、いずこともなく流れて行く
…… 裕福な金貸し商人たちが、キスティ川を通って行き来を始め、計量を生業とする者たちは、稲の量をはかるのに、昼夜忙しい。
おばさんは、ぼくらの村に残った。ポレシュおじさんも、キチガイ病院から出て来なかった。おばさんたちの家には、おばさんの義理の姉妹の甥に当たる人が、ドゥルガ女神の祭祀の時節にやって来た。名前はシャンティラム、歳は24、5、見てくれは悪くない。短期間だけ遊びに来たはずだったのに、どうしてまた、親戚の家に居座ったまま、動こうとしないのか、どこかに出かけても2、3日で戻って来て、またしばらくその家で時を過ごす ―― その理由が、ぼくにはよくわからない。ただ、耳に入って来るのは、この男の名前とおばさんの名前を抱き合わせた悪い噂が、村人の間に広がっていることだ。ある日の昼過ぎに、おばさんの家に行った。家の裏手の縁台、パパイアの木蔭にある窓際におばさんがすわっていて、シャンティラムはその外側の縁台に立ち、窓に嵌め込まれた鉄の格子を掴みながら、ひそひそ声で、何か一心に、おばさんとしゃべっていた。ぼくを見ると、不快を露わにした声で言った
―― 何だい、パブー、真っ昼間から、うろついているのか? 勉強はどうした? さあ、とっとと行くんだ ――
ぼくはシャンティラムに会いに来たんじゃない、おばさんのところに来たんだ。でも、ぼくががっかりしたのは、おばさんがそれに抗議して一言も言わなかったことだ。ぼくはすぐさまおばさんの家を離れた。おばさんに対してものすごく腹が立った
―― 何か一言でも、言ってくれて、よかったんじゃないの?
このことの後、おばさんの家に行くのを、まったくやめたわけではないけれど、行く回数を減らした。行ったって、おばさんが相手にしてくれることは、あまりない。近頃では、シャンティラムが、時を選ばず、屋上や屋上の小部屋にすわって、おばさんとおしゃべりをしている
―― ぼくが行くのを、それほど喜んでいる様子もない。おばさんの方も、シャンティラムが何か言うと、それに対してあえて口を挟むことは、できない様子だ。
おばさんの名前で、村のあちらこちらでいろんな噂が飛び交うのが、毎日ぼくの耳に入る。気づいてみると、このことについて、ぼくは、おばさんには何の怒りも抱いていない。怒りはすべてシャンティラムに向けられている。彼は色白で、確かに都会風と言ってもいい洗練された話し方で、身なり服装も洒落ていたけれど、もしかすると、その彼の整いすぎた身なりのせいか、あるいは都会風の喋り方のせいか、あるいは彼が、しょっちゅう紙巻きタバコを吸っているせいか、ぼくは最初から、この男を毛嫌いしていた。何だか胡散臭い、と思えたのだ。
ある日、チョウドゥリ家の池岸の、階段横に張り出した石作りの露台の上で、ショルボ・チョウドゥリとカリモエ・バルッジェが、何か話していた ―― ぼくは小魚用の釣竿を持って、池に魚を捕りに行ったのだ
―― そのぼくを見ると、彼らは話を中座した。ぼくが石段を降りて、魚を釣るために池の縁にすわると、ショルボ・チョウドゥリは言った ―― あのちび助、また来やがった。
カリモエ叔父は言う ―― 構うもんか。やつはまだ、子供だよ。何もわかりゃしないよ。
ショルボ・チョウドゥリは言う ―― さて、これからどうするか、だ。何とか始末をつけなきゃならん。村の中でこんなことが起きるのを、ほっとくわけにはいかん。皆で集まって話し合わねば。ポレシュの嫁の噂が、ここまで広がっては、とても黙ってはいられん。ノレシュの職場宛に、手紙をひとつ、書かなきゃならんし、それに、あの、シャンティラムの野郎
―― やつも処罰せねばならん。
カリモエ叔父は言う ―― 処罰がどうのこうの、じゃなくて、やつに、この村から出て行くよう、言うんだな。もし出て行かないなら、身の程を知らせてやれ。ノレシュが、わざわざ職場を離れて、親戚の男を懲らしめに、来ると思うか? やつが家にいない以上、わしらが後見人だよ。
ショルボ・チョウドゥリは言う ―― 嫁の方も、すっかり、調子に乗っていると聞くが。
カリモエ叔父は言う ―― どうも、そうらしいな。歳が歳だし、おまけに、旦那があのざまだ。
カリモエ叔父が、ぼくのことを、どんなにバカだと思ったか知らないが、ぼくには、何もかも筒抜けだった。おばさんに対する怒りは消し飛び、もしかしたら、叔父さんたちが、おばさんに、何かひどいことを言ったり、侮辱したりするかもしれない、と思った。このことをおばさんに知らせて、気をつけるよう伝えた方がいい。でも、すぐにこうも思った
―― こんなこと、とてもおばさんに言うことはできない。絶対に。
シャンティラムに対して、ものすごく腹が立った。どうしておまえ、この村に来て、他人の家庭の平安を、ぶち壊そうとするんだ? 自分の故郷に、どうして戻ろうとしないんだ? こんなにダラダラ親戚の家に居座って、よく、恥ずかしくないな!
この後しばらくして、ぼくは、村を離れることになった。父方の叔父の家に寄宿して、そこから学校に通うために。
村を去る前に、おばさんに会いに行った。母さんと別れるのが辛いのと同じくらい、おばさんと別れるのが辛かった。
おばさんは、ぼくに、優しくこう言った ―― パブー、よく勉強するのよ。あなた、どんなに立派な学者先生になって、どんなに立派な職に就くことでしょう! それでも、おばさんのこと、忘れないでくれるかしら?
はにかみながら、答えた ―― ずっと覚えているよ。ぼく、忘れないよ、おばさん。
おばさんは、すぐさま歩を進めてぼくのそばに近寄ると言った ―― 本当に、絶対、忘れないって言える、パブー?
強い口調で答えた ―― ぜーったい、忘れないから。
答えてすぐ、おばさんの顔を見遣ると、おばさんは目に涙を浮かべて、しかし笑顔のまま、ぼくの方を見つめていた。
本当のことを言うと、村を去るのは、ものすごく嫌だったのだ。父さんのきつい命令だった。どんな恐ろしい危険が襲おうとしているのか、わかっているのに、ぼくはおばさんを見捨てて、行こうとしている
―― ぼくの心は、そう告げていた。
でも、たとえ村に残ったとしても、ぼくみたいな子供に、いったい、何ができたと言うのだろう? 数ヶ月後、夏休みに家に帰って聞いたところでは、マーグ月[1月半ば〜2月半ば]に、シャンティラムがおばさんをどこかに連れ去った、とのことだった。誰も彼らの行方を探そうとはせず、しかるべき気遣いを見せようともしなかったのだ。
おばさんの歴史は、ここまでだ。その後、一二度、おばさんの消息が得られなかったわけではない。たとえば、ぼくが8年次の時、ぼくらの村の誰彼が、チャクドホへ、ガンガーの沐浴に行った時、おばさんを見かけたと聞いたことがある
―― いい服を着て、身体中を装身具で飾っていた、等々。さらに一度、ぼくが10年次の時、村に広がった噂によれば、カンチュラパラの市場で、村のオムッロ・ジェレの母さんか義理の叔母さんが、おばさんに出会った。その時、おばさんのあの美貌は失せていた
―― シャンティラムは、おばさんを捨てて、姿をくらましたのだ、等々。
こうした噂を聞いたのは、おばさんがいなくなって、6, 7年後のことだ。でも、こうした話に、どれだけの信憑性があるのか、ぼくにはわからない。ぼくには、おばさんが村を去ってからというもの、誰かがどこかでおばさんに出会ったとは、とても思えない。
もういいだろう、この話は。ごくありきたりの出来事だ。あらゆる場所で、繰り返し起きてきたことだ。何か目新しいことがあるかと言えば、そんなものは、何もない! でも、ぼくの心とおばさんの歴史との関係は、そんなにありきたりではない。本当に言いたいのは、そのことだ。
大きくなって、カレッジで勉強して、カルカッタに来た。少年の頃の数知れぬ友情、抱きつきたくなるような情愛は、新たに得た友人の洪水に遭って、いったいどこに、消え失せてしまったことだろう! でも、おばさんのことを、ぼくは忘れなかった。このことを知る者は誰一人いない
―― カレッジの休みで村に帰る時、ノイハティやカンチュラパラの駅に汽車が止まる度に、こうした場所のどこかにおばさんがいるかもしれないと、何度思ったことか。汽車を降りて捜したことがないのは確かだが、本当に息苦しいまでに、おばさんのことを思ったのだ。カルカッタの売春宿とおばさんに、何らかの結びつきがあると思うことは、どうしてもできなかった。なぜそうなのかわからないが、たぶん、子供の時に、カンチュラパラやチャクドホでおばさんを見たという噂が広がったために、こうした地域とおばさんとの結びつきが、ぼくの心の中に根付いてしまったのかもしれない。
でも、なぜ汽車を降りて、捜そうとしなかったのか、それには理由がある。誰かがぼくの心に、おばさんはもう生きていない、と告げたかのようなのだ。おばさんが年端も行かないうちに、無知のために犯してしまった過ちの重みを、神様は彼女に、永遠に背負わせることはなさらなかったのだ
―― 世知にたけていなかった若いおばさんの肩から、その重荷を下ろしてあげたのだ、と。
学校、カレッジでの時代を終えて、さらに歳をとり、家庭を持った。どんなに多くの新しい愛情、新しい顔、新しい知己を得ながら、人生を歩んだことか。どんなに多くの、昔日の甘い甘い笑みが、薄れゆく記憶の中で終わりを告げ、それに代わって、どんなに多くの新たな顔の新たな笑みに、新たな日や夜が、輝きわたったことか。人生とは、そうしたものだ。むかし、この人と会わなければとても生きていられないと思っていた人の追憶が、次第にどこかに沈んでいき、ついにある日、その人の名前すら、覚えていないことに気づく。
でも、心の歴史のこうしたゴタゴタの中でも、おばさんの記憶は、長い歳月、生きながらえている。幼い頃、おばさんの許から別れを告げた時、決して忘れないと誓ったのだったが、子供心の、この単純な真心のこもった言葉の重みを、神様は尊重してくださったのだ。
どうしてそれがわかるか、説明しよう。ぼくらの村からおばさんがいなくなったのは、遥か昔のことだ。イナゴの群れは、その後、村にやって来なかった ――
でも、ラエ家のインド栴檀の木は、まだ残っている。そんなに前のことではない ―― たぶん、昨年のマーグ月だったと思う ―― ラエ家の土地について、何か用があって、シタナト・ラエと、必要書類について語り合っていた時だ
―― 不意にインド栴檀の木が目に留まり、何やら気もそぞろになってしまったのだ。長いこと、この界隈に来たことがなかった。子供の頃の、あの、インド栴檀の木 ―― 次の瞬間、奇妙なことが二つ起きた。26年前の、ある、笑みを浮かべた娘の、好奇心と喜びに溢れた顔が浮かび、自分でも気づかぬうちに、胸は、一種得も言われぬ苦痛と悲しみに満たされ、書類についての話し合いに、何のやる気も起きなくなったのだ。そして気づいたのだ、ぼくはおばさんを、まだ忘れていないのだと!
歳を取った今、ようやく気づいた ―― おばさんは、その時、まだ、たったの18、9歳だったのだ! 何て幼かったことだろう!
人間の心に、人間は、このように生き続けるのだ。この26年間の間、木々に挟まれた小道を通って、いったい何人の新嫁が村に来、村から去っていったことだろう
―― でも、26年前の、ぼくらの村の、あの忘れ去られた不幸な若い嫁は、今なお、村の中に生き続けているのだ。
名優ジョドゥ・ハジュラの演技
名優ジョドゥ・ハジュラの演技 解題
前回ビブティブション・ボンドパッダエの「チョンディ女神になった新嫁」を掲載してから、1年半近く、間隔があいてしまいました。やや不定期になると思いますが、今月からまた、連載を再開いたします。
今回掲載する作品は、ビブティブション・ボンドパッダエの二つ目の短編集、『生と死』(1931)に収められています。原題は「ジョドゥ・ハジュラとシキドヴァジャ」ですが、わかりにくいので、上のように題を変えました。村の少年(ナレーター)と壮年の芝居役者ジョドゥ・ハジュラの出会い、そして少年が成長して後の、老いたその役者との交流。物語の背景には、20世紀初頭のベンガルにおける、芝居・演劇の変遷の歴史があります。
この作品には、ジョドゥ・ハジュラが主役を演じる二つの芝居の場面が登場します。最初の芝居はナラ王とダマヤンティー妃の物語。二つ目はシキドヴァジャ(ベンガル語:シキッドジュ)王とマドゥチャンダー(ベンガル語:モドゥチョンダ)妃の物語。
ナラ王とダマヤンティー妃の物語は、『マハーバーラタ』第3巻(森林の巻)の中の挿話で、たいへんよく知られた恋愛譚です。(岩波文庫『ナラ王物語』(鎧淳訳)参照。)この作品に出てくるのはダマヤンティーの婿選びの場面です。白鳥を通してナラ王の存在を知ったダマヤンティーは、ナラ王に恋い焦がれます。いっぽう、ダマヤンティーの美貌と美徳を知った四柱の神々は、ダマヤンティーの婿になろうと婿選びの場に出向き、ナラ王の姿をとってダマヤンティーを欺こうとします。ダマヤンティーは、神々の正体を見抜き、四柱の神々をさしおいて、ナラ王を婿に選びます。しかし、その後、ナラ王は、彼に嫉妬するカリ魔王に取り憑かれ、王国を失い、数々の苦難に見舞われることになります。
もう一つの芝居の主人公、シキドヴァジャ王については、『マハーバーラタ』にはヴィシュヌ神の信者として名前が出てくるのみ。マドゥチャンダー妃については不明です。おそらくこの物語は、後世が芝居用に脚色して作り上げたものと思われます。
また、作品の最後に、ジョドゥ・ハジュラの師匠ブリグ・ショルカルが、「気が触れたライ」の演目でアエン・ゴーシュに扮した、との一節があります。「ライ」は「ラーダー」の口語形。また、アエン・ゴーシュはラーダーの夫。「気が触れたライ」は、クリシュナへの愛に狂った人妻ラーダーを描いた演目と思われます。
なお、作品の初めのほうに、「トッパ」、「ケウル」という二つの歌謡のジャンルが言及されています。カルカッタで、19世紀初頭に新興の富裕階級が出現した時、その娯楽のために発達した歌謡のジャンルです。いずれも、時に卑猥な内容を含む世俗的な恋愛を中心テーマとしており、「トッパ」のほうがより洗練されたスタイルを持っています。
名優ジョドゥ・ハジュラの演技
ビブティブション・ボンドパッダエ
おそらく今日(こんにち)、読者の皆さんの中に、ジョドゥ・ハジュラの名前を聞かれたことのある方は、あまり多くないだろう。
ぼくらが子供の頃は、しかし、ジョドゥ・ハジュラと言えば、知らぬ者とてなかったのだ。南は24ポルゴナ県から北はムルシダバド県、また、西はボルドマン県から東はクルナ県に至る間の、定期市ないし常設市場で、同好の士たちの企画による大掛かりな田舎芝居が上演された時には、その催しの場所から何十キロも離れた場所に至るまで、ジョドゥ・ハジュラの名は、口伝えで遍(あまね)く広まった。その名を聞けば、木偶(でく)人形さえ、目を見開いたものだ。「ナラ王と王妃ダマヤンティー」の物語で、ナラ王に扮したジョドゥ・ハジュラの姿を、ご覧になったことはないだろうか? もし、見たことがない方がいるとすれば、その方は、人生の多くの良きものの中で、とりわけ良きものを一つ、見逃したことになる。
ぼくは見た。
ぼくの子供時代の人生において、それは、まことに瞠目すべき一日だった。その頃、ぼくの年齢は、11歳くらいだったろう。ぼくらの村出身の、ある結婚したての嫁が、実家に何か用があるというので、ぼくがその舟旅に付き添って、彼女を実家に送り届ける役目を担うことになったのだ。
ポウシュ月[12月半ば〜1月半ば]。厳しい寒さだった。その嫁は、村の姻戚関係ではぼくの目上に当たる。年齢も三、四歳年上だ。道中、二人で噂話を交わしながら時を過ごした。彼女の実家に着いてから、ぼくはしかし、いささか困った状態に陥った。とんでもなく大きな家で、祭りのためにそこら中から親戚縁者の群れがやって来ていたのだが、その中に、都会育ちの、狡賢いませた男の子が二人いて、それがぼくのひどい頭痛の種となったのだ。他にもたくさん男の子がいたのに、なぜ彼らが、よりによってこのぼくをからかうのをあんなにも面白がったのか、今でもぼくにはよくわからない。
そのうちの一人は、15歳くらいだったろう。色白で痩せぎすで、絹のパンジャビ[緩い上着] を着ていた
–– ジョティンという名前だった、その名は今でも覚えている。彼はぼくに聞いた –– 何年生だい?
—— 五年生。
—— 「くしゃみ」マイナス「咳」はいくつになるか、言ってみな?
質問を聞いて、ぼくは唖然とした。
ベンガル語学校に通っていたので、「マイナス」の意味を、その時、知らなかった。それに、何て奇妙な質問だろう! ぼくが黙りこくっているのを見て、彼はすぐに次の質問を浴びせた —— 「ホブゴボリン」の意味は?
学校で英語のレッスンがあったのは確かだが、「シュシルとシュボド・アブドゥル」、「門衛と漁師」、「カイコガと絹」がせいぜいだ。そんな教材の中に、この奇妙な単語は出てこない。恥ずかしさに顔を赤らめながら言った
–– わかんないよ。
だが、それでも容赦なかった。神はその日、ぼくが人間社会におけるまったく劣悪な存在であることを証明するために、ジョティンを彼らの家に遣わしたに違いない。彼は両手の指をぼくの前に広げて見せて言った —— バナナがこれだけで 1パイサだとしたら —— そしたら、バナナ 5本の値段は、いくらだ?
ぼくはしょげ顔のまま、彼の両手に何本バナナが載るだろうか、と考えていた。彼はケラケラ笑うと、学者先生のように肩を左右に揺すぶり、ぼくが五年生の授業で得た知識の下らなさを、証明して見せたのだ。
それからというもの、ぼくは彼を怖れて、避けて通るようになった。年齢もぼくより上だし、町の英語学校に通っているのだし、友達になる必要がどこにある? それに、家の外の十字路に突っ立ったまま、ぼくはいったい、どれだけの屈辱に耐えなければならないんだ!
でも、ぼくにどんな悪さをしようとも、彼はぼくの人生に、大きな恩恵をひとつ施してくれたのだ —— そのことを、ぼくは永遠に感謝している。彼はぼくに、ジョドゥ・ハジュラの演技を見せてくれたのだった。
日が暮れる少し前に、彼はぼくに言った —— おい、おまえ、何て名前だったっけ、ラジゴンジュの市場で芝居の公演があるんだが、見に行くか?
ラジゴンジュは、そこから 9キロほどの道のりだ。歩いて行かなければならない。でも、芝居を見に行くと聞いて、ぼくはすっかり舞い上がってしまい、彼に同行してその長い道のりを過ごすのに伴う苦痛のほうは、まったく頭に浮かばなかった。
だが、歩いている間中、ジョティンと、彼と同年代の悪ガキ仲間たちは、卑猥な会話や歌で、ぼくをすっかりいたたまれなくさせたのだ。ぼくが育った家の環境はと言えば、父も母も父方の叔父も、みんな信愛派の慎(つつ)ましやかな性格だった。ぼくとそれほど年齢が離れていない男の子たちが、こんなえげつないトッパ歌謡やケウル歌謡を歌うのを聞いて、ぼくのやわな子供心の道義心は、苦痛を募らせていった。
彼らはしかし、ラジゴンジュの市場に着くと、ぼくを完全に放ったらかしにした。そこの未知の人海の中に、ぼくを一人置き去りにして、彼らはどこかに姿をくらましてしまったのだ。ぼくは、彼らの行方を尋ねることすらできなかった。
芝居が始まるのは、たぶん、夜が更けてから。やっと日が落ちたばかりで、だだっ広い公演会場には、たくさんの吊りランプが下がっていた —— 竹格子には赤と青の紙製の花輪と花、会場の周りは柵で囲われていた。柵の中は、由緒正しい方々のすわる場所らしい
—— その外が、「卑しい連中」の場所なのだ。
父さんと一緒にラジゴンジュの市場に来たことが、それまでに二三度、なかったわけではない。でもそこには、ぼくが見知っている人もなければ、ぼくを知る人もなく、ぼくのようなチビに、柵の中の場所を提供してくれるなんて人は、どこにもいない。ぼくもまた、その中に潜り込む勇気はなかったので、外の「卑しい連中」たちの群の中で押し合いへし合いしながら、煉瓦を尻に敷いてすわろうとしたのだ。だがそれすら許されなかった
—— 公演主催者側の係員たちがやって来て、ぼくらをその場所から追い払い、そこに名士たちのためのベンチを運び込んで、並べたのだ。それで、別の場所に行ってすわったのだが、しばらくすると、そこでもまた同じことが起きた。さんざん苦労して、ようやく会場の隅のほうに、立ち見できる場所を何とか確保した。「卑しい連中」たちは、みんな、どんなに苦労したことだろう! 彼らは、ほとんどが無学な下層農民で、その多くは、10キロ 20 キロも離れた村から、芝居を見ようと、たいへんな意気込みでやって来たのだ。でも、こんな寒さの中なのに、彼らはどこにもすわる場所が得られず、また、誰も、彼らがすわれるよう取り計ろうとしない。駅長、倉庫管理長、書記、郵便局長等々の名士たちのために場所を確保しようとして、皆が大忙しなのだ。
芝居が始まった。ナラ王とダマヤンティー妃の物語だ。少し経って、ナラ王に扮したジョドゥ・ハジュラが舞台に現れるや —— 当時は拍手する習慣はなかった
—— 四囲はハリ神の御名を讃える声でどよめいた。あの広大な公演会場が、呪文にかかったかのようにしんと静まり返った。
ぼくはそれまで、ジョドゥ・ハジュラの名を聞いたことがなかった ——
これが初めてだったのだ。魅入られたように見つめていた。色黒の好男子。歳は 30 か 50 か —— まだ幼かったぼくには、判断がつかなかった。だが、何と言う台詞回し、何と言う表情、何と言う身振り手振り! 11年の人生の中で、こんな演技を、ぼくはそれまで、見たことがなかった。人混みの中にいる苦痛は忘れた。何も食べずに来たので、ひもじさのあまり、お腹の中が熊ん蜂で刺されたようになっていたが、それすら気にならなくなった。芝居がひけたら、こんな夜更け、この寒さの中、見知らぬ場所にたったひとりで、いったいどこに行ったらいいのか
—— そんな心配事さえ、頭の中から消し飛んだ。
四体の神々が四人のナラ王の姿をとって、ダマヤンティーの婿選びの場に現れた時、本物のナラ王役のジョドゥ・ハジュラは、驚愕に打たれたまなざしで四囲を見渡して言う : ––
何なのだ、これは! 我が四囲に ——
我と違わぬ貌の、ナラ王が四人(よたり)、
我と違わぬ風体で
座しておる、この集いの場に ——
判らぬ、何のまやかしの罠か。
守護神よ、
我が望みを叶えたまえ、
まやかしの罠を、散り散りにしたまえ。
まさにこの時、婿にかける花環を手に、ダマヤンティーが集いの場に入って来る。ナラ王はすぐさま口を開く : ––
ダマヤンティー、ダマヤンティー、
思い起こせよ、白鳥の告げし、
かの喜びの言葉を? これこそ、我、ナラ王、
柱の傍に、控えし者。 ——
他の四人も、それと同時に、声を合わせて言う、
ダマヤンティー、ダマヤンティー、
思い起こせよ、白鳥の告げし、
かの喜びの言葉を? これこそ、我、ナラ王、
柱の傍に、控えし者。 ——
本物のナラ王の、その呆然としたまなざし!
その後、王国を失い、従者も富もなく、気が触れて森から森へと渡り歩くナラ王の、何と言う哀れな、心打つ姿! はるか昔のことだというのに、ジョドゥ・ハジュラのその類稀な演技は、今でも忘れることはできない。その夜、何度陰で、涙を拭ったことか。まわりの人がぼくが泣いているのに気づかないよう、何度、くしゃみするフリをして、シャツで顔を覆い隠したことか。芝居は夜明け前に終わったのだが、次の日もまた芝居があると聞いて、ぼくは家に戻らなかった。店で少しばかりつまみ食いをして、何とかその日を凌いだ。夜、再び芝居があった
—— シキドヴァジャの物語だった。ジョドゥ・ハジュラがシキドヴァジャに扮したのだが、これこそ彼のはまり役、とのことだった。この役を演じて、ジョドゥ・ハジュラは会場を狂喜乱舞させた。その一夜の演技のために、彼は金銀のメダルを四、五枚手に入れた。芝居が終わった時は、もう、夜明け間近だった。会場にあるベンチに横になって残りの夜を過ごし、朝になってから、ひとりで自分の村に戻った。
その後、数年が過ぎた。ぼくは少し成長した —— 町の上級学校に入学したのだ。ジョドゥ・ハジュラのことは、誰彼の口から、よく耳にした。芝居の一座の話になるたびに、一座の中に、ジョドゥ・ハジュラに並ぶ役者はない、と、誰もが口を揃えて認めたのだ。
ぼくは、でも、長いことジョドゥ・ハジュラを見ることがなかった。それにはたくさんの理由があった。
ぼくが寄宿していた学校の寮は、故郷の村から遠く離れた町にあった。勉学で頭がいっぱいで、その決まった日課のために、日々の生活は完全に束縛されていた。代数の計算、幾何の宿題、英語の魅力、サッカー、ディベート・クラブ、新聞
—— こうしたすべてが、人生にさまざまな変化をもたらした。子供の頃のように、芝居があると聞きつければどこにでも駆けつける
—— 10 キロ離れていようが、20 キロ離れていようが
—— そうした気持ちに、次第次第に変化が訪れた。それに、そうしたいと思っても、学校が休みでなかったり、学校が休みでも寮の管理人が許さなかったり、いろいろな邪魔だてが入ったのだ。
田舎育ちだったので、演劇がどういうものか、知らなかった。ぼくの学校があった町には、弁護士や法律家たちの演劇クラブがあって、彼らが一度、劇を上演したことがあった。どんな演目だったかよく覚えていない
—— たぶん、「プロタパディット王[プラターパーディティア(ベンガル語読み)、ムガル王朝の支配に抵抗した中世ベンガルの王]」 だったろう。その出し物の台詞や物語の構成が、ぼくを虜にした —— それに比べると、芝居がひどく劣ったもののように思われた。このようにまとまった筋書きは、芝居の出し物には望めないのではなかろうか? その後、この演劇クラブの公演を何度も見た
—— 子供の頃の心は徐々に変わり始め、市場で芝居が催されてカルカッタの一座がやって来ても、前のような喜びを感じることはなくなった。
その後、カルカッタに移った。当時カルカッタでは、最新の考えに基づく演劇が始まったばかりだった。多くの高名な名優たちの演技を見る機会が、人生で初めて訪れたのだ。彼らが、さまざまな演目で、さまざまな演技をするのを見た。またその一方、外国映画を見に通う機会に恵まれて、世界的に有名な映画俳優たちの演技にも親しんだ。人間は、次第次第に知識を増す。弁護士・法律家一座の主役だったグルダシュ・ゴーシュを、それまでずっとすぐれた役者と思ってきたが、今や、そんな彼を思い浮かべただけで、¬笑わざるを得ないまでになった。
さらに数年が過ぎた。カレッジを卒業して職に就いた。カルカッタの舞台俳優たちも、その頃にはもう、ぼくにとって、古びた単調なものとなってしまっていた。演劇を見ることすら、やめてしまった。映画についても同じことだ。特に有名な俳優が出演する映画でない限り、映画館にも足を運ばない
—— むかしその演技を見て夢中になった俳優の多くについても、ぼくの評価は変わったのだ。
こんな状態の中、何かの休暇で田舎の家に帰った時、村の皆が公演を企画していると聞いた。カルカッタから、大きな芝居の一座がやって来るのだそうだ —— 一晩で 150 ルピーの出演料、こんな一座は、この地域にかつて来たことがない、とのことだった。一方、ぼくはと言えば、もういい洋画すら見ることなく、演劇を見ることすらいやになってやめてしまっている
—— こんな状態で、一晩中寝もやらず芝居を見る、などという気分に、とてもなれないのは、言わずもがなのことだ。芝居? それがいったい、何だというのだ! まったく下劣きわまりない
—— 誰がいったい、わざわざこの暑さのなか、人混みにもまれて、そんなものを見に行こうなどとするか?
だが、友人たちが承知しなかった。公演を企画した連中も、何度も念を入れて懇願した —— 何としてもぼくの臨席が必要だ、と。仕方あるまい、礼儀というものだってある。少しだけ顔を出して、途中で引き上げてくればいいだろう。まったく行かないというのも、体裁が悪いに違いあるまい
—— とりわけぼくのように、田舎に帰ることがあまりない人間にとっては。
芝居は夕暮れ時に始まった。「芝居」というものを、長いこと見ていなかった。しばらくぶりに見てわかったのは、かつての「芝居」はもはや存在しない、ということだ。芝居歌の合唱、メダルをぶら下げたバイオリン弾きの長々しい独奏
—— これらはすべて、過去のものとなってしまったのだ。金銀のミラー入りの衣装も、もはや存在しない —— 衣装がカルカッタの演劇の完全なコピーであるように、若い役者たちの演じ方もカルカッタのそれの丸写しだった。何人かの役者に至っては、その台詞回し、表情、身振り手振りに至るまで、カルカッタの著名な舞台俳優、そっくりそのまま。だが、そういう彼らに、会場の若い連中は、何度も拍手喝采を浴びせていたのだ。こんなことを言う者まであった
—— ああ、見事な物真似だぜ、カルカッタの舞台俳優何某の —— 大した見ものだよ、まったく!
こんな時、色黒の太った背の低い男がひとり、舞台に登場した。何の役だったか覚えていない。年齢は 60 過ぎに見えたが、身体は頑丈そうだった。彼に対しては、誰ひとり、拍手ひとつしなかった
—— 聴衆を喜ばせるために、彼がさまざまな表情を作り、さまざまな身振り手振りを見せていたにもかかわらず。ぼくの横に学校の生徒の一団がすわっていたが、その中の一人が声を上げた
—— あの老いぼれ、いったいどこから拾って来たんだ? まるで、樽かなんかみたいだぜ。見ろよ、やつが演(や)っているのを
—— まるで、道化芝居じゃねえか!
もう一人隣にすわっていた、中年の紳士が言った —— あの人はな、むかし、とても有名な俳優だったんだぞ。お前たちが生まれる前のことだ。ジョドゥ・ハジュラと言ってな。
ぼくは、ふと紳士の顔に目を遣り、そのあと、今度は年老いた役者のほうに目を移した。子供の頃の出来事が思い出された。あの凍てつく冬の夜、あの都会育ちのませた男の子たちとの道行き、その彼らは、ぼくを放ってらかしにして、どこかに消えてしまう
—— そのあと、甘菓子屋の軽食で食いつなぎながら、家から遥か離れた、知り合いのない常設市場の公演会場で、独りっきりのまま、二日間を過ごしたのだった。その夜、その演技を見て、ぼくの子供心は、驚嘆と興奮のあまり我を忘れた
—— これがその、ジョドゥ・ハジュラだというのか?
かつてその顔の表情を見て、その口から出る台詞回しを聞いて、聴衆が喜びに沸き返った、それとまったく同じことを、今日もジョドゥ・ハジュラは、ぼくの目の前で披露し続けている
—— それなのに、聴衆が喜ばないのはなぜだろうか? 喜ぶどころか、聴衆の多くが、彼の演技を嘲弄しているのはなぜか
—— すわったまま、そのことを考えていた。
心はすっかり沈んでしまった。他人どころか、自分にとってさえ、ジョドゥ・ハジュラの所作が、笑うべきものに思えたのだ! どうしてこうなのだろう?
子供の頃、あの芝居の場で見た、彼のあの演技は、今でもはっきり心に焼き付いている。裏切り者の軍隊長に、一番歳下の王妃が、かどわかされる。王はある日、二人が人目に隠れて愛の睦言に耽っているのを見て、呆然とする。そして、何を思ってか、こう言い放つのだ
—— 「モドゥチョンダ、わしはもう中年、そなたはまだ若い。この歳でそなたを嫁にしたのは誤りだった。そなたをわしは、まだ愛している、生命を奪うことはすまい
—— そなた二人、わしの目の前で、恋人同士のように手を取り合い、この場から立ち去るがよい。だが、わしの王国の外へ去るのだ。もう二度と、そなたたちの顔を見ることがないように。」
見咎められて、彼ら二人は、恐怖と恥に身を縮めている。王の面前で、どうしてそんなことができよう —— 手を取り合って立ち去る、などと? 王は剣を引き抜いて言う
—— 「行け、さもなくば、二人とも切って捨てるぞ —— わしの言う通りに、行くのだ。」
遂に彼らは、王の命に従わざるを得なくなる。王は、凍りつくようなまなざしで、彼らを見つめている —— 彼らが少し遠ざかった時、王は不意に、我を忘れたかのように、抜身の剣を手に、「はあはあはあ」と叫び声をひとつ上げ、彼らめがけて駈けだす
—— と同時に、追われた二人も舞台の外へと姿を消す。王のその素晴らしい所作、その「はあはあ」という絶望に満ちた叫びにこもる、凄まじく悲劇的な響きが、会場にいた聴衆のすべてを揺り動かしたのだった。その時、まだほんの子供だったけれど、その光景が心に残した痕跡はあまりに深かったので、この歳になってもまだ、ぼくは忘れることができないでいるのだ。
翌日、ジョドゥ・ハジュラに会った。役者たちが宿泊している家の前に畳み椅子を広げ、その上に腰を下ろして、彼は煙草をふかしていた。ぼくは言った —— 昨日のあなたの演技は、とても素晴らしかったです。
老齢のジョドゥ・ハジュラは、ぼくの顔を見ながら、勢い込んで言った ——
私の演技が気に入った、ですと?
—— ええ、素晴らしかったです! あれほどの演技には、長いこと、お目にかかったことがありません。
ぼくの言葉は、真実を曲げていた。一方、老齢のハジュラは有頂天になっていた。哀しいことに、彼は称賛というものに、長いこと縁がなかったのだろう。実のところ、昨日だって、若い役者たちはしばしば拍手喝采を浴びていたのに、ジョドゥ・ハジュラがそれに代わって得たものは、嘲笑以外、何ひとつなかったのだ。
老人は言った —— あなたには見る目があるので、気に入ってくれたのです。昔の日々はどこに行ったのでしょう? 今日では、すべてが「アート」、「アート」。いったい何のことやら、さっぱりわからん。ボウ・マスタ一座に、ブリグ・ショルカルがいました。羅刹ラーヴァナの役をやらせて、あんな演技ができる役者は、もうどこにもおらん。私は、そのブリグ・ショルカルの、愛弟子なんです
—— いいですか? 彼は私を、手塩にかけて育ててくれたんですよ。亡くなる時、私の手を取って言ったもんです
—— ジョドゥ、わしがおまえに授けたものがあれば、おまえは一生、食いっぱぐれることはあるまい!
ぼくは言った —— この歳になって、まだ雇われ仕事をなさっているのは、どうしてです?
—— しないわけにはいかんでしょうが? 長男は立派に育ったが、二年前にコレラで死んじまった。やつの家族の生活が、私の肩にかかっているのですよ。もうしばらくしたら、孫娘を嫁がせなけりゃならんのです。前に稼いだ金は、使い果たしました。今となっちゃ、もう、大した実入りがあるわけでもない。昔は、150 ルピーまでもらったことがあるんです ——
私のために、座長が、特別にミルクの手配をしてくれたもんです —— ブション・ダーシュの一座にいた頃は。今の謝金は、35 ルピー。そして、昨日ラーマ役をしたあのショティシュという若造 —— あいつは、 80 ルピー。連中は、「アート」を知っているんだそうだ。聞かせてくださいな、昨日のやつの演技がよかったか、私の演技がよかったか? 今日び、座長にとっては、連中のほうが大事なんだ。私らは、雇われ仕事を続けるのさえ、難しくなっとるんです。
内心、こう思わざるを得なかった —— 彼が今日まで生き延びたこと自体、間違っていたのだ、と。40
年前の若きジョドゥ・ハジュラに、ボウ・マスタ一座のブリグ・ショルカルが仕込んだ身振り手振りの所作と台詞の言い回しを、老いた彼が今日もそのまま舞台で演ずるとしたら、嘲笑以外の何も得られないだろう
—— このことを彼に、どうやってわからせたらいいのか? 時代はもちろん変わったが、それだけではない。若い年齢で似合った演技が、この歳になってもまだ通用する、とでも言うのだろうか?
この出来事の五、六年後、ネブトラの路地を通り過ぎた時のことだ。一軒の伝統薬と香辛料を売る店に目を遣ると、ジョドゥ・ハジュラがすわっている。目にしただけで彼が貧困の極地にいるのがわかった。腰に薄汚れた安物の綿布をまきつけ、背中が破れたシャツを着ている。ぼくを見ても気づかない様子だった。ぼくは、彼を喜ばせようと思って、こう声をかけた
—— 私なんか見ても、お気づきにならないのは当然ですが、あなたを見て、あなたと気づかない人は、どこにもいないでしょう。炎を灰で隠しおおすなんてことが、どうしてできましょう? で、今はカルカッタにお住まいなんですね?
称賛の言葉を耳にして、老人の目に涙が浮かんだ。口を開いた —— ああ旦那、私らの時代は、もう、おしまいですよ。ご覧の通りで、この三年間、仕事がないんです。どの一座も、私を雇おうとしないんで。ハジュラの旦那、あんたはもう歳だ、この歳になって、仕事なんかするもんじゃない、と。要するに、私らはもう用済みだ、と言いたいんで。「良きもの」の時代は、終わったんですよ、旦那。今日び、何もかもが、まがいものだ。まがいもののほうが、今では、本物よりも大事にされるんです。私の師匠は、ボウ・マスタ一座のブリグ・ショルカルだった。今日び、ブリグ・ショルカルの足の塵に価するような男役者が、いったい、どこにいると言うんです? 「気が触れたライ」の演目で、アエン・ゴーシュに扮したブリグ・ショルカルを、一度見た時には
——
さらに何度か称賛の言葉を投げて、この落胆した老役者を慰めた。聞いているうちに次第にわかってきたのだが、老人は現在、この香辛料店に身を寄せているのだ。すぐ側の路地にあるどこかの神寺で、日に一度供応があり、それを食べて、夜はこの店で寝るのである。おそらく、店主が彼の知り合いなのだろう。
仕事の都合で、ぼくは毎日、その路地を往き来する。その帰途、ジョドゥ・ハジュラと少し雑談を交わすのが、習慣になった。そんなある日、老人は言った —— 旦那、ひとつお願いがあるんです
—— 私にいつか、肉カレーをおごってもらえませんか? ずーっと食べていないもんで。
ある上等なレストランに連れ出して、彼にご馳走した。その食べる様子を見て、老人が、長い間、まともなものを食べられずにいたことがわかった。その後、連れ立って公園に行き、そこで休むことにした。夜 9 時が過ぎていた。冬だったので、公園には、まばらにしか人が残っていなかった。ベンチのひとつにすわると、老人はとめどなく、自分の話を続けた。どの大地主が、いつ、彼を暖かくもてなして、自分の手で黄金のメダルをかけてくれたか。いつ、どんな娘が、彼の演技を見て、彼に恋い焦がれるようになったか。また、いつ、ハティバンダの王が、身にまとっていたショールを脱いで、彼の体に巻きつけてくれたか。
こんな話をしながらも、彼は時折、我を忘れたかのようにぼおっとなった。25 年前の、どこかの若き愛人の、笑みに溢れたまなざしが、彼の甘い青春の夢現(ゆめうつつ)の日々に、爪痕を残していったのだろうか
—— そうした過去の日々、そうした忘却のかなたに沈もうとしている数々の面影を、ほんとうに彼が、思い起こそうと努めていたのかどうか、誰が知ろう?
しばらく黙した後、ぼくは言った —— シキドヴァジャとマドゥチャンダーの、あの演技が、私は、とても好きだったのですよ。あの時の王の台詞、「おまえたち、恋人同士のように、手を取り合って立ち去るがよい」
—— あの場面は、今でも忘れることができないのです。
老いた役者は、背筋を伸ばして居住まいを正した。彼の目に、若き日のあの失われた輝きが、戻ってきたかのようだった。そして口を開いた —— ああ、いったい、何年前のことでしょう! あの演目は、プロションノ・ニヨギの一座にいた時でした。見ますか
—— やってみましょうか?
ぼくは励ますように言った —— 覚えていらっしゃるんですか? 見せてくださいな。
幸いなことに、公園にはその時、ほとんど人影がなかった。老人は立ち上がった —— ぼくがマドゥチャンダー役だ。彼は自分の役の台詞を言い始めた
—— 何ひとつ忘れていなかった。最後にぼくの方を振り向くと、雷雲の轟きのような声を響かせて言った ——行け、マドゥチャンダー、おまえたち二人、恋人同士のように手を取り合って、立ち去るがよい。
その台詞の後、ぼくが何歩か歩を進めるや、老人は、あの昔の悲劇的な声で、「はあはあはあ」と叫ぶと、ぼくめがけて、狂人のように駈け寄ってきたのだ。その声の、ほんとうに、何と素晴らしかったことか! そして、何と言う、その身振り! 落魄の老役者は、彼の人生のすべての悲劇を、その演技の中に注ぎ込んだのだ。あたかも、彼がまことに落魄の中年の王シキドヴァジャで、裏切り者のマドゥチャンダーが彼を見捨て、若き愛人と手を取り合いながら、目の前を立ち去ったかのように! わずか数瞬の間、老いたジョドゥ・ハジュラは、30 年前の若き役者ジョドゥ・ハジュラを凌ぐ演技を見せたのだった。
これがジョドゥ・ハジュラの最後の演技だった。この数ヶ月後のある日、ネブトラのあの香辛料店を訪ねた時、彼が死んだ、と聞かされたのだ。
チョンディ女神になった新嫁
チョンディ女神になった新嫁 解題
ビブティブション・ボンドパッダエのこの作品は、前回掲載の「押し車」と同様、彼の最初の短編集『雨を呼ぶラーガ(メーグ=マッラール)』(1931)に収められています。原題は「嫁=チョンディ神の野」ですが、わかりにくいので、このように題を変えました。
チョンディ(サンスクリット読み「チャンディー」)神は、もともと、先住民の間で信仰されていた森の女神が、ヒンドゥー教の浸透とともにシヴァ神の妻ドゥルガー女神の化身として神々の中に座を占め、代表的な女神として広く信仰されるようになったと言われています。しかしそのいっぽう、ベンガル農村の女性たちが日常的に供物を持って祈願に訪れる女神の聖所は、多くの場合立派な寺院ではなく、木の下に土偶を並べただけの簡素なものです。このように、民間のチョンディ神信仰は、もともとの土俗的な性格を保持しています。
この作品は、ベンガルの口承文化の中で、このような土俗的な女神信仰が、なぜ、どのようにして生まれるかを描いた、由来譚として読むことができます。物語に登場する「ウロ=チョンディ」、「ボウ=チョンディ」といった、女神の名前の前につく修飾語は、そうした土俗信仰の、さまざまな由来を物語るものです。
また、この作品では、ベンガル農村の自然景観が細部に至るまで描き込まれており、そうした景観を彩る多様な植物の名前が、たいへん多く登場します。煩雑になるため、前回と同様、いちいち注をつけることはしませんでした。関心がある方は、西岡直樹さんの『インド花綴り』および『とっておきインド花綴り』(いずれも木犀社)をご参照ください。
チョンディ女神になった新嫁
ビブティブション・ボンドパッダエ
村の川の淀みに入り込むと同時に、舟はイヌタヌキ藻の群れに絡め取られた。
土地測量官のヘメン旦那は言った —— アラビヤゴムモドキの木の幹に、縄を回して、縛り付けるんだ ......
川の本流の方で引き潮が始まったため、リスノツメの棘だらけの茂みの下から水が退いて、少しずつ川泥が見え始めていた。
ヘメン旦那は言った—— ちょっと舟から下りて、どこにピンポールがあるか、確かめてくれないか? なるべく早く、カナプリでの測量を終わらせたいから ......
その午後のひとときがあまりに美しかったので、私はとても仕事をする気になれなかった。後続の連中が舟から下り、場所を決めてテントを張るだろう。測量担当の監査官がまもなく県庁からやって来ると言うので、できるだけ早く仕事を始めようと、全員が急いているのだ。副官補佐のヌリペン氏は、仕事を覚えるため、今回はじめてカナプリでの仕事にやって来た。歳はまだいっていない、若造である
—— だが彼は、川なかで舟が揺れる毎に、ひどく怯えていた。たぶん、恐がっているのを知られたくないのが理由で、いまの今まで、屋形の中に眠るふりをして横たわっていたのだ
—— それが、陸に舟が着いたと見るや、さっそく屋形の中から姿を現した。そしてその少し後、ヘメン氏と言葉を交わすうちに、何かをめぐって、やや喧嘩腰になったのだった。
私はヌリペン氏に言った —— 借地法がどうのこうのと、いい加減になさいな。そんなことより、舟から下りて、テントの場所を決めに行きませんか —— 明日の朝からすぐに仕事が始められるように ......
チョイトロ月が終わろうとしていた。村を流れる川の両岸に溢れかえる、蔓のように伸びた緑色の木々には、チョウマメの青い花びらが咲き誇っている。竹藪はところどころ川縁に垂れ下がり、その下ではアコンドやゲントゥの茂みが、そよ風に吹かれながら、花籠を頂いた頭を揺らしている。陽に灼かれ褐色になった雑草が辛うじて生えている両岸の原っぱのところどころに、ほとんど裸のアラビアゴムの木が見え、その木に止まったシャリク鳥の群れが、キチキチ声をあげている
—— 左岸の川縁の隠れ穴の中に彼らの巣があるのだ。川縁のオオカラスウリの茂みの下には、ところどころ、セイヨウノダイコンの群れが盛り上がって見え、そのちっぽけな黄色の花叢からは、ある種濃い、ナツメグのような香りが漂ってくる ......
陽がすこし翳り出してから、私たちは、川淀の横に広がる原っぱに、テントを張る場所を探しに出かけた。村は川縁から少し離れてはいるが、村の女たちが水を汲みに来るのはこの川しかない。私たちの舟が繋がれた場所の左岸の、少し離れた場所に、地面に階段を刻んだ土造りのガートがある。夏の日の夕刻、おそらくは水浴をしようとして川にやって来た、一人の村の老人に、私たちは訊ねた
—— ロシュルプルは、どの村の名前ですか、旦那? 正面のあの村ですが、それとも、その横のですか?
彼は答えた—— いや、あれはクムレ村で、その横の村はアムダンガです ...... ロシュルプルは、この二つの村の向こう、一里ほどの距離ですわ ...... で、あなたたちは?
私たちの自己紹介を聞いて、老人は言った—— この野原に、テントを張るおつもりですか? 測量の仕事が終わるだけでも、5, 6 ヵ月は ......
—— それくらいはかかるでしょうね、むしろそれ以上 ......
—— ここは、神様の場所なんです。村の女たちが、祈願しに来るのですよ。ここより、もう少し離れた、川の入り口の方にテントをお張りなさい。でないと、女たちが、少し困ることになる ......
老人の名前は、ブボン・チョクロボルティ。測量が始まると、チョクロボルティの旦那は、自分の必要から、何度も書類を抱えてテントを訪れるようになった。彼はすっかり皆と顔見知りになり、親しく言葉を交わすようになった。彼が父親から受け継いだ土地を、いろんな連中が不法に占拠している、私たちの力で、それがもし解決できたら
—— こんなようなことを、彼は私たちに、しょっちゅう言い聞かせた。
私はそこに長くはいなかった。カナプリでの仕事が始まったその日に、私は県庁所在地に戻るつもりだった —— だが、満ち潮を待つうちに、舟を出すのが遅くなった。チョクロボルティの旦那も、その日テントにいた。話のついでに彼に尋ねた——
この場所を「嫁=チョンディ神の野」と呼ぶそうですが、それはどうしてですか、チョッコティ [チョクロボルティの口語形] の旦那? なにか、あなた方の
......
ヌリペン氏も言った—— ちょうどいい機会だ。教えてくださいな、チョッコティの旦那、「嫁=チョンディ神」って、いったい何のことです? ...... 聞いたこともありませんや。
私たちの問いへの答として、チョクロボルティの旦那の口から、驚くべき話を聞くことになった。彼は語り始めた—— では、お聞かせしましょう、昔の話ですが。子供の頃、父方の祖母から聞いた話です。この地域の古老たちなら、この話は知っています。
当時、この村には、裕福な一家族が住んでいました。今となってはもう、その子孫の誰も残っていませんが、私が話している当時、その本家の主、ポティトパボン・チョウドゥリの名は、知らぬ者とてありませんでした。
このポティトパボン・チョウドゥリの旦那が、三度目の結婚をして、新嫁を家に迎え入れた時、彼の歳は50才を超えていました。さして高齢というわけでもありません。とりわけ、道楽好きの恰幅のいい方だったので
—— 50才とは言いながら、年齢よりずっと若く見えました。新嫁を見て、一家の誰もが、たいへん満足しました。三度目の結婚ということで、チョウドゥリの旦那は、やや歳のいった、大柄な娘を選んだのです。年齢は17才になろうとしていました。顔貌はとても美しく、その輪郭は、まるでトランプのハートのエースのようでした。そのつぶらかな、鈴が張ったように大きく見開かれた両の瞳は、何とも言えぬ落ち着きに満ちていました。その働きぶり、そのもの静かな様子を見て、近隣の人びとは、こんな嫁は、今までこの村に来たことがなかった、と讃えました。彼女が話す時、その目はいつも地面を見ており、義理の叔母たちがたとえ自分より年少でも、その前ではサリーの裾で顔を覆います。誰もが口を揃えて、姿形だけでなく、その性格もラクシュミー女神のようだ、と噂したものでした。
でも、2, 3ヵ月して、大きな問題がひとつ、持ち上がりました。嫁は、他の点では申し分ないのですが、ただ一つ大きな欠点のあることが、誰の目にも明らかになったのです。彼女は、どうしても夫に寄り添うのがいやで、全力で避けて通ろうとするのです。最初のうちは、結婚し立てでもあるし、まだ子供なので、こんな振る舞いをするのだろう! と誰もが思ったものです。しかし、次第にはっきりしたのは、夫だけでなく、男であれば誰を見ても、彼女はわけもなく恐がって、身を震わせるのです。家に供犠か何かの大きな催しがあって、外からたくさん人が集まる日には、彼女は部屋から出ようともしません。夫の部屋には決して入ろうとせず、月に一日か二日、皆が優しい言葉をかけ、その身体を手で撫で、夫のもとに送ろうとしても、彼女は、一人一人の足下にひれ伏し、それぞれに哀願して、どうしても言うことを聞こうとしないのです。男性の声を聞いただけで、まるで凍りついたようになるのです。
さんざん説き伏せたあげく、ある日、皆で彼女を夫の部屋に送り込み、扉に閂をかけて閉じ込めてしまいました。チョウドゥリの旦那が、夜更けに部屋に入って見ると、彼の三番目の妻が、部屋の片隅に、おろおろした様子で佇みながら、ブルブル震えている。その後は、もはやどうあっても、決して彼女は夫の部屋に行くことを欲せず、家中の人びと全部の手足にすがりついて、皆にこう懇願したのです
—— 私、とっても恐いんです、私のことをあんな風に送り込むのは、もう止めてください ...... お願いですから。 .......
何とか説き伏せようと、家人たちは躍起になりました。
何日か経ったある日、皆で示し合わせて、彼女を無理やり夫の部屋に入れ、外から扉を閉ざしました。彼らは、こうして少しずつ馴らしていけば、やがて恥ずかしさも克服するだろう、と思ったのです
—— さもなくば、いったいいつまで、こんなもったいぶりを、我慢できましょうか? ところが、皆が明け方に起きて見ると、嫁の姿は部屋になく、家中どこを探してもその影も形もない。実家が近くの村だったので、そこに逃げたかと思って使いをやりましたが、使いが戻って来て言うには、彼女はそこにも来ていない、と。次に皆は、池に身を投げて死んだに違いない、と言い出す。池に網を投げましたが、何も見つかりません。嫁のあどけない顔と罪のない目つきが、おそらく人びとの胸に、他のどんな疑いも浮かぶ余地を、与えなかったのでしょう。四方八方手を尽くして、どこにもどんな消息も得られなかった時、チョウドゥリの旦那は、その心痛を慰めるため、四番目の妻を迎えたのでした。
ど田舎で、もの珍しい出来事も滅多に起きないので、この事件をめぐっては、長いこと、あれこれ噂が絶えませんでした。しかし、次第にそれも絶え、村は静まりました。この野原の東端、村の中に、チョウドゥリ家の屋敷がありました。当時は、ここを通って川が流れたものです
—— 干あがって淀みとなったのは、つい最近のことで、私たちが子供の頃は、まだ、稲をいっぱいに積んだ舟が往き来するのを見たものです。次第次第に、チョウドゥリ家の人びとは死に絶え、家系に最後に残った人がひとり、ここを引き払って、他のどこかに住んでいます。こうしたことが起きたのはずっと昔、少なくとも七、八十年は経つでしょう。でも、その頃から今日まで、ここらの野原では、まことに不思議な出来事が起きるという噂です。
まもなくファルグン=チョイトロ月の猛暑がやって来て、牛飼いたちが、牛に草を食ませるために姿を見せます。彼らは、遠くから何度も見たのです ...... 野原を囲む森の中、人気ない真昼時に、竹藪の蔭に誰かが横たわっているのを
...... でも側に行くと、誰もその姿を見ることはできないのです。 ...... 日暮れ時、牛の群れを追って村の中に向かう時も、暗い薮の中から忍び泣く声が響いてくるのを、彼らは何度も耳にしています。 ...... 月明かりの夜、多くの人が、川のガートから戻る道すがら、シチヨウジュの木の下枝の下を通り過ぎる時、遠くに望まれる野原の夕闇に霞んだ月明かりの中を、白いサリーを着た誰かが、次第次第に遠ざかって行くようです
—— 彼女の全身を覆う白いサリーに月明かりが落ちて、キラキラ光り続けています。 ...... 野原に夕闇が迫る頃、一面花に覆われたセイロンテツボクの樹下に立って目を凝らすと、誰かが少し前にここに立って枝を引き下げ、花を摘んで行ったように思われるのです ...... その人の小さな足跡が、点々と、薮が深まる方角へと向かっています。
野原の縁のこのシチヨウジュの樹の下が、ウロ=チョンディ神の聖所なのです。チョイトロ月の晦日に、村の嫁たちは、ピテ [黒糖・ココナツ等を米粉でクレープ状に包んだもの] 、絞りたての乳、そして取りたてのサトウキビから作った黒糖を持って、嫁=チョンディに祈願をしにやって来ます。ボウ=チョンディ神は皆に安寧をもたらします。病気になれば治し、初産の母親に乳が出なくなっても、女神に祈りを捧げればまた乳が出るようになる。幼児の風邪は治り、息子が外地にいて便りが届くのが遅くなっても、女神に願を掛ければ、すぐにいい知らせが届く。女たちに困り事があれば、皆をその困難から救い出してくれる。 ......
チョクロボルティの旦那の物語は終わった。その後さらに、いろいろな話題に話が及んだ後、彼と他の皆は立ち上がり、帰って行った。
陽がだいぶ翳ってきた。夕風に吹かれて、シチヨウジュの森は、サラサラ音を立てている。村の野原は、ずっと遠くまで、凸凹のある土手とゲントゥの花の茂みに、すっかり覆われている。左の彼方には、煉瓦の野焼きのための古い窯の一部が、ウダノキの列の間から見え隠れする。
舟の船尾にすわって、迫り来る夕暮れ時、80年前に逃げ去った村の嫁の経緯に、思いを馳せていた。野原のただ中の、高く盛り上がった地表を覆う、ゲントゥの花の茂みに目を遣ると、こう思われてくるのだった
—— 彼女は、きっと一日中、あの花叢の中に隠れてすわっていて、夜が更けてから、やっと、隠れ場から出て来るのに違いない。そして、野原の中にあるバンヤン樹の蔭に、黙ったまますわり、空の星の方を見つめるのだ、と。 ...... その側の薮に咲き誇るチョウマメの花の青に溶け込むように、川の水は流れる
...... シチヨウジュの森の鳥たちは、夢うつつの中、歌声をあげる ...... 向こう岸からは、ひゅうひゅう風が吹いてくる ...... 彼女は、おそるおそる、東の方角に目を遣っては、夜明けの光が差すまでに、あとどのくらいの間があるかを、繰り返し確かめるのだ!
日がとっぷり暮れ、森の上には、九日目の半月が上がった。その少し後、上げ潮に乗って、私たちの舟は纜(ともづな)を解いた。川岸の闇に閉ざされた、人気ない藪の中から、ほんとうに忍び泣く声が聞こえてくるかのようだった ...... もしかするとそれは、夜目覚めている森の鳥の鳴き声か、何かの虫の音であったのかもしれない。
淀みの入り口を過ぎて川の本流に至った時、後ろを振り返って見ると、人気ない村の野なかを、白い靄のヴェールで顔を覆った、茫とした月明かりの夜が、次第次第に、まるで盗人のように、姿を現し始める
—— 遙か昔の、あの羞じらいに身を竦めた、臆病な村の新嫁のように! ......
押し車
押し車 解題
今回から、ビブティブション・ボンドパッダエ(1894-1950)の作品を、連載いたします。
ビブティブション・ボンドパッダエは、サタジット・レイ(ベンガル語で「ショットジト・ラエ」、1921-1992)監督の映画、『オプー三部作』(『大地のうた』・『大河のうた』・『大樹のうた』)、および『遠い雷鳴』の、原作者です。タゴール以後のベンガル文学で、最もよく読まれている作家の一人です。同じく1930年代に文壇に登場した、タラションコル・ボンドパッダエ(1898-1971)、マニク・ボンドパッダエ(1908-1956)とともに、三人のボンドパッダエと、並び称されます。
ビブティブションの小説は、ベンガル農村の自然と生活¬が中心的なテーマですが、霊的な世界を扱った作品も少なくありません。また、ビハール州奥地の森林を描いた長編小説『森の世界』(1939)は、近代ベンガル文学を代表する傑作のひとつに数えられます。
彼の生涯や文学の特徴については、林良久訳『大地のうた』(新宿書房)の解説に詳しく書かれていますので、ぜひご参照ください。
「押し車」は、彼の最初の短編集『雨を呼ぶラーガ(メーグ=マッラール)』(1931)に収められています。ビブティブションには、子供の世界を描いたすぐれた作品が数多くありますが、この小品も、そうした作品のひとつです。
なお、この作品も含め、ビブティブションの作品には、ベンガルの農村生活に密着した、さまざまな植物が登場します。あまりに煩雑になるため、今回、いちいち注をつけることはしませんでした。それら植物のひとつひとつについては、西岡直樹さんが、『インド花綴り』および『とっておきインド花綴り』(いずれも木犀社)の中で、美しい絵とともに、親しく描写されています。こちらも、ぜひご参照ください。
押し車
ビブティブション・ボンドパッダエ
寝床から起きたばかり、お日様は、やっと顔を出したか出さないか ―― 裏口の扉の外の、ウドンゲの木の上では、シャリク鳥 [インドハッカ、ムクドリ科の鳥] が何羽かキチキチ声を上げ、羽根をパタパタさせて騒いでいる。ぼくは起きてから、昨夜食べ残したバナナの揚げ菓子が、台所の天井から吊り下がった籠の中の大きな鐘青銅の深皿に、ぼくらのために取ってあるのを、どういう理由をつけて母さんにねだったらいいか、顔を洗う前にねだるのがどれだけ得策か、そんなことをあれこれ考えていた。とその時、家の外扉の側で、一台の押し車のゴロゴロいう音がして、それと同時に、甘い、鈴の音のような呼び声が響いてきた ―― トゥニィィにぃぃ さぁぁん! おおい、トゥニィィ……。
すぐさま、ぼくの歳老いた叔母さんが、手に何かを振りかざしながら、すごい剣幕で駈け出した。
――こんな朝っぱらから、よくもまあ? まだ烏だって眠っていると言うのに、うちの子を呼びつけて、家から連れ出そうってわけ? 朝だろうが、夕方だろうが、昼間だろうがお構いなし、年がら年中、ゴロゴロ、ゴロゴロ音を立てて…… 今度、ホル・ガングリの家に行って、言ってやるわ、昼も夜も、車をゴロゴロ引きずって、ほっつき歩くままにさせて、あんたの息子の来生、ろくなものにならないわ…… さあ、さっさとお帰り。トゥニは、今は行かないわ。まったくいやになるわ、いつもいつも、車のゴロゴロ…… 早くその車、持って行って!……
ぼくが無邪気な顔で、唯々諾諾(いいだくだく)と、叔母さんの背後に佇ちつくした頃には、押し車の音は、ぼくらのガートへの道を通って、遠く、また遠くへと、聞こえなくなっていた。その後、ぼくが手と顔を洗いに庭に出ると、裏口の扉の側から、微かな声が耳に届いた ―― おおい、トゥニ兄さん……
ぼくは、一度背後を振り返って、叔母さんのいる場所とその目の届く方角を測ったあと、さっと裏口の扉を開けて、外に出た。朝まだきの蓮の花のように、無垢で、嬉しさにはちきれそうな幼いノルが、笑みでいっぱいの丸い目を見開いて、そこに立っていた。
――トゥニ兄さん、行かない?
――起きたばっかりだよ。まだ顔も洗っていなけりゃ、何も食べていないのに…… おいでよ!
ノルは目配せして言う ―― どこに?
――叔母さんは何も言わないさ、中においでよ……。
――顔を洗って来てよ、トゥニ兄さん…… ぼく、ビワモドキの樹の下で、車を持って、待っているからさ。乗るよね、トゥニ兄さん?
二人揃って、村の中心へ出かけて行った。タマリンドの樹蔭の遊び場は、子供たちでいっぱいだった。ムクッジェ [ムカルジ(高位バラモンの姓)の口語形] 居住区の子供たちは、一人残らずそこにいた。ノルは笑顔で呼びかける ―― おいでよ、ポトゥ兄さん、ニタイ兄さん…… ぼく、車を持ってきたんだ…… ほらね、ちょうどいい時に来たでしょ? さあ、乗って……。
押し車は、ノルがひとりで、曳き続けた。誰もが乗った。
ポトゥが言った ―― お昼になったら、ぼくらの家に来るかい、ノル?
ノルは首を横に振って断った。
――おいでよ、ノル…… あの日は、叔父さんと鉢合わせになったからな。今度は、そんなことにはならないよ。
――ぼく、もう、兄さんの家には行かないよ。叔父さんったら、あの日、本気でなぐりかかるところだったんだ…… 毎日毎日、車を押してほっつき回るもんじゃない、って言ってた。ぼくが逃げ出さなかったら、きっと、さんざんぶたれていたよ。今度会ったら、車を取り上げられるかもしれない。
二人揃ってその場を離れ、道端の大きなムラサキフトモモの樹蔭にすわって、話をした。毎日毎日、どんなにいろんな話をしたことか。大きくなったら誰が何になるか、それがいつもの話題だった。
チビ助は、まだとても、将来のことを思い巡らすような年頃じゃなかった! 大きくなったら何になるかなんて、順序立てて話せるわけはなかった。突拍子もなく、船頭たちの大将になるんだとか、汽車のエンジンを動かすんだとか、言う。あるいは ―― 蒸気船を動かす連中のことを、何と言ったっけ ―― それにもなりたがった。ぼくは、同じ齢の子供たちと比べると、少しませていたので、こんなふうに言ったものだ ―― ぼくはね、白人式の治療ができるお医者さんになるんだ…… 県庁所在地の裁判官になるんだ……。
日が高くなっても、彼は強い陽射しが照りつける中を歩き回り、赤く火照った顔で家に戻った。父親がいる方を避けて、別の方角から、そおっと家に入る。彼の母親は言ったものだ ―― 何て子なの、朝っぱらから家を出て、もうこんな、真っ昼間だというのに、今頃になってあんたは……。
――しーっ! そんなことないよ、ぼく、ほら、トゥニ兄さんちの、ムラサキフトモモの樹の下にすわったまま、黙って遊んでいたんだよ、ぼくと兄さんで…… どこにも行かなかったよ、母さん! ほんとだよ……。
でも、どういうわけか、このチビ助のことが、ぼくはとても好きだったのだ。村の他の男の子たちと比べて、彼の顔や目に、その言葉に、どんな魅力があったと言うのだろう…… 一日のうち、少なくとも一度は、彼と会わずにはいられなかった。チビ助のほうも、ぼくの家に寄らずには、村の中のどこにだって¬、出かけることはなかったのだ。
日によっては、家の前のムラサキフトモモの樹の下を通って、車を押しながら、昼前に家に帰っていくこともあった。ぼくの顔を見ながらこう言う ―― あのニタイのやつ、すごくずるいんだよ。何度も言ったんだ、乗りなよ、君を押して、牛飼い集落まで行って、戻って来るから…… でもね、どうしても、乗ろうとしないんだよ。母さんに叱られるから、油を買いに行くんだ、って…… ねえ、トゥニ兄さん、乗らない?
――今日は、他には誰も、乗ろうとしなかったんだね、チビ助?
――ぼくらの集落では、誰も乗らなかったんだよ、ずーっと探して歩いてるんだけどね…… ほんとに、みんな、ずるいんだよ。来てくれる、トゥニ兄さん?
チビ助の哀願するようなまなざしから、その頃のぼくは、どうしても逃れることができなかった。ぼくは押し車に乗った。チビ助は喜び勇んで、チョイトロ=ボイシャク月 [3月半ば〜5月半ば、真夏の季節] の真っ昼間の灼けつく太陽を、まったくものともせずに、車を押して走り回ったのだ。太陽のほうも、その仕返しに、彼の幼い顔を真っ赤に染め、その服を汗でびちゃびちゃにせずにはおかなかった。
彼はまだ、年端も行かない、痩せ細った女の子のような体格だったので、体力では、集落のどの男の子にも太刀打ちできなかった…… 誰との間でも、不当な扱いを耐え忍ぶしかなかったのだ。誰もが何の苦もなく、弱者に対する強者の権利を、彼に対して行使したのだった。
その日はとても暑かった。チョイトロ=ボイシャク月の陽射しを浴びて、村の道に積もった土埃は、炎のように燃えていた。ポンチャノン [「五つの顔を持つ者」、シヴァ神の別名] 広場では、村あげての催しの場が設けられ、その上は組んだ竹で覆われていた。誰もが朝から日暮れ時まで立ち働いていた。
大きなピトゥリ樹の下に、チビ助の押し車のゴロゴロが響きわたった。オヌが言う ―― そら、ノルが来るぞ。
背後に刎頸(ふんけい)の友のベニヤ板製押し車を従えて、ノルが現れる。設置された舞台を指さして訊く ―― 芝居はどの日にあるの、トゥニ兄さん?
情報を得て、彼は満足げに笑った。押し車のほうを指して言った ―― 乗る、ポトゥ兄さん?
ポトゥは首を横に振って言う ―― ぼくが乗ったら、誰が曳くんだよ?
チビ助は喜び勇んで答える ―― ぼくに決まってるでしょ?
楽しみを前にして、彼の顔も目も、期待に輝きわたった。
――バカな! おまえがぼくを、曳くだって? 曳けるかどうか、試してやる…… ぼくなんか、無理に決まってるだろう……。
――乗ってよ! ちゃんと、曳いてみせるから!
ポトゥの番が終わると、オヌ、ピル、ホルの順で、そこにいた男の子たちは皆、押し車に乗った。大きな子、小さな子、さまざまで、それを曳くのに、チビ助は息を継ぐ間もなかったが、それでも彼は奮い立って、皆を最後まで、ちゃんと引き回したのだ。全員を乗せ終えると、彼は笑顔で、皆を見渡して言った ―― 今度は、ぼくをちょっと、曳いてみて!
皆が互いの顔を見合わせはじめた。その様子から、誰も曳く気がないのがわかる。彼のことを哀れに思って押し車に乗ってやり、それを曳かせることで恩を売ってやったのに、彼を乗せて、他の誰かに曳か¬せかるだと? そんな権利が、いったいどこにあるんだ? 皆が一致して、そうした気持ちを表していた。
――へえ、皆を乗せてあげたのに、ぼくの番になると、誰も……。
ぼくは、彼を車に乗せて、曳いてやりたかった。でも、同年輩の男の子たちにからかわれるのが怖かったか、あるいは、彼らに歯向かって行動する勇気がなかったと言うべきか ―― とにかく、そうすることができなかった。彼は、車を曳いて、その場を離れた。
男の子たちの間で、前もってどんな示し合わせがしてあったのか、ぼくは知らない。車が少し遠ざかると同時に、一団の中の一人が、焼いて固くなった大煉瓦を手に取ると、押し車めがけて、投げつけたのだ。
押し車の底が、その瞬間、めりめり音を立てて、マッチ箱のように裂けた。チビ助は背後を振り返り見た ―― なにか茫然とした様子だった ―― それから、急いで被害の程度を調べるために押し車に近づき、その状態を見定めると、もう一度驚いた目で、ぼくらの方を見た。続けて彼は、ぼくにまなざしを落とした ―― 彼の目の痛みに満ちた驚き、何が起きたのか理解できないでいるそのまなざしが、ぼくの胸を矢のように貫いた。その目は言っていた ―― トゥニ兄さん、兄さんも、仲間だったの?
でも、彼は誰に対しても何も言わず、こわれた押し車の横にしゃがんで、それを見つめていた。すでにその前に、ぼくを取り巻く一団は、その場を後にしていた。
そのあと、彼は長いことその場にしゃがみ込んで、こわれた押し車を左右に揺らしては、車の裂けた底がどうやったら直せるか、試していた。傍らでは、一本の小振りなアダトダ・ヴァシカの木の枝に、白い花叢がいくつも揺れていた。そのすぐ横のベンガルガキとヒマの茂みの縁に押し車を置いて、しばらくしゃがみ込んだ後、彼は車を押して運び去った。
一晩中、よく眠れなかった。朝、彼の家に駈けつけて、仲直りすることができればよかったのだけれど、そうするのが何となくためらわれた。チビ助は毎朝やって来る習慣だったのに、その日は姿を見せなかった。ぼくに裏切られたと思い込んでいたのだ。
二日、三日と経つうちに、一週間あまりが過ぎた。
そのすぐ後、ぼくは家族皆と一緒に、母方の叔父の家に出かけることになった。末の叔母の結婚式があったのだ。そこから家に戻るまでに、10ヵ月足らずの日々が流れた。
戻っても、チビ助に会うことはなかった。彼は、その前のポウシュ月 [12月半ば〜1月半ば] に、百日咳で死んだのだ。帰宅して10日ほど経ったある日、彼の家を訪ねた。チビ助の母親が中庭にいて、日干しにしたイヌナツメの実を、拾い集めていた。ぼくを目にすると言った ―― トゥニ、戻って来たのね? …… ぼくが口を開く前に、彼の母は、わんわん泣き崩れた。
――それでも、トゥニ、あんただけは来てくれたのね…… この家まで来てくれる子なんて、他に、誰もいやしない…… チビ助は、私を置いてきぼりにして、行っちまったの! ちょっと待って、ザボンの実の大きくなったのが、中にあるから、切ってあげるわ、塩をつけて、食べて? どんどん実が大きくなるのに、食べる人がいないの…… チビ助がどんなに好きだったか…… お食べなさいな、そこにすわって。
秋の午後。澄みわたる青空の下、翳った夕刻の陽射しの中を、何の鳥か、翼を広げて漂っている。軒蛇腹がこわれて屋根下にあいた割れ目のあたりから、野鳩の鳴き声が聞こえる…… 中庭の日陰を通って吹く心地よい風は、干したイヌナツメの実の匂いでいっぱいだ!……。
チビ助の、あの押し車を見た。庭の木の棚の下に置いてあった、曳き紐も一緒に。その車には、長いこと、誰ひとり、触れることすらなかったのだ……
はるか昔のことなのに、目を閉じて思い起こすだけで、ありありと見えてくる ―― いったいいつの日のことか、8歳のあのちっぽけなチビ助が、例の押し車を曳いて、歩き回っているのは。人気ない真っ昼間、野鳩の鳴き声の中、家を出て、パール家のレンブ樹の庭園の蔭を潜り抜け…… ぼくらの家の大きなデイゴの樹下の道を通り、赤く火照った顔で、希望と喜びに満ちた輝く目で、あのベニヤ板の押し車を曳きながら、彼はやって来る…… ココヤシの木の下を抜け…… ポトゥたちの家の、年に二回実をつける、大きなマンゴーの樹の下を通り…… こうして進むうちに、次第しだいに彼の姿は、マイティ家の池の曲り角、檳榔樹の列の蔭に隠れて、見えなくなってしまう。……。