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輝き姉さん(ランガ=ディディ)

輝き姉さん(ランガ=ディディ) 解題

 

タラションコル・ボンドパッダエ(18981971)円熟期の短篇。文学誌『インド』(ベンガル暦1347年バドロ月号、西暦19408月出版)に掲載されました。絵巻物師(ポトゥア)の女性を描いた作品です。ポトゥアは、ベデと同じく(5回目掲載の「ベデの女(ベデニ)」参照)、イスラーム教徒でありながらヒンドゥー教の習俗を守る出自集団(ジャーティ)です。この作品には、インド神話や口承文化・民間信仰のさまざまな要素が盛り込まれ、当時のベンガルの、豊かな土着文化を支える人びとの生き様が、あますところなく描かれています。

 

主な登場人物は、すべてインドの神々や聖者の名前で呼ばれています。

ランガ=ディディ(「輝き姉さん」)の綽名で呼ばれる主人公の女絵巻物師の本名、ショロッショティ(サラスワティー)は、学芸の女神(弁財天)で、彼女が土人形作りや口承芸に長けた土着文化の継承者であることを示しています。また、その夫の老いた絵巻物師、ゴノポティ(ガナパティ)は、象の頭を持つ財運の神、ガネーシャの別名。彼が富をもたらす存在であること、また象の長い鼻の比喩から精力旺盛であることを示唆します。

ショロッショティを愛する若き絵巻物師の名、ゴノッシャム(ガナシャーマ、「雨雲のように黒いお方」の意)は、クリシュナ神の別名。ゴノポティが彼につける呼び名、ケロ=ショナ(「黒い黄金」の意)も、クリシュナ神の愛称。さらに、後半に登場する大地主家の息子は、中世にクリシュナ信仰を広めた聖者チャイタニヤ(14861534)にたとえられ、ショロッショティは、彼を、チャイタニヤの愛称、ゴウルチャンド(「白い月」の意)で呼びます。

ゴノッシャムとショロッショティの間の関係は、クリシュナ神話を背景にした歌や巧妙な言葉の応酬を通して比喩的に表現されます。ゴノッシャムの妻がショロッショティに対して抱く嫉妬は、ラーダーの夫の姉クティラーがクリシュナ神のもとに走るラーダーを非難する絵と歌とで代弁され(「クティラーは ...」で始まる歌)、また二人の間の恋の戯れは、クリシュナ神の舟遊びの場面(「他の女伴侶(ショキ)なら…」で始まる歌)や、クリシュナ神の笛の音に魅せられたラーダーの水汲みの場面への言及によって示唆されます。

 

ショロッショティが売る腕環のうち、「(いろど)り腕環」と訳した「レショミ・チュリ」は、直訳すると「絹の腕環」、ラージャースターン州などの北西インド由来の、彩り豊かなガラス製の腕環です。また、彼女が作る人形、「ふさふさ髪(を持つ女)」、「チャンパの花(のような女)」、「着飾り女」、「庭師の女」、「牛飼い女」などは、ベンガルの口承の歌物語に登場する村の娘たちの姿をかたどっています。

彼女が良家を訪れて作る「カンタ」は、ベンガルの女性たちの伝統的な手工芸で、古布を継ぎ合わせ、さまざまなパターンの刺繍を縫い付けて作られます。ハンカチから座布団、枕カバー、肩掛け袋、敷布に至るまで、さまざまな大きさ・用途のものがあります。

 

絵巻物師(ポトゥア)の生活、彼らが描く絵巻物やその物語については、西岡直樹さんが、『インドの樹、ベンガルの大地』(講談社文庫)、『インド動物ものがたり』(平凡社)、『サラソウジュの木の下で』(平凡社)などの一連の著作の中で、親しく描かれています。ぜひご参照ください。

 

 

輝き姉さん(ランガ=ディディ)

タラションコル・ボンドパッダエ

 

絵巻物師の娘――その上、年寄りの若妻である。まるで、衰えたマンゴーの古木にまとわりつく、黄金色のネナシカズラのようだ。老いさらばえたマンゴーを、自分の身体の網でがんじ絡めに覆い尽くし、その蔓の数々の先端を、雌蛇が鎌首をもたげるように、まわりの甘い薫りを放つマンゴーの木々に向かってもたげて踊る――年老いた絵巻物師ゴノポティの若妻ショロッショティも、まさしくそのように身をくねらせ、踊るように巡り歩くのだ。

絵巻物師ゴノポティは、この地域の絵巻物師の社会ではよく知られた名匠である。彼の筆になる絵巻物は、白人や高位の方々が買い取っていく。――まこと非の打ち所のない、カラスウリの実のようにふっくらと切れ長の目、ゴマの花にそっくりの小鼻、片掌でつかめそうにもほっそりした腰、そして水甕のように丸々とした豊かな胸――誰の筆を以てしても、これほど見事には描けない。ゴノポティは、筆で絵巻物を描き、手で人形や神像を作る名匠であるだけではない。彼が創る、絵巻物の偉大さを褒め讃える歌や、神々のさまざまな戯れの歌物語も、人口に膾炙(かいしゃ)している。ゴノポティの歌は、官報にも掲載されたそうだ。「ドゥルガー女神が貝の腕輪をつける」、「シヴァ神が魚を捕る」「シヴァ神の農作業」「クリシュナ神が土を食べる」等々、多くの歌物語を彼は創作した。この地域の絵巻物師の社会で、富・名声・技量において、ゴノポティに並ぶ者はない。歳を取ってから、この男は、絵巻物師の娘ショロッショティを見てすっかり前後を失い、遂には彼女と結婚する仕儀に至った。ショロッショティの両親は、ゴノポティの財を見て、嫌とは言わなかった。多額の金を払って、老人はショロッショティを家に迎え入れたのだ。老人の何人かの遠縁の孫たちが、金を出し合って、面白半分に革職人(ムチ)たちを呼び、結婚祝いの楽器演奏をさせた――大太鼓と角笛である! ゴノポティ老人はだが、横紙破りの性格である。彼は腹を立てるどころか孫たちをもてなしてすわらせると、腹いっぱい甘菓子をご馳走して帰らせたのだ。

こう言う諺がある:

 

           ポトニとノトニ、

           おんなじ身振り、おんなじ調子、

           どっちがいい? どっちが悪い?

 

「ポトニ」とは女絵巻物師、「ノトニ」とは踊り子で、この二人は同じだと言うのだ。体の動き、話し方、毎日の習慣、身振り素振り、泣き笑い――両者の間に、ほとんど見るべき違いはない! 表裏一体とでも言うべきだろう――言うなれば裾模様入りのサリーの、表と裏のようなものだ。ショロッショティも絵巻物師の娘である。新妻だと言うのに、彼女は羞じらうどころか顔を斜めに構えてくすりと笑い、あらぬ方に視線を逸らす。彼女の深紅の色粉をつけた唇の蔭から、お歯黒を塗った褐色の歯の列が、まるで汚れた線のようにその姿を見せつける。それは決して自分の姿を隠そうとはしない。そして何よりも驚くべきことは――彼女のその、笑みと汚れに刻印された顔の上に、悲しみの新月が訪れることは、決してないのである。つとよぎる薄雲のように、サリーの裾が彼女の頭を覆うことがあっても、その顔が完全に隠れることは、一瞬たりともないのである。

 

男たちの昼食の用意を済ませて、午前10時になると、絵巻物師の女たちは商いのために家を出る。ガラスの腕環、土製の人形、小さな数珠を繋いだネックレス、お守り用の腰紐、女たちが額に飾るキンカネムシやタマムシのキラキラ光る羽根を籠に並べ、彼女たちは、村から村へ、行商に出かけるのだ。色鮮やかな斑模様入りの短いブラウスの上に、イスラーム教徒風にサリーをぐるりと巻きつけて身体を覆い、頭上に籠を載せる。すっかり習い性となっているので籠を手で支える必要すらない、両腕を思いのまま揺らしながら体をくねくね動かし、ごく狭い路地でも平気で進む。村に入ると一種独特の調子で声を張り上げる――(いろど)り腕輪、いらんかね〜! 箱い〜り〜 む〜すめ〜! あお〜い ほうせ〜き〜! バラ〜の みや〜び〜!

腕環の色の違いに従って、彼女らは自分たちでいろいろな名前をつける。黄色の腕環の名前が「箱入り娘」、濃緑色のものが「青い宝石」、そして「バラの(みやび」はバラ色である。深紅の腕環の名前が何よりも振るっている――「心の(とりこ)」!

人形にも名前がある――「ふさふさ髪」、「チャンパの花」、「ヤムナー川」。「ふさふさ髪」の頭にはまったく不釣り合いな結い髪、「チャンパの花」の胴体は黄色、そして青い色の人形の名前が「ヤムナー川」 [クリシュナ神と人妻ラーダーの逢い引きの川] である。頭に水瓶を載せた「牛飼い女」、手に籠を持った「庭師の女」、これらは昔ながらの名前である。この他にも、天馬、虎、ライオン、吉祥天(ラクシュミー)の梟等々。ショロッショティは自分で人形を作る。ゴノポティは、自ら進んで、彼女にこの技を仕込んだのだ。

行商に出るとなれば顔を出さないわけにはいかず、饒舌にもならざるを得ない。だがショロッショティは、すべてにおいて異彩を放つ。顔とともに、結った縮れ髪も開けっぴろげのまま、笑うとお歯黒を塗った歯の列が汚れた線のように現れる。その汚れた線は、目に露わなだけでなく、音まで伴っているのだ。その姿形と声音に触発されて、彼女の出自に固有の饒舌が、踊り子の足鈴のように鳴り響き、人びとを酔わせ、恥じることを知らない。市では、彼女は進んで人に声をかけ、行商の品を売りつける。小物屋で石鹸を買っている青年を呼びつけ、彼女は笑いながら言う ―― 腕環を買わない? 腕環を?

―― 腕環?

―― そうよ、腕環よ。「箱入り娘」、「青い宝石」、「バラの(みやび)」、「心の(とりこ)」! どれがいい?

ショロッショティのお歯黒を塗った歯が、微笑に伴って少しだけ露わになり、黒い稲妻のように間を置いて輝きを放つ。男は黙っているが、その場を離れることもできない。ショロッショティは言う ―― すわってよく見なさいよ。あんたの奧さん、どんな色なの? あたしが見繕ってあげるわ。私みたいに、色白?

男は思わず笑みをこぼす。――いいや!

――じゃあ、どうなの? バナナの若葉みたいな色? それとも、もっと黒いの? ムラサキフトモモの実みたいに、真っ黒?

しまいには、深紅の(いろど)り腕環、「心の(とりこ)」を、まんまと売りつける。

 

絵巻物師の女たちには、もう一つの商いがある。良家の奥様方から、古布を継ぎ合わせてカンタを作り、その上に模様を縫い付けるよう、お声がかかる。三四種類の大きさの違う針を手に、彼らはそうした家に出向く。奥様方は布切れと赤い広縁のサリーを渡す――彼女たちは素早い巧みな手つきでカンタを縫い上げ、その上に、まるで機械のように正確に模様をつける。模様のさまざまなパターンも彼女たちは会得している。蓮の葉、鳥、花、ナツメヤシの葉、菱形のミルク菓子(ボルフィ)、ヴリンダーヴァナの森 [クリシュナ神とラーダーの逢い引きの森]、水波、等々の紋様を、彼女たちは、目を閉じたままでも縫い付けることができる。絵巻物師の娘は、五歳になると中庭に座り、母親や祖母から、土塵の上に指で紋様を描くことを学び、身につける。良家の奥様方や女召使いたちは、触れるのを怖れて離れてすわり、彼女たちの自由自在な針の動きを感嘆したまなざしで見つめ続ける、そして遠い村々のいろいろな家の噂話を聞く。饒舌な絵巻物師の女たちは、奥様方の顔に目を遣り、針を動かしながら語り続ける、どの村のどの家の嫁が新しい腕環を身につけたか、その腕環の紋様はどんなか。どの村のどの家の嫁の腕環が、突然消え失せたか。どの家の奥様の声が、クルクシェートラ [パーンダヴァ王家とカウラヴァ王家の主戦場(『マハーバーラタ』)] のどの角笛のように甲高く響きわたるか。どの家の嫁の話しぶりが貝殻を削る鉋のようで、良い噂も悪い噂も、どちらも撫で切りにせずにはおかないか――等々。

ショロッショティは、さらに加えて、奥様方や女召使いたちをネタに、面白半分に冷やかし、笑いに顔を綻ばせながら即興で気の利いた俚諺を唱え、男女間の情愛のさまざまな機微を説いて聞かせる。彼らが彼女に、ゴノポティについて何か質問をしようものなら、それはもう、えらいことになる。サリーの裾で口を覆って恥ずかしがるフリをしながら彼女は笑い始め、その笑いは止むことを知らない。しまいには縫っていた針を片付けて言う―― もうこれ以上、無理ですわ、奥様。今日はこれで失礼して、明日また参ります。あの人ったら、まるで敵に喰らいつくみたいに、一度しゃぶりついたら、やめろと言ってもきかないんですよ!

ショロッショティが立ち去ると、女たちは、自分たちが貞操を律し品行方正であることを見せつけるために、口を揃えて言う ―― ショロッショティの恥知らず、死んだ方がマシよ! いくら年寄りとはいえ、旦那は旦那でしょ! それを物笑いの種にするだなんて!

ショロッショティの笑いはしかし、それでもまだ止むことはない。帰り道を歩きながらひとりほくそ笑む、あるいは家に帰ると、絵巻を描くのに忙しいゴノポティに向かって笑いかける ―― 奥様連中、何て言ったと思う?

絵巻から目を離して彼女の顔の方を見つめると、ゴノポティは微笑を浮かべながら聞く ―― 何て言ったんだい?

口をサリーの裾で隠すと、その彼を指さしながら ―― あんたのことを、聞いたのよ。

好奇心を唆られ、ゴノポティは、手にしていた絵筆をいったん下に置いて尋ねる ―― 何を聞いたんだい?

―― あのねえ ……  生真面目になろうと努めながら、ショロッショティは答え始める ―― あのねえ …… だが、それ以上続けることはできなかった。

―― 何て言ったんだい?

ガラスの器が、突然、美しい響きとともに砕け散ったかのようだった。無邪気な声で笑い転げると、ショロッショティは言った ―― どうして老いぼれと結婚したのかって ……

ゴノポティの顔は好奇の笑みに輝いた ―― で、おまえは何と答えたんだ?

―― あのね、こう言ったのよ ―― 老いぼれだからと言って、奥様、捨てたもんじゃありませんわ。10万ルピーの値打ち物ですわよ。死んだ象にも10万ルピー、って諺がありますでしょう? 私のこの象は、老いぼれとはいえ、まだ死んでもいないんですよ。ゴノポティとはつまり、象神(ガネーシャ)のこと。ガネーシャ神には、ながーい鼻が、ついているんですから!

ゴノポティははあはあ大笑いをすると言った ―― 何度も肩を揺すって賞讃を表しながら ―― よくぞ言った、ショロッショティ ―― まったくおまえの言う通りだ。老いぼれ象! ゴノポティとはつまり、ガネーシャ神! ガネーシャの頭には、長い鼻! まさに、図星だ!

ショロッショティは、足を投げ出してすわると、微かに笑い始めた。

ゴノポティは、不意に絵筆を手に取ると、ショロッショティの投げ出した足の片方を左手でつかんで言う ―― 絵筆で、おまえの足にアルタ [漆をベースにした赤い汁を、足の甲・指・踵の回りに塗る。女性の化粧のひとつ] を塗ってやろう!

ショロッショティは一瞬眉を顰めたが、次の瞬間、お歯黒を塗った歯を見せつけて笑い始め、―― でも、あの子たちが来たら、言いつけちゃうわよ!

ゴノポティは、それに答えることすらしなかった。あの子たちとは、遠縁の孫に当たる村の若者たちである。毎日日暮れ時になると、彼らはここに礼拝(ナマーズ)に来、それが終わると夜更けまで雑談に花を咲かせ、一騒ぎする。彼らは徒党を組んで次々に謎々を繰り出し、ショロッショティを打ち負かそうとする。ショロッショティはひとりそれに立ち向かうと、彼らに向けて謎々の矢を浴びせ返す。老いぼれゴノポティは微笑を浮かべながら傍観している ―― 必要とあらば仲裁に入って、甲乙をつけるのにも(やぶさ)かではない。

 

絵巻物師たちは、イスラーム教徒であるにも拘わらず、日々の習慣・身振り・名前においては完全にヒンドゥー教徒である。イスラーム風の礼拝(ナマーズ)をするいっぽう、ヒンドゥーのブロト儀礼や宗教習慣も守り、ヒンドゥー教で禁じられているものを食べもしない。男女の神々の像を造り、絵巻にヒンドゥー教のプラーナ聖典に基づく物語の絵を描く。その絵巻物を見せながら、節をつけて神々の戯れの物語を吟じ、喜捨をもとめる。出自を問われると、イスラームと答える。農耕には手を染めない。家、行商する道、所帯持ちの家々の扉――この三つ以外に、土との繋がりはない。まさにこのために、ショロッショティのような女であっても、彼らの社会は罰することをしないのだ。だが、彼らの舌も、やはり人間の舌である ―― 誹謗中傷には事欠かない。絵巻物師の居住区は、ショロッショティに対する悪口雑言に満ち満ちていた。だが、遠い地平線の稲光のように、その悪口の兆しは見えても、生命を脅かす稲妻や雷の轟きがショロッショティとゴノポティの目の前に姿を現わすことは、これまで決してなかった。その稲光の熱と雷の轟きに、ショロッショティは、その日初めて出くわしたのだ。その日、市からの帰り道、ショロッショティには彼女と同年輩の女の共連れがいた。彼女の日暮れ時の集まりにいつもやって来る、遠縁の孫の連れ合いである。途次の人気ない野原で、その女は言い掛かりをつけて口論を始め、まさに稲光のように火を噴き、ショロッショティに向かって金切り声を上げた ―― この恥知らず! ひとでなし! 首に縄を巻いて、死んじまえ、首に縄を巻いて!

ショロッショティは大笑いして言い返した ―― 首に縄を巻いて、ムクバナタレオボク [幽霊の住処と信じられる] の枝にかけると、お化けが恐くってね。あんたの旦那に縋りたくなるわ!

共連れの女は前後を失い、ショロッショティのもとを離れると、横道に逸れて別の村の方角に向かった。

家に戻ると、ショロッショティは口をサリーの裾で覆い、身を踊るようにくねらせ、笑いながらゴノポティに向かって言った ―― いいものを手に入れてきたわ!

ゴノポティは、クリシュナ神物語の絵巻を描いていた。彼は驚く様子も見せず、笑みを浮かべて言った ―― 何だい?

―― ごらんなさい!

彼女は籠を開けて中を見せた。

―― おやおや! こんなにたくさんの小粒トウガラシ、どうする気だ?

―― 近所に配るわ!

―― どうしてだ?

ショロッショティは笑い崩れた。それでも何とか自分を抑え、道での出来事を洗いざらい話すと、笑いながら言った ―― 私が育てたトウガラシだ、って言ってやるわ。トウガラシを食べたオウムはとても口まねが上手なの、あんたたちも食べてみるがいいわ、私の言うことなら、何でも聞くことになるから、ってね!

ゴノポティは、口に悪戯っぽい微笑を浮かべ、魅せられたように彼女の顔を見つめていた。

―― どうしたの、黙っちゃって? 老いぼれ象の頭に、鉤棒を一突き、お見舞いしましょうか?

こう言うと、ショロッショティは、また口をサリーで覆って笑い始めた。

ゴノポティは言う ―― トウガラシより、チテ・コドマ [コドマ(カダムバ)の花の形をした、ねっとりした甘菓子、コドマ菓子はショロッショティ女神の祭祀で振る舞われる] を配ったらどうだ、やんちゃ娘のショロッショティさん? みんなの歯にひっついて、口を開けることができなくなるぞ!

―― そんなの、つまんないわ!

ショロッショティにはこの考えが気に染まなかった。

しばらくして、ゴノポティはショロッショティを呼んだ ―― ごらん!

彼は、新しい絵巻物の、描いたばかりの場面を彼女に示した。ヤムナー川のガート [川岸にある階段状の共有施設、沐浴・洗濯などに使われる] で、一人の女の顔を別の女が指さしながら、怒りに目を見開いて佇ちつくしている。

クリシュナ神物語の絵巻物の中に、ショロッショティは今まで、このような場面を見たことがなかった。彼女は驚いて尋ねた ―― これ、いったい何の絵なの、師匠?

ゴノポティは、左手で絵巻を差し上げ、右手で絵を指し示しながら、節回しをつけて誦し始めた ――

 

           クティラーは 両の目を ギラギラ燃やし、

           歯ぎしりしながら ラーダーに言う:

           「このライの 恥知らず! ひとでなし!

           おまえみたいな面汚し この牛飼い村(ゴークラ)に、他にいないわ!」

 

ショロッショティは、地面に身を転がして笑い始めた。長いことこうして笑うと、身を起こしてすわり直し、絵の方に目を注ぎ始めた。そして言った ―― でも、クティラーの鼻を、もう少し上に向けてやればよかったのに! こーんな風に!

こう言うと、彼女は鼻に皺を寄せて、上に向けて見せた! ゴノポティは笑った。ショロッショティは、改めて、一心に絵を見つめ始めた。もう一度眉に皺を寄せて、口を開いた ―― いったい、どの店の絵の具を取り寄せたのかしら? どの色もみな、埃っぽくて、がさがさしているわ。

―― 土埃がついたんだよ、絵の具のせいではない。道に面した部屋、ファルグン月 [2月半ば〜3月半ば、春の季節] の田舎道だ …… 馬車や牛車が通る度に、埃が舞い上がる!

この言葉にも、ショロッショティは笑い転げる。

―― あんたの頭、どうなってるの! ひ ひ ひ ひ! 一本一本、白髪の先っちょに、土埃がくっついてるわ …… カダムバの花に、そっくり!

 

共連れの女が腹を立てたのには、理由があった。女の夫の絵巻物師ゴノッシャムは、ゴノポティの孫仲間の中で、ショロッショティが一番可愛がっている相手なのだ! ゴノッシャムは、煉瓦造り職人として、結構な実入りがある。時代の変化とともに、絵巻物師の男たちは、いくつかの新しい仕事をするようになった。以前、彼らは絵巻を描いた――絵巻物を見せながら節回しをつけて物語を誦した、絵巻物がなくてもモンディラ [鐘青銅の小さなシンバル] を鳴らしながらプラーナ聖典の物語を誦し、神像を作り、人形を作り、煉瓦造り職人として働いた。手先が器用でない男たちは、土の家を作ったものだ。いま彼らは、壁に油絵の具で蓮の葉や花の模様を描く――木材に彩色したりニスを塗ったりもする。中には織工の仕事をする者もある。ゴノッシャムは彩色の仕事を覚えたので、あちらこちらの裕福な家に出向いて壁に色を塗る。街の市場から、彼は、ショロッショティのため、並みのジョルダ [タバコの葉に薬物を混ぜて作る香辛料、キンマの葉に包んで食する] を毎回手に入れる。銀色ジョルダやキマム [ミントの香りの彩り豊かな香辛料、キンマの葉に包んで食する]、あるいは他の贅沢品を、二三供することもある。

ゴノッシャムは彼女を、「輝き姉さん(ランガ=ディディ)」と呼ぶ。

ショロッショティは、お歯黒を塗った歯を露わにして、彼を「黒い黄金(ケロ=ショナ)」と呼ぶ。

ゴノッシャムは色黒である。ゴノポティ自身が、彼にこの綽名をつけたのだ。

その日、ショロッショティが配り歩いた激辛の小粒トウガラシは、近隣の家々に不快の種を撒き散らした。孫たち一行は、渋面を引っさげてやって来た。ゴノッシャムに対する偏愛は、これまで、丸のままのトウガラシのように、それがもたらすにはおかぬ苦痛を、秘密めかした冗談の蔭に覆い隠してきた。この日、ショロッショティ自らその覆いを引き裂き、中にある毒を解き放ったのだ。ゴノッシャムもやって来たが、彼も気分を害していた。彼の妻が彼を烈しく責め立てたのだ。

ゴノポティは新しい絵巻物を見せていた。ショロッショティは料理しながら、いつものように、面白おかしい謎々の矢を、次々と繰り出していた。だが、相手の孫たちからは、今日はなかなか反応が返ってこない。ショロッショティは水が足りなくなったので、水甕を腰に載せて立ち上がった。 ―― 誰が案内してくれる? あんたたち色男の中で?

一人が言う ―― あんたの黒い黄金(ケロ=ショナ)がいるだろ?

―― じゃあ、あんた来て、私と一緒に。

ゴノッシャムは立ち上がった。

一人が言う ―― 黒い黄金(ケロ=ショナ)が行くとして、労賃を払うのかい、輝き姉さん(ランガ=ディディ)

縁側から中庭に下りると、ショロッショティは振り返ってその場に立ちつくす。

―― 何のための労賃? ただ働きをするのに、いったい誰が労賃をもらえるというの?

―― どんでもない! ゴノッシャムは、ただじゃ働かないぜ!

――ただ働きしない、ですって?

―― そうさ。やつは黒い黄金(ケロ=ショナ)だ。黒い色の黄金、黄金の石の器だ。それが、どうしてただ働きしなきゃならねえんだ?

ショロッショティは、高らかな笑い声とともに言った ―― それもそうね! ねえ、黒い黄金(ケロ=ショナ)、労賃に何がほしい?

ゴノッシャムが口を開く前に、一人が声を上げた ――

 

           他の女伴侶(ショキ)なら 駄賃は 1アナ [4パイサ

           ラーダーからは 黄金の耳飾り!

 

別の一人が、すぐさま口を開く ―― あんたを輝き姉さん(ランガ=ディディ)と呼ぶのはもうやめだ …… これからは「色女(ビノディニ)」だ。

 

           黒い黄金(ケロ=ショナ)が 名前をつける ラーダー色女(ビノディニ)

 

あんたの名前は「色女(ビノディニ)」だよ。

ゴノポティは大笑いして言った ―― おい、孫よ、よくぞ言った。その褒美に、おまえがまずこいつを吸うんだ! さあ、受け取れ!

彼は、水煙管を丸ごと差し出した。

ショロッショティは開けっぴろげに笑い始め、身体を大きく波打たせ、身を翻してガートに向かって佇むと、口を開いた ―― じゃあ、笛を持ってきなさいな、黒い黄金(ケロ=ショナ)。ガートの縁に立って、あんたは笛を吹くのよ …… 私はそれに合わせて、水を何度も、汲んだり捨てたりするわ。

ショロッショティのこの恥知らずな言動を前に、孫たちの一団すらも、この日、呆然としたのだった。ゴノッシャムとの間の秘かな恋愛を、こんな風にあからさまに宣言したのを見て、彼らは、全身嫌悪に総毛立った。一人がゴノポティに向かって言った ―― おれたちはあんたを尊敬するし、愛してもいるよ …… だが、今度という今度は、首を縊って死んじまった方がいいぜ! この恥知らず!

ゴノポティは、それに応えて、集まった孫たちの数を数え始めた。皆、驚いて彼の顔を見つめていた。数え終わると、いかにもがっかりしたというように、彼は言った ―― 多すぎる。五人どころか、八人もいる。五人だったらなあ …… あいつの名前を、ドラウパディーにしたんだが …… おまえたちも、パーンダヴァ族の兄弟になれたんだが。 [ドラウパディーはパーンダヴァ族五人兄弟の共通の妻(『マハーバーラタ』)

言い終えると、老いぼれゴノポティは、微かに笑い始めた。

孫たちは、数瞬、沈黙を守ると、そのまま一人、また一人と立ち上がって、その場から去った。

ショロッショティは、高らかな笑い声をあげながらガートから戻った。ゴノッシャムは、黙って明かりを足下に置くと、虚(うつ)けのようにその場に立ちつくした。ゴノポティは言った ―― すわったらどうだ、黒い黄金(ケロ=ショナ)

ゴノッシャムはごくりと唾を呑み込むと言った ―― 夜も更けたんで …… いや …… 帰ります。

こう言いながら、彼は退散するのに忙しかった。ショロッショティの笑いは、さらに弾けた。

ゴノポティは、何も聞き質すことをせず、刻みタバコの葉を煙管に詰め始めた。ショロッショティは、口をサリーの裾で覆うと、笑いながら言った ―― 老いぼれと別れて、おれと結婚しろ、ですって!

ゴノポティはギクリとして顔を上げ、ショロッショティの顔の方を見遣ったが、次の瞬間には、彼もまた微かに笑い始めた。

 

翌日から、孫たち一行は、ゴノポティの家に礼拝(ナマーズ)をしに来なくなった。別のある年寄りの絵巻物師の家を、礼拝(ナマーズ)の集いの場とした。絵巻物師オビラムは、財においてはゴノポティに引けを取らない。彼は、優秀な煉瓦造り職人で、趣味のいい紋様を描くのが得意である。だが絵巻物師の伝統の点から言うと、煉瓦造りの仕事はこの社会ではさして価値がない。オビラムは、こんな風に思いもよらず、礼拝(ナマーズ)をする若者たちすべてを手中にする機会を得て、欣喜雀躍した。彼は、軽食やタバコばかりか、一束のビリまで用意したのだ! ドゥギとタブラ [伴奏用の左右一対の太鼓  にモンディラを買い揃え、物語歌を競い合う集いのお膳立てまでしたのである。

だが、ゴノッシャムだけは、ゴノポティの家に通うのを止めなかった。このことをめぐって、絵巻物師たちの女社会は非難囂々(ごうごう)だった。彼女たちは、ショロッショティと一緒に商いに出かけることすら打ち切ったのだ。だがそれでもショロッショティには何の支障もなかった。腕環や人形を入れた籠を頭に載せて、彼女はひとり、村々を巡り歩いた。近隣の女たちの口から口へと、あたり一帯に彼女の醜聞が伝わったため、市では、蜜に群がる蜂のように、彼女の売り物の前に人だかりができるようになった。人通りの少ない道端でさえ、買い手の一人や二人には事欠かない。ショロッショティは、すぐその場で、腕環や人形の入った籠を下ろしたものだ。彼女の輝き姉さん(ランガ=ディディ)という呼び名すら、誰もの知るところとなった。買い物客たちは、笑いながらこう呼びかける ―― 輝き姉さん(ランガ=ディディ)

彼女は答える ―― どれがお好き、お孫さん!

ゴノッシャムは、ある日、これを聞いて腹を立てた ―― 何が輝き姉さん(ランガ=ディディ)だよ、バカバカしい!

ショロッショティはそれには答えず、彼を鼻であしらって事を荒立てた。

―― 笑うんじゃない、笑い事じゃないだろ!

次の瞬間、彼女は口をサリーの裾で覆い、湧き起こる笑いに身を任せた。

ゴノッシャムは腹を立ててその場を去った。それから二日間、姿も見せなかった。三日目に、ショロッショティは籠を頭に載せて、一里ほど離れたゴパルプルへ向かう道を辿った。ゴノッシャムは、いま、その村の大地主家の古い館を、新たに塗り替えているところだった。旦那方が、都会を離れ、この家に住むことになるのだそうだ。村では、ショロッショティはもはや誰の家にも行かない。行くと、女たちが、なりふり構わず、口論をふっかける。

巨大な柱の列に支えられた、大地主家の本館事務所である。正面入り口の両側には、石灰塗りの白い二頭のライオンの像がある。ショロッショティは、入り口の扉の前に立ち、顔を笑いに綻ばせると声を張り上げた ―― いらんかね〜! いろど〜り〜 う〜で〜 

最後まで言い終えることができず、無邪気な笑いを爆発させた! だが、その笑いは突然遮られた。事務所の入り口の扉の前に、二十歳過ぎの、どこかの王子様に見紛う黄金の姿が現れたのだ!

ゴノッシャムも出て来たが、彼は蔭に隠れて、何度も手で合図を送っていた ―― 退散しろ、退散しろ! と。

ショロッショティは、だがその時、ゴノッシャムの合図を受け止める余裕がなかった。驚きのあまりその目はうっとりと見開き、王子様の方に釘付けになっていた。

若者は、実際、王子様、即ち大地主家の長男だった。最近、学位認定試験を終えて、前の日にここにやって来たのだ。ここで何日が休養を取る予定である。彼は眉を顰めて口を開いた ―― 何の用だ?

―― 腕環、彩り腕環があるんです。いらんかね?

若者は声を上げて笑うと言った ―― 腕環をどうしようって言うんだ?

ショロッショティは、一瞬気勢をそがれた。だがすぐに言葉を見つけて返した ―― 奥様の手につけて差し上げましょう。

―― その奥様はいないよ。腕環はいらない。

―― 人形、人形はいらんかね?

―― そんなもの、どうするんだ?

―― テーブルに飾ったらいいですよ。白人の旦那方も、私たちの人形を買って行くんです。

―― そうなの? 見せてごらん、君の人形を。

ショロッショティは頭から籠を下ろした、彼女なりの恭しい素振りを見せながら、しかも生まれて初めてサリーの裾を引いて、頭をしっかり覆い隠したのだ。そうしてから土製の人形を取り出した――「ふさふさ髪」、「着飾り娘」、「庭師の女」、「牛飼い女」、馬、虎、ライオン。

王様の息子は、すっかり心を奪われて言った ―― うわ〜! この人形、君たちが作ったの?

―― そうなんですよ!

馬を取り上げて、ためつすがめつ眺め、若き地主は言った ―― これ、馬なの?

―― そうですよ。翼の生えた馬です。空を飛ぶんですよ! ふつうの馬じゃありません。

―― なるほどね。で、いくらなの? 言ってごらん?

ショロッショティは、含み笑いをすると、頭を隠したサリーの裾をさらに引いて言った ―― あらまあ! 値段なんて、私には言えませんわ …… お代をいただくだなんて! お布施をくださいな。あなた方の施しが、私たちには宝の山です!

地主の息子は、1ルピー札 [= 64パイサ] をショロッショティの前に投げた。ショロッショティの顔は輝いた、人形の値段は一つ2パイサで、7つの人形に14パイサ以上払う者はいない。彼女は1ルピー札を拾い上げると、それを額に当てて拝み、サリーの端に縛り付けた。そうした後も彼女は立ち上がらなかった。改めて口を開く ―― 絵巻物はいらんかね? 絵巻物は?

―― 絵巻物?

―― はい、ラーマーヤナ、クリシュナ神の戯れ、ゴウランゴ [「白い肢体」の意、チャイタニヤの別名] の戯れ! 白人の旦那方も買って行くんですよ!

―― おお、そうなの! 絵巻物か! 君たちは、絵巻物も描くのか? でも新しい絵巻はダメだよ、古いやつがほしい。ある? 君たちのところに?

―― はい、うちの主人は昔からの絵巻物師で、60歳の年寄りなんですが ―― その筆で描いた絵巻物があります。

―― その主人って、君の旦那のこと? 60歳の年寄り?

―― はい、その通りですわ。

ショロッショティは頭を下げ、膝の間に顔を突っ込むと、くすくす笑い始めた。

ゴノッシャムは、蔭に隠れて、最初から何もかも聞いていたが、ショロッショティの押し殺した笑い声を耳にして、全身、嫌悪に総毛だった。

 

翌日の真っ昼間、再び甘い声が高らかに響き渡った ―― いらんかね〜! いろど〜り〜 う〜でわ〜 ……

地主家の事務所の窓に王子様の姿が現れた。―― 絵巻物を持って来たかい?

頭に載せた籠を下ろし、頭をサリーの裾で隠すと、ショロッショティは笑って言った ―― あらまあ! 王様が命令されたのに、持って来ずにいられますか?

―― だって、彩り腕環って、言ったじゃないか?

―― いらんかね〜 絵巻物〜 って、変な響きでしょう? こう言うと、彼女は、空いた手でサリーの裾をさらに引き、口を覆って笑い始めた。

―― さあ、君の絵巻物、部屋の中に持っておいで。

部屋に入ると、籠を下ろし、ショロッショティは口を開いた ―― とってもいい絵巻物を、持って来ましたわ。「ゴウランゴの戯れ」の。

―― 「ゴウランゴの戯れ」絵巻って、そんなにいいの?

―― ゴウランゴの絵巻、きっと気に入りますわ。あなた様、ゴウルチャンド [「白い月」の意、チャイタニヤの愛称] のような肌の色で、同じように美しくいらっしゃる ……

―― 何てこと、言うの!

―― そうですわ。私、あなた様を、ゴウルチャンドと呼ぶことにしたんです。ごらんなさい ―― こう言うと、絵巻物を広げ、彼女は節をつけて誦し始めた ――

 

           黄金のゴウルが行く 道を光り輝かせ

           娘たちは 羞じらいのあまり 死んでしまいそう 

           ああ、誰もこの方を 縛れはしない。

 

30ルピーで三つの絵巻を売って、ショロッショティは、浮かれた仕草で、意気揚々と、身をくねくね踊らせながら家に戻った。3枚の10ルピー札をゴノポティの前に投げ出すと言った ―― ほら! 私のゴウルチャンドが、どんなに気前がいいか、分かるでしょ! 次の瞬間、口をサリーの裾で覆って笑い始めた。

―― 言っちゃったのよ、旦那に …… 怒らなかったわ …… こう言ったの、あなた様を、ゴウルチャンドと呼ぶことにしたんです、ってね。顔が辰砂色の雲みたいに、真っ赤になったわ。

ゴノポティも笑った …… この日は、だが、彼の笑いは翳っていた。彼は言った ―― だが、ゴウルへの愛は、こいつらには我慢できないぞ。女たちはホラ貝の棘のように口さがないし、おまえの黒い黄金(ケロ=ショナ)も、それに調子を合わせているんだ …… おまえが死んでも、葬ってやるもんか、と言ってな。

ショロッショティは口を覆って笑いながら言う ―― あらまあ! それなら、私、怖くて死んでしまうわ。あんたより前に私が死ぬなんて、私、考えたことないの。あんたはまた、嫁をもらうのよ …… キラキラ輝く …… チャンパの花のような色の。

ゴノポティは笑って言った ―― そういうわけにはいかないさ、輝き奧さん(ランガ=ボウ)。わしの身体は、もう、言うことを聞かん。

ショロッショティは笑う、寂しげな笑いを。 ―― そんなこと、考えたらダメよ。

ゴノポティは、それ以上何も言わなかった。

次の日の昼、再び、ゴパルプルの道に、呼び声が響いた ―― いらんかね〜、いろど〜り〜 腕環!

 

ゴノポティが言ったことは本当だった。だがショロッショティの目には留まらなかったのだ。ゴノポティの身体の中は、空っぽになっていたのだった。それから10日あまり経ったある日、ショロッショティがそのゴパルプルから帰って来て見ると、絵筆を手にしたまま、描きかけの絵巻物の前で、ゴノポティは、ぴくりともせず、凍りついたように倒れていた。抑え難い震えにぶるぶる身体を震わせながら、彼女はその場にへたり込んだ。

ゴノポティは死んだが、彼が生前心配していたことは、杞憂に終わった! 彼の孫の一団は、駆けつけずにはいられなかったのだ。だが、ショロッショティを慰めに来る女は、一人もいなかった。

ゴノポティの埋葬が終わった後、孫たちは、久方ぶりに、また輝き姉さん(ランガ=ディディ)の縁側にしばらくすわって時を過ごし、家に帰った。

三日ほど後のことである。

ゴノッシャムが朝早くやって来て、縁側に腰をおろした ―― おい、どうしている?

ショロッショティは笑って答える ―― あら、いらっしゃい、色男さん!

前置きなしで、ゴノッシャムは言った ―― さあ、どうするつもりだ?

口をサリーで覆って、ショロッショティは言う ―― 何のことかしら?

―― 結婚の話だ。どうする気なのか、言ってみろ?

―― ダメよ。後妻と一緒に住むなんて、私にはできないわ!

―― あいつと、もし別れたら?

―― ふーん …… それなら、一緒になってもいいわ。

―― 待ってろよ!

―― わかったわ! 私の黒い黄金(ケロ=ショナ)の約束ですもの。いいわね?

―― だがな。おまえ、今までみたいにうろつき回るのは、なしだぜ。

―― いいわよ!

この話には、しかし横やりが入った。孫の一団の旗頭、ディジョポドが姿を現した ―― おおい、輝き姉さん(ランガ=ディディ)はいるか?

―― あら、兄弟、どうぞいらっしゃい!

ショロッショティは笑みを浮かべて迎え入れた。

ゴノッシャムは立ち上がってその場を去った。ディジョポドが代わって腰をおろすと、切り出した ―― それで?

ショロッショティは笑いながら ―― 私の話はこれでおしまい、ヒユの葉は萎れちゃった。ヒユの葉よ、あんたはどうして …… [口承の物語の最後の台詞

ディジョポドは、気圧された笑いを浮かべながら ―― ふん、バカバカしい!

―― 何よ? 何がバカバカしいのよ?

―― 老いぼれ爺さんが死んで、おまえがどうする気か …… 聞きに来たのに …… なのに、おまえは ……

―― 老いぼれが死んだんだから …… 私は結婚するわ。

―― ふむ。 それなら ……

―― いいえ! 後妻と一緒に住むなんて、私にはできないの。お帰りなさい。

―― おれが、もし別れたら?

―― そうしたら、いらっしゃい。私、台座(ピンリ)婚礼の時、その上に花婿と花嫁が共に立ち、祝福を受ける] を広げて待っているわ。いまはお帰りなさい …… 私、ゴパルプルの地主の旦那に、人形を届けることになっているの。

彼女は籠を整えると、扉に錠を下ろし、家の外に出た。錠を下ろす時、深いため息をつかずにはいられなかった。老いぼれはあの場所にすわって絵を描いたのだ。錠を下ろす習慣が彼女にはなかった。

静まり返った正午。

ゴパルプルの道に呼び声が響いた ―― いらんかね〜! いろどり〜 う〜で〜わ!

だが、地主家の窓が、この日開くことはなかった。どこにもコトリとも音がしない。どの窓も緑色の左右の開きがぴったり閉じられ、一部の隙も見えない!

ゴウルチャンドは立ち去ったのだ。

 

絵巻物師の居住区は、ほとんどどの家も、忍び泣きのくぐもり声に満ち満ちていた。若い嫁たちは、秘かに顔を覆って涙に暮れていた。だが、誰も、他の嫁たちが泣き暮らしていることを、知る由はなかった。旦那たちは、彼女たちと別れることに、意を決したのだ。

だが、驚くべきことには、ショロッショティは、死なずして彼らを解き放ったのである。

次の朝起きると、皆の目の前から、ショロッショティは姿を消していた。どこに行方をくらましたのか? 孫たちは皆、互いの消息を探り合い、互いの姿を見て安堵した。彼らは残らず家にいた ―― ただ彼女ひとりがいなくなったのだ。

誰もが慌てて裁判官(カージー)のもとに走った ―― 離婚願いを取り下げるために。女たちは涙を拭い、罵詈雑言に明け暮れた。

 

彼女をショロッショティの名で知る者はいない。輝き姉さん(ランガ=ディディ)の腕環と土人形の店は、街では有名である。

熟れたマンゴーのような色白の肌をした、歳のいった輝き姉さん(ランガ=ディディ)の顧客たちは、決まって、彼女の手製の品物を買い求める。七、八歳の子供たちは、しょっちゅう人形や腕環をこわし、新しいものを買いに来る。

―― 何がほしいの、坊や? 天馬? 昨日買ったのは、人食い鬼が食べちゃったの?

―― なあに、嬢ちゃん? 今日は、どの腕環? 「心の(とりこ)」? それとも「青い宝石」?

絵巻物師のばばあには、山ほど金がある、との噂である。

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プロフィール

bengaliterature

Author:bengaliterature
大西正幸(おおにし・まさゆき)

東京大学文学部英語英米文学科卒。1976~1980年インドに留学。ベンガル文学・音楽などを学ぶ。オーストラリア国立大学文学部言語学科にて、ブーゲンビル(パプアニューギニア)の少数言語モトゥナ語の記述研究でPh.D.取得。名桜大学(沖縄)教授、マックスプランク研究所(ライプツィヒ)客員研究員、総合地球環境学研究所客員教授などを経て、現在は同志社大学文化遺産情報科学調査研究センター嘱託研究員。専門はベンガル文学・口承文化、記録・記述言語学、言語類型論。

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