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チョンディ女神になった新嫁

チョンディ女神になった新嫁 解題

 

ビブティブション・ボンドパッダエのこの作品は、前回掲載の「押し車」と同様、彼の最初の短編集『雨を呼ぶラーガ(メーグ=マッラール)』(1931)に収められています。原題は「(ボウ)=チョンディ神の野」ですが、わかりにくいので、このように題を変えました。

 

チョンディ(サンスクリット読み「チャンディー」)神は、もともと、先住民の間で信仰されていた森の女神が、ヒンドゥー教の浸透とともにシヴァ神の妻ドゥルガー女神の化身として神々の中に座を占め、代表的な女神として広く信仰されるようになったと言われています。しかしそのいっぽう、ベンガル農村の女性たちが日常的に供物を持って祈願に訪れる女神の聖所は、多くの場合立派な寺院ではなく、木の下に土偶を並べただけの簡素なものです。このように、民間のチョンディ神信仰は、もともとの土俗的な性格を保持しています。

この作品は、ベンガルの口承文化の中で、このような土俗的な女神信仰が、なぜ、どのようにして生まれるかを描いた、由来譚として読むことができます。物語に登場する「ウロ=チョンディ」、「ボウ=チョンディ」といった、女神の名前の前につく修飾語は、そうした土俗信仰の、さまざまな由来を物語るものです。

 

また、この作品では、ベンガル農村の自然景観が細部に至るまで描き込まれており、そうした景観を彩る多様な植物の名前が、たいへん多く登場します。煩雑になるため、前回と同様、いちいち注をつけることはしませんでした。関心がある方は、西岡直樹さんの『インド花綴り』および『とっておきインド花綴り』(いずれも木犀社)をご参照ください。

 


 

チョンディ女神になった新嫁

ビブティブション・ボンドパッダエ

 

村の川の淀みに入り込むと同時に、舟はイヌタヌキ藻の群れに絡め取られた。

土地測量官のヘメン旦那は言った —— アラビヤゴムモドキの木の幹に、縄を回して、縛り付けるんだ ......

川の本流の方で引き潮が始まったため、リスノツメの棘だらけの茂みの下から水が退いて、少しずつ川泥が見え始めていた。

ヘメン旦那は言った—— ちょっと舟から下りて、どこにピンポールがあるか、確かめてくれないか? なるべく早く、カナプリでの測量を終わらせたいから ......

その午後のひとときがあまりに美しかったので、私はとても仕事をする気になれなかった。後続の連中が舟から下り、場所を決めてテントを張るだろう。測量担当の監査官がまもなく県庁からやって来ると言うので、できるだけ早く仕事を始めようと、全員が急いているのだ。副官補佐のヌリペン氏は、仕事を覚えるため、今回はじめてカナプリでの仕事にやって来た。歳はまだいっていない、若造である —— だが彼は、川なかで舟が揺れる毎に、ひどく怯えていた。たぶん、恐がっているのを知られたくないのが理由で、いまの今まで、屋形の中に眠るふりをして横たわっていたのだ —— それが、陸に舟が着いたと見るや、さっそく屋形の中から姿を現した。そしてその少し後、ヘメン氏と言葉を交わすうちに、何かをめぐって、やや喧嘩腰になったのだった。                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                  

私はヌリペン氏に言った —— 借地法がどうのこうのと、いい加減になさいな。そんなことより、舟から下りて、テントの場所を決めに行きませんか —— 明日の朝からすぐに仕事が始められるように ......

チョイトロ月が終わろうとしていた。村を流れる川の両岸に溢れかえる、蔓のように伸びた緑色の木々には、チョウマメの青い花びらが咲き誇っている。竹藪はところどころ川縁に垂れ下がり、その下ではアコンドやゲントゥの茂みが、そよ風に吹かれながら、花籠を頂いた頭を揺らしている。陽に灼かれ褐色になった雑草が辛うじて生えている両岸の原っぱのところどころに、ほとんど裸のアラビアゴムの木が見え、その木に止まったシャリク鳥の群れが、キチキチ声をあげている —— 左岸の川縁の隠れ穴の中に彼らの巣があるのだ。川縁のオオカラスウリの茂みの下には、ところどころ、セイヨウノダイコンの群れが盛り上がって見え、そのちっぽけな黄色の花叢からは、ある種濃い、ナツメグのような香りが漂ってくる ......

陽がすこし翳り出してから、私たちは、川淀の横に広がる原っぱに、テントを張る場所を探しに出かけた。村は川縁から少し離れてはいるが、村の女たちが水を汲みに来るのはこの川しかない。私たちの舟が繋がれた場所の左岸の、少し離れた場所に、地面に階段を刻んだ土造りのガートがある。夏の日の夕刻、おそらくは水浴をしようとして川にやって来た、一人の村の老人に、私たちは訊ねた —— ロシュルプルは、どの村の名前ですか、旦那? 正面のあの村ですが、それとも、その横のですか?

彼は答えた—— いや、あれはクムレ村で、その横の村はアムダンガです ...... ロシュルプルは、この二つの村の向こう、一里ほどの距離ですわ ...... で、あなたたちは?

私たちの自己紹介を聞いて、老人は言った—— この野原に、テントを張るおつもりですか? 測量の仕事が終わるだけでも、5, 6 ヵ月は ......

—— それくらいはかかるでしょうね、むしろそれ以上 ......

—— ここは、神様の場所なんです。村の女たちが、祈願しに来るのですよ。ここより、もう少し離れた、川の入り口の方にテントをお張りなさい。でないと、女たちが、少し困ることになる ......

老人の名前は、ブボン・チョクロボルティ。測量が始まると、チョクロボルティの旦那は、自分の必要から、何度も書類を抱えてテントを訪れるようになった。彼はすっかり皆と顔見知りになり、親しく言葉を交わすようになった。彼が父親から受け継いだ土地を、いろんな連中が不法に占拠している、私たちの力で、それがもし解決できたら —— こんなようなことを、彼は私たちに、しょっちゅう言い聞かせた。

私はそこに長くはいなかった。カナプリでの仕事が始まったその日に、私は県庁所在地に戻るつもりだった —— だが、満ち潮を待つうちに、舟を出すのが遅くなった。チョクロボルティの旦那も、その日テントにいた。話のついでに彼に尋ねた—— この場所を「(ボウ)=チョンディ神の野」と呼ぶそうですが、それはどうしてですか、チョッコティ [チョクロボルティの口語形] の旦那? なにか、あなた方の ......

ヌリペン氏も言った—— ちょうどいい機会だ。教えてくださいな、チョッコティの旦那、「(ボウ)=チョンディ神」って、いったい何のことです? ...... 聞いたこともありませんや。

私たちの問いへの答として、チョクロボルティの旦那の口から、驚くべき話を聞くことになった。彼は語り始めた—— では、お聞かせしましょう、昔の話ですが。子供の頃、父方の祖母から聞いた話です。この地域の古老たちなら、この話は知っています。

 

当時、この村には、裕福な一家族が住んでいました。今となってはもう、その子孫の誰も残っていませんが、私が話している当時、その本家の主、ポティトパボン・チョウドゥリの名は、知らぬ者とてありませんでした。

このポティトパボン・チョウドゥリの旦那が、三度目の結婚をして、新嫁を家に迎え入れた時、彼の歳は50才を超えていました。さして高齢というわけでもありません。とりわけ、道楽好きの恰幅のいい方だったので —— 50才とは言いながら、年齢よりずっと若く見えました。新嫁を見て、一家の誰もが、たいへん満足しました。三度目の結婚ということで、チョウドゥリの旦那は、やや歳のいった、大柄な娘を選んだのです。年齢は17才になろうとしていました。顔貌はとても美しく、その輪郭は、まるでトランプのハートのエースのようでした。そのつぶらかな、鈴が張ったように大きく見開かれた両の瞳は、何とも言えぬ落ち着きに満ちていました。その働きぶり、そのもの静かな様子を見て、近隣の人びとは、こんな嫁は、今までこの村に来たことがなかった、と讃えました。彼女が話す時、その目はいつも地面を見ており、義理の叔母たちがたとえ自分より年少でも、その前ではサリーの裾で顔を覆います。誰もが口を揃えて、姿形だけでなく、その性格もラクシュミー女神のようだ、と噂したものでした。

でも、2, 3ヵ月して、大きな問題がひとつ、持ち上がりました。嫁は、他の点では申し分ないのですが、ただ一つ大きな欠点のあることが、誰の目にも明らかになったのです。彼女は、どうしても夫に寄り添うのがいやで、全力で避けて通ろうとするのです。最初のうちは、結婚し立てでもあるし、まだ子供なので、こんな振る舞いをするのだろう! と誰もが思ったものです。しかし、次第にはっきりしたのは、夫だけでなく、男であれば誰を見ても、彼女はわけもなく恐がって、身を震わせるのです。家に供犠か何かの大きな催しがあって、外からたくさん人が集まる日には、彼女は部屋から出ようともしません。夫の部屋には決して入ろうとせず、月に一日か二日、皆が優しい言葉をかけ、その身体を手で撫で、夫のもとに送ろうとしても、彼女は、一人一人の足下にひれ伏し、それぞれに哀願して、どうしても言うことを聞こうとしないのです。男性の声を聞いただけで、まるで凍りついたようになるのです。

さんざん説き伏せたあげく、ある日、皆で彼女を夫の部屋に送り込み、扉に閂をかけて閉じ込めてしまいました。チョウドゥリの旦那が、夜更けに部屋に入って見ると、彼の三番目の妻が、部屋の片隅に、おろおろした様子で佇みながら、ブルブル震えている。その後は、もはやどうあっても、決して彼女は夫の部屋に行くことを欲せず、家中の人びと全部の手足にすがりついて、皆にこう懇願したのです —— 私、とっても恐いんです、私のことをあんな風に送り込むのは、もう止めてください ...... お願いですから。 .......

何とか説き伏せようと、家人たちは躍起になりました。

何日か経ったある日、皆で示し合わせて、彼女を無理やり夫の部屋に入れ、外から扉を閉ざしました。彼らは、こうして少しずつ馴らしていけば、やがて恥ずかしさも克服するだろう、と思ったのです —— さもなくば、いったいいつまで、こんなもったいぶりを、我慢できましょうか? ところが、皆が明け方に起きて見ると、嫁の姿は部屋になく、家中どこを探してもその影も形もない。実家が近くの村だったので、そこに逃げたかと思って使いをやりましたが、使いが戻って来て言うには、彼女はそこにも来ていない、と。次に皆は、池に身を投げて死んだに違いない、と言い出す。池に網を投げましたが、何も見つかりません。嫁のあどけない顔と罪のない目つきが、おそらく人びとの胸に、他のどんな疑いも浮かぶ余地を、与えなかったのでしょう。四方八方手を尽くして、どこにもどんな消息も得られなかった時、チョウドゥリの旦那は、その心痛を慰めるため、四番目の妻を迎えたのでした。

ど田舎で、もの珍しい出来事も滅多に起きないので、この事件をめぐっては、長いこと、あれこれ噂が絶えませんでした。しかし、次第にそれも絶え、村は静まりました。この野原の東端、村の中に、チョウドゥリ家の屋敷がありました。当時は、ここを通って川が流れたものです —— 干あがって淀みとなったのは、つい最近のことで、私たちが子供の頃は、まだ、稲をいっぱいに積んだ舟が往き来するのを見たものです。次第次第に、チョウドゥリ家の人びとは死に絶え、家系に最後に残った人がひとり、ここを引き払って、他のどこかに住んでいます。こうしたことが起きたのはずっと昔、少なくとも七、八十年は経つでしょう。でも、その頃から今日まで、ここらの野原では、まことに不思議な出来事が起きるという噂です。

まもなくファルグン=チョイトロ月の猛暑がやって来て、牛飼いたちが、牛に草を食ませるために姿を見せます。彼らは、遠くから何度も見たのです ...... 野原を囲む森の中、人気ない真昼時に、竹藪の蔭に誰かが横たわっているのを ...... でも側に行くと、誰もその姿を見ることはできないのです。 ...... 日暮れ時、牛の群れを追って村の中に向かう時も、暗い薮の中から忍び泣く声が響いてくるのを、彼らは何度も耳にしています。 ...... 月明かりの夜、多くの人が、川のガートから戻る道すがら、シチヨウジュの木の下枝の下を通り過ぎる時、遠くに望まれる野原の夕闇に霞んだ月明かりの中を、白いサリーを着た誰かが、次第次第に遠ざかって行くようです —— 彼女の全身を覆う白いサリーに月明かりが落ちて、キラキラ光り続けています。 ...... 野原に夕闇が迫る頃、一面花に覆われたセイロンテツボクの樹下に立って目を凝らすと、誰かが少し前にここに立って枝を引き下げ、花を摘んで行ったように思われるのです ...... その人の小さな足跡が、点々と、薮が深まる方角へと向かっています。

野原の縁のこのシチヨウジュの樹の下が、ウロ=チョンディ神の聖所なのです。チョイトロ月の晦日に、村の嫁たちは、ピテ [黒糖・ココナツ等を米粉でクレープ状に包んだもの] 、絞りたての乳、そして取りたてのサトウキビから作った黒糖を持って、(ボウ)=チョンディに祈願をしにやって来ます。ボウ=チョンディ神は皆に安寧をもたらします。病気になれば治し、初産の母親に乳が出なくなっても、女神に祈りを捧げればまた乳が出るようになる。幼児の風邪は治り、息子が外地にいて便りが届くのが遅くなっても、女神に願を掛ければ、すぐにいい知らせが届く。女たちに困り事があれば、皆をその困難から救い出してくれる。 ......

 

チョクロボルティの旦那の物語は終わった。その後さらに、いろいろな話題に話が及んだ後、彼と他の皆は立ち上がり、帰って行った。

陽がだいぶ翳ってきた。夕風に吹かれて、シチヨウジュの森は、サラサラ音を立てている。村の野原は、ずっと遠くまで、凸凹のある土手とゲントゥの花の茂みに、すっかり覆われている。左の彼方には、煉瓦の野焼きのための古い窯の一部が、ウダノキの列の間から見え隠れする。

舟の船尾にすわって、迫り来る夕暮れ時、80年前に逃げ去った村の嫁の経緯に、思いを馳せていた。野原のただ中の、高く盛り上がった地表を覆う、ゲントゥの花の茂みに目を遣ると、こう思われてくるのだった —— 彼女は、きっと一日中、あの花叢の中に隠れてすわっていて、夜が更けてから、やっと、隠れ場から出て来るのに違いない。そして、野原の中にあるバンヤン樹の蔭に、黙ったまますわり、空の星の方を見つめるのだ、と。 ...... その側の薮に咲き誇るチョウマメの花の青に溶け込むように、川の水は流れる ...... シチヨウジュの森の鳥たちは、夢うつつの中、歌声をあげる ...... 向こう岸からは、ひゅうひゅう風が吹いてくる ...... 彼女は、おそるおそる、東の方角に目を遣っては、夜明けの光が差すまでに、あとどのくらいの間があるかを、繰り返し確かめるのだ!

日がとっぷり暮れ、森の上には、九日目の半月が上がった。その少し後、上げ潮に乗って、私たちの舟は纜(ともづな)を解いた。川岸の闇に閉ざされた、人気ない藪の中から、ほんとうに忍び泣く声が聞こえてくるかのようだった ...... もしかするとそれは、夜目覚めている森の鳥の鳴き声か、何かの虫の音であったのかもしれない。

淀みの入り口を過ぎて川の本流に至った時、後ろを振り返って見ると、人気ない村の野なかを、白い靄のヴェールで顔を覆った、茫とした月明かりの夜が、次第次第に、まるで盗人のように、姿を現し始める —— 遙か昔の、あの羞じらいに身を竦めた、臆病な村の新嫁のように! ......


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プロフィール

bengaliterature

Author:bengaliterature
大西正幸(おおにし・まさゆき)

東京大学文学部英語英米文学科卒。1976~1980年インドに留学。ベンガル文学・音楽などを学ぶ。オーストラリア国立大学文学部言語学科にて、ブーゲンビル(パプアニューギニア)の少数言語モトゥナ語の記述研究でPh.D.取得。名桜大学(沖縄)教授、マックスプランク研究所(ライプツィヒ)客員研究員、総合地球環境学研究所客員教授などを経て、現在は同志社大学文化遺産情報科学調査研究センター嘱託研究員。専門はベンガル文学・口承文化、記録・記述言語学、言語類型論。

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