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名優ジョドゥ・ハジュラの演技

名優ジョドゥ・ハジュラの演技 解題

 

前回ビブティブション・ボンドパッダエの「チョンディ女神になった新嫁」を掲載してから、1年半近く、間隔があいてしまいました。やや不定期になると思いますが、今月からまた、連載を再開いたします。

 

今回掲載する作品は、ビブティブション・ボンドパッダエの二つ目の短編集、『生と死』(1931)に収められています。原題は「ジョドゥ・ハジュラとシキドヴァジャ」ですが、わかりにくいので、上のように題を変えました。村の少年(ナレーター)と壮年の芝居役者ジョドゥ・ハジュラの出会い、そして少年が成長して後の、老いたその役者との交流。物語の背景には、20世紀初頭のベンガルにおける、芝居・演劇の変遷の歴史があります。

 

この作品には、ジョドゥ・ハジュラが主役を演じる二つの芝居の場面が登場します。最初の芝居はナラ王とダマヤンティー妃の物語。二つ目はシキドヴァジャ(ベンガル語:シキッドジュ)王とマドゥチャンダー(ベンガル語:モドゥチョンダ)妃の物語。

ナラ王とダマヤンティー妃の物語は、『マハーバーラタ』第3巻(森林の巻)の中の挿話で、たいへんよく知られた恋愛譚です。(岩波文庫『ナラ王物語』(鎧淳訳)参照。)この作品に出てくるのはダマヤンティーの婿選びの場面です。白鳥を通してナラ王の存在を知ったダマヤンティーは、ナラ王に恋い焦がれます。いっぽう、ダマヤンティーの美貌と美徳を知った四柱の神々は、ダマヤンティーの婿になろうと婿選びの場に出向き、ナラ王の姿をとってダマヤンティーを欺こうとします。ダマヤンティーは、神々の正体を見抜き、四柱の神々をさしおいて、ナラ王を婿に選びます。しかし、その後、ナラ王は、彼に嫉妬するカリ魔王に取り憑かれ、王国を失い、数々の苦難に見舞われることになります。

もう一つの芝居の主人公、シキドヴァジャ王については、『マハーバーラタ』にはヴィシュヌ神の信者として名前が出てくるのみ。マドゥチャンダー妃については不明です。おそらくこの物語は、後世が芝居用に脚色して作り上げたものと思われます。

 

また、作品の最後に、ジョドゥ・ハジュラの師匠ブリグ・ショルカルが、「気が触れたライ」の演目でアエン・ゴーシュに扮した、との一節があります。「ライ」は「ラーダー」の口語形。また、アエン・ゴーシュはラーダーの夫。「気が触れたライ」は、クリシュナへの愛に狂った人妻ラーダーを描いた演目と思われます。

 

なお、作品の初めのほうに、「トッパ」、「ケウル」という二つの歌謡のジャンルが言及されています。カルカッタで、19世紀初頭に新興の富裕階級が出現した時、その娯楽のために発達した歌謡のジャンルです。いずれも、時に卑猥な内容を含む世俗的な恋愛を中心テーマとしており、「トッパ」のほうがより洗練されたスタイルを持っています。

 

 

名優ジョドゥ・ハジュラの演技

ビブティブション・ボンドパッダエ

 

おそらく今日(こんにち)、読者の皆さんの中に、ジョドゥ・ハジュラの名前を聞かれたことのある方は、あまり多くないだろう。

ぼくらが子供の頃は、しかし、ジョドゥ・ハジュラと言えば、知らぬ者とてなかったのだ。南は24ポルゴナ県から北はムルシダバド県、また、西はボルドマン県から東はクルナ県に至る間の、定期市ないし常設市場で、同好の士たちの企画による大掛かりな田舎芝居が上演された時には、その催しの場所から何十キロも離れた場所に至るまで、ジョドゥ・ハジュラの名は、口伝えで遍(あまね)く広まった。その名を聞けば、木偶(でく)人形さえ、目を見開いたものだ。「ナラ王と王妃ダマヤンティー」の物語で、ナラ王に扮したジョドゥ・ハジュラの姿を、ご覧になったことはないだろうか? もし、見たことがない方がいるとすれば、その方は、人生の多くの良きものの中で、とりわけ良きものを一つ、見逃したことになる。

ぼくは見た。

ぼくの子供時代の人生において、それは、まことに瞠目すべき一日だった。その頃、ぼくの年齢は、11歳くらいだったろう。ぼくらの村出身の、ある結婚したての嫁が、実家に何か用があるというので、ぼくがその舟旅に付き添って、彼女を実家に送り届ける役目を担うことになったのだ。

ポウシュ月[12月半ば〜1月半ば]。厳しい寒さだった。その嫁は、村の姻戚関係ではぼくの目上に当たる。年齢も三、四歳年上だ。道中、二人で噂話を交わしながら時を過ごした。彼女の実家に着いてから、ぼくはしかし、いささか困った状態に陥った。とんでもなく大きな家で、祭りのためにそこら中から親戚縁者の群れがやって来ていたのだが、その中に、都会育ちの、狡賢いませた男の子が二人いて、それがぼくのひどい頭痛の種となったのだ。他にもたくさん男の子がいたのに、なぜ彼らが、よりによってこのぼくをからかうのをあんなにも面白がったのか、今でもぼくにはよくわからない。

そのうちの一人は、15歳くらいだったろう。色白で痩せぎすで、絹のパンジャビ[緩い上着] を着ていた –– ジョティンという名前だった、その名は今でも覚えている。彼はぼくに聞いた –– 何年生だい?

 ——   五年生。

 ——  「くしゃみ」マイナス「咳」はいくつになるか、言ってみな?

質問を聞いて、ぼくは唖然とした。

ベンガル語学校に通っていたので、「マイナス」の意味を、その時、知らなかった。それに、何て奇妙な質問だろう! ぼくが黙りこくっているのを見て、彼はすぐに次の質問を浴びせた   ——  「ホブゴボリン」の意味は?

学校で英語のレッスンがあったのは確かだが、「シュシルとシュボド・アブドゥル」、「門衛と漁師」、「カイコガと絹」がせいぜいだ。そんな教材の中に、この奇妙な単語は出てこない。恥ずかしさに顔を赤らめながら言った –– わかんないよ。

だが、それでも容赦なかった。神はその日、ぼくが人間社会におけるまったく劣悪な存在であることを証明するために、ジョティンを彼らの家に遣わしたに違いない。彼は両手の指をぼくの前に広げて見せて言った  ——  バナナがこれだけで 1パイサだとしたら  ——  そしたら、バナナ 5本の値段は、いくらだ?

ぼくはしょげ顔のまま、彼の両手に何本バナナが載るだろうか、と考えていた。彼はケラケラ笑うと、学者先生のように肩を左右に揺すぶり、ぼくが五年生の授業で得た知識の下らなさを、証明して見せたのだ。

それからというもの、ぼくは彼を怖れて、避けて通るようになった。年齢もぼくより上だし、町の英語学校に通っているのだし、友達になる必要がどこにある? それに、家の外の十字路に突っ立ったまま、ぼくはいったい、どれだけの屈辱に耐えなければならないんだ!

でも、ぼくにどんな悪さをしようとも、彼はぼくの人生に、大きな恩恵をひとつ施してくれたのだ  ——  そのことを、ぼくは永遠に感謝している。彼はぼくに、ジョドゥ・ハジュラの演技を見せてくれたのだった。

日が暮れる少し前に、彼はぼくに言った  ——  おい、おまえ、何て名前だったっけ、ラジゴンジュの市場で芝居の公演があるんだが、見に行くか?

ラジゴンジュは、そこから 9キロほどの道のりだ。歩いて行かなければならない。でも、芝居を見に行くと聞いて、ぼくはすっかり舞い上がってしまい、彼に同行してその長い道のりを過ごすのに伴う苦痛のほうは、まったく頭に浮かばなかった。

だが、歩いている間中、ジョティンと、彼と同年代の悪ガキ仲間たちは、卑猥な会話や歌で、ぼくをすっかりいたたまれなくさせたのだ。ぼくが育った家の環境はと言えば、父も母も父方の叔父も、みんな信愛派の慎(つつ)ましやかな性格だった。ぼくとそれほど年齢が離れていない男の子たちが、こんなえげつないトッパ歌謡やケウル歌謡を歌うのを聞いて、ぼくのやわな子供心の道義心は、苦痛を募らせていった。

彼らはしかし、ラジゴンジュの市場に着くと、ぼくを完全に放ったらかしにした。そこの未知の人海の中に、ぼくを一人置き去りにして、彼らはどこかに姿をくらましてしまったのだ。ぼくは、彼らの行方を尋ねることすらできなかった。

芝居が始まるのは、たぶん、夜が更けてから。やっと日が落ちたばかりで、だだっ広い公演会場には、たくさんの吊りランプが下がっていた  ——  竹格子には赤と青の紙製の花輪と花、会場の周りは柵で囲われていた。柵の中は、由緒正しい方々のすわる場所らしい  ——  その外が、「卑しい連中」の場所なのだ。

父さんと一緒にラジゴンジュの市場に来たことが、それまでに二三度、なかったわけではない。でもそこには、ぼくが見知っている人もなければ、ぼくを知る人もなく、ぼくのようなチビに、柵の中の場所を提供してくれるなんて人は、どこにもいない。ぼくもまた、その中に潜り込む勇気はなかったので、外の「卑しい連中」たちの群の中で押し合いへし合いしながら、煉瓦を尻に敷いてすわろうとしたのだ。だがそれすら許されなかった  ——  公演主催者側の係員たちがやって来て、ぼくらをその場所から追い払い、そこに名士たちのためのベンチを運び込んで、並べたのだ。それで、別の場所に行ってすわったのだが、しばらくすると、そこでもまた同じことが起きた。さんざん苦労して、ようやく会場の隅のほうに、立ち見できる場所を何とか確保した。「卑しい連中」たちは、みんな、どんなに苦労したことだろう! 彼らは、ほとんどが無学な下層農民で、その多くは、10キロ 20 キロも離れた村から、芝居を見ようと、たいへんな意気込みでやって来たのだ。でも、こんな寒さの中なのに、彼らはどこにもすわる場所が得られず、また、誰も、彼らがすわれるよう取り計ろうとしない。駅長、倉庫管理長、書記、郵便局長等々の名士たちのために場所を確保しようとして、皆が大忙しなのだ。

芝居が始まった。ナラ王とダマヤンティー妃の物語だ。少し経って、ナラ王に扮したジョドゥ・ハジュラが舞台に現れるや  ——  当時は拍手する習慣はなかった  ——  四囲はハリ神の御名を讃える声でどよめいた。あの広大な公演会場が、呪文にかかったかのようにしんと静まり返った。

ぼくはそれまで、ジョドゥ・ハジュラの名を聞いたことがなかった  ——  これが初めてだったのだ。魅入られたように見つめていた。色黒の好男子。歳は 30 50 か  ——  まだ幼かったぼくには、判断がつかなかった。だが、何と言う台詞回し、何と言う表情、何と言う身振り手振り!  11年の人生の中で、こんな演技を、ぼくはそれまで、見たことがなかった。人混みの中にいる苦痛は忘れた。何も食べずに来たので、ひもじさのあまり、お腹の中が熊ん蜂で刺されたようになっていたが、それすら気にならなくなった。芝居がひけたら、こんな夜更け、この寒さの中、見知らぬ場所にたったひとりで、いったいどこに行ったらいいのか  ——  そんな心配事さえ、頭の中から消し飛んだ。

四体の神々が四人のナラ王の姿をとって、ダマヤンティーの婿選びの場に現れた時、本物のナラ王役のジョドゥ・ハジュラは、驚愕に打たれたまなざしで四囲を見渡して言う : ––

 

何なのだ、これは! 我が四囲に  ——

我と違わぬ貌の、ナラ王が四人(よたり)、

我と違わぬ風体で

座しておる、この集いの場に  ——

判らぬ、何のまやかしの罠か。

守護神よ、

我が望みを叶えたまえ、

まやかしの罠を、散り散りにしたまえ。

 

まさにこの時、婿にかける花環を手に、ダマヤンティーが集いの場に入って来る。ナラ王はすぐさま口を開く : ––

 

ダマヤンティー、ダマヤンティー、

思い起こせよ、白鳥の告げし、

かの喜びの言葉を? これこそ、我、ナラ王、

柱の傍に、控えし者。  ——

 

他の四人も、それと同時に、声を合わせて言う、

 

ダマヤンティー、ダマヤンティー、

思い起こせよ、白鳥の告げし、

かの喜びの言葉を? これこそ、我、ナラ王、

柱の傍に、控えし者。  ——

 

本物のナラ王の、その呆然としたまなざし!

その後、王国を失い、従者も富もなく、気が触れて森から森へと渡り歩くナラ王の、何と言う哀れな、心打つ姿! はるか昔のことだというのに、ジョドゥ・ハジュラのその類稀な演技は、今でも忘れることはできない。その夜、何度陰で、涙を拭ったことか。まわりの人がぼくが泣いているのに気づかないよう、何度、くしゃみするフリをして、シャツで顔を覆い隠したことか。芝居は夜明け前に終わったのだが、次の日もまた芝居があると聞いて、ぼくは家に戻らなかった。店で少しばかりつまみ食いをして、何とかその日を凌いだ。夜、再び芝居があった  ——  シキドヴァジャの物語だった。ジョドゥ・ハジュラがシキドヴァジャに扮したのだが、これこそ彼のはまり役、とのことだった。この役を演じて、ジョドゥ・ハジュラは会場を狂喜乱舞させた。その一夜の演技のために、彼は金銀のメダルを四、五枚手に入れた。芝居が終わった時は、もう、夜明け間近だった。会場にあるベンチに横になって残りの夜を過ごし、朝になってから、ひとりで自分の村に戻った。

 

その後、数年が過ぎた。ぼくは少し成長した  ——  町の上級学校に入学したのだ。ジョドゥ・ハジュラのことは、誰彼の口から、よく耳にした。芝居の一座の話になるたびに、一座の中に、ジョドゥ・ハジュラに並ぶ役者はない、と、誰もが口を揃えて認めたのだ。

ぼくは、でも、長いことジョドゥ・ハジュラを見ることがなかった。それにはたくさんの理由があった。

ぼくが寄宿していた学校の寮は、故郷の村から遠く離れた町にあった。勉学で頭がいっぱいで、その決まった日課のために、日々の生活は完全に束縛されていた。代数の計算、幾何の宿題、英語の魅力、サッカー、ディベート・クラブ、新聞  ——  こうしたすべてが、人生にさまざまな変化をもたらした。子供の頃のように、芝居があると聞きつければどこにでも駆けつける  ——  10 キロ離れていようが、20 キロ離れていようが  ——  そうした気持ちに、次第次第に変化が訪れた。それに、そうしたいと思っても、学校が休みでなかったり、学校が休みでも寮の管理人が許さなかったり、いろいろな邪魔だてが入ったのだ。

田舎育ちだったので、演劇がどういうものか、知らなかった。ぼくの学校があった町には、弁護士や法律家たちの演劇クラブがあって、彼らが一度、劇を上演したことがあった。どんな演目だったかよく覚えていない  ——  たぶん、「プロタパディット王[プラターパーディティア(ベンガル語読み)、ムガル王朝の支配に抵抗した中世ベンガルの王」 だったろう。その出し物の台詞や物語の構成が、ぼくを虜にした  ——  それに比べると、芝居がひどく劣ったもののように思われた。このようにまとまった筋書きは、芝居の出し物には望めないのではなかろうか? その後、この演劇クラブの公演を何度も見た  ——  子供の頃の心は徐々に変わり始め、市場で芝居が催されてカルカッタの一座がやって来ても、前のような喜びを感じることはなくなった。

 

その後、カルカッタに移った。当時カルカッタでは、最新の考えに基づく演劇が始まったばかりだった。多くの高名な名優たちの演技を見る機会が、人生で初めて訪れたのだ。彼らが、さまざまな演目で、さまざまな演技をするのを見た。またその一方、外国映画を見に通う機会に恵まれて、世界的に有名な映画俳優たちの演技にも親しんだ。人間は、次第次第に知識を増す。弁護士・法律家一座の主役だったグルダシュ・ゴーシュを、それまでずっとすぐれた役者と思ってきたが、今や、そんな彼を思い浮かべただけで、¬笑わざるを得ないまでになった。

 

さらに数年が過ぎた。カレッジを卒業して職に就いた。カルカッタの舞台俳優たちも、その頃にはもう、ぼくにとって、古びた単調なものとなってしまっていた。演劇を見ることすら、やめてしまった。映画についても同じことだ。特に有名な俳優が出演する映画でない限り、映画館にも足を運ばない  ——  むかしその演技を見て夢中になった俳優の多くについても、ぼくの評価は変わったのだ。

こんな状態の中、何かの休暇で田舎の家に帰った時、村の皆が公演を企画していると聞いた。カルカッタから、大きな芝居の一座がやって来るのだそうだ  ——  一晩で 150 ルピーの出演料、こんな一座は、この地域にかつて来たことがない、とのことだった。一方、ぼくはと言えば、もういい洋画すら見ることなく、演劇を見ることすらいやになってやめてしまっている  ——  こんな状態で、一晩中寝もやらず芝居を見る、などという気分に、とてもなれないのは、言わずもがなのことだ。芝居? それがいったい、何だというのだ! まったく下劣きわまりない  ——  誰がいったい、わざわざこの暑さのなか、人混みにもまれて、そんなものを見に行こうなどとするか?

だが、友人たちが承知しなかった。公演を企画した連中も、何度も念を入れて懇願した  ——  何としてもぼくの臨席が必要だ、と。仕方あるまい、礼儀というものだってある。少しだけ顔を出して、途中で引き上げてくればいいだろう。まったく行かないというのも、体裁が悪いに違いあるまい  ——  とりわけぼくのように、田舎に帰ることがあまりない人間にとっては。

芝居は夕暮れ時に始まった。「芝居」というものを、長いこと見ていなかった。しばらくぶりに見てわかったのは、かつての「芝居」はもはや存在しない、ということだ。芝居歌の合唱、メダルをぶら下げたバイオリン弾きの長々しい独奏  ——  これらはすべて、過去のものとなってしまったのだ。金銀のミラー入りの衣装も、もはや存在しない  ——  衣装がカルカッタの演劇の完全なコピーであるように、若い役者たちの演じ方もカルカッタのそれの丸写しだった。何人かの役者に至っては、その台詞回し、表情、身振り手振りに至るまで、カルカッタの著名な舞台俳優、そっくりそのまま。だが、そういう彼らに、会場の若い連中は、何度も拍手喝采を浴びせていたのだ。こんなことを言う者まであった  ——  ああ、見事な物真似だぜ、カルカッタの舞台俳優何某の  ——  大した見ものだよ、まったく!

こんな時、色黒の太った背の低い男がひとり、舞台に登場した。何の役だったか覚えていない。年齢は 60 過ぎに見えたが、身体は頑丈そうだった。彼に対しては、誰ひとり、拍手ひとつしなかった  ——  聴衆を喜ばせるために、彼がさまざまな表情を作り、さまざまな身振り手振りを見せていたにもかかわらず。ぼくの横に学校の生徒の一団がすわっていたが、その中の一人が声を上げた  ——  あの老いぼれ、いったいどこから拾って来たんだ? まるで、樽かなんかみたいだぜ。見ろよ、やつが演(や)っているのを  ——  まるで、道化芝居じゃねえか!

もう一人隣にすわっていた、中年の紳士が言った  ——  あの人はな、むかし、とても有名な俳優だったんだぞ。お前たちが生まれる前のことだ。ジョドゥ・ハジュラと言ってな。

ぼくは、ふと紳士の顔に目を遣り、そのあと、今度は年老いた役者のほうに目を移した。子供の頃の出来事が思い出された。あの凍てつく冬の夜、あの都会育ちのませた男の子たちとの道行き、その彼らは、ぼくを放ってらかしにして、どこかに消えてしまう  ——  そのあと、甘菓子屋の軽食で食いつなぎながら、家から遥か離れた、知り合いのない常設市場の公演会場で、独りっきりのまま、二日間を過ごしたのだった。その夜、その演技を見て、ぼくの子供心は、驚嘆と興奮のあまり我を忘れた  ——  これがその、ジョドゥ・ハジュラだというのか?

かつてその顔の表情を見て、その口から出る台詞回しを聞いて、聴衆が喜びに沸き返った、それとまったく同じことを、今日もジョドゥ・ハジュラは、ぼくの目の前で披露し続けている  ——  それなのに、聴衆が喜ばないのはなぜだろうか? 喜ぶどころか、聴衆の多くが、彼の演技を嘲弄しているのはなぜか  ——  すわったまま、そのことを考えていた。

心はすっかり沈んでしまった。他人どころか、自分にとってさえ、ジョドゥ・ハジュラの所作が、笑うべきものに思えたのだ! どうしてこうなのだろう?

子供の頃、あの芝居の場で見た、彼のあの演技は、今でもはっきり心に焼き付いている。裏切り者の軍隊長に、一番歳下の王妃が、かどわかされる。王はある日、二人が人目に隠れて愛の睦言に耽っているのを見て、呆然とする。そして、何を思ってか、こう言い放つのだ  ——  「モドゥチョンダ、わしはもう中年、そなたはまだ若い。この歳でそなたを嫁にしたのは誤りだった。そなたをわしは、まだ愛している、生命を奪うことはすまい  ——  そなた二人、わしの目の前で、恋人同士のように手を取り合い、この場から立ち去るがよい。だが、わしの王国の外へ去るのだ。もう二度と、そなたたちの顔を見ることがないように。」

見咎められて、彼ら二人は、恐怖と恥に身を縮めている。王の面前で、どうしてそんなことができよう  ——  手を取り合って立ち去る、などと? 王は剣を引き抜いて言う  ——  「行け、さもなくば、二人とも切って捨てるぞ  ——  わしの言う通りに、行くのだ。」

遂に彼らは、王の命に従わざるを得なくなる。王は、凍りつくようなまなざしで、彼らを見つめている  ——  彼らが少し遠ざかった時、王は不意に、我を忘れたかのように、抜身の剣を手に、「はあはあはあ」と叫び声をひとつ上げ、彼らめがけて駈けだす  ——  と同時に、追われた二人も舞台の外へと姿を消す。王のその素晴らしい所作、その「はあはあ」という絶望に満ちた叫びにこもる、凄まじく悲劇的な響きが、会場にいた聴衆のすべてを揺り動かしたのだった。その時、まだほんの子供だったけれど、その光景が心に残した痕跡はあまりに深かったので、この歳になってもまだ、ぼくは忘れることができないでいるのだ。

 

翌日、ジョドゥ・ハジュラに会った。役者たちが宿泊している家の前に畳み椅子を広げ、その上に腰を下ろして、彼は煙草をふかしていた。ぼくは言った  ——  昨日のあなたの演技は、とても素晴らしかったです。

老齢のジョドゥ・ハジュラは、ぼくの顔を見ながら、勢い込んで言った  ——  私の演技が気に入った、ですと?

 —— ええ、素晴らしかったです! あれほどの演技には、長いこと、お目にかかったことがありません。

ぼくの言葉は、真実を曲げていた。一方、老齢のハジュラは有頂天になっていた。哀しいことに、彼は称賛というものに、長いこと縁がなかったのだろう。実のところ、昨日だって、若い役者たちはしばしば拍手喝采を浴びていたのに、ジョドゥ・ハジュラがそれに代わって得たものは、嘲笑以外、何ひとつなかったのだ。

老人は言った  ——  あなたには見る目があるので、気に入ってくれたのです。昔の日々はどこに行ったのでしょう? 今日では、すべてが「アート」、「アート」。いったい何のことやら、さっぱりわからん。ボウ・マスタ一座に、ブリグ・ショルカルがいました。羅刹ラーヴァナの役をやらせて、あんな演技ができる役者は、もうどこにもおらん。私は、そのブリグ・ショルカルの、愛弟子なんです  ——  いいですか? 彼は私を、手塩にかけて育ててくれたんですよ。亡くなる時、私の手を取って言ったもんです  ——  ジョドゥ、わしがおまえに授けたものがあれば、おまえは一生、食いっぱぐれることはあるまい!

ぼくは言った  ——  この歳になって、まだ雇われ仕事をなさっているのは、どうしてです?

 —— しないわけにはいかんでしょうが? 長男は立派に育ったが、二年前にコレラで死んじまった。やつの家族の生活が、私の肩にかかっているのですよ。もうしばらくしたら、孫娘を嫁がせなけりゃならんのです。前に稼いだ金は、使い果たしました。今となっちゃ、もう、大した実入りがあるわけでもない。昔は、150 ルピーまでもらったことがあるんです  ——  私のために、座長が、特別にミルクの手配をしてくれたもんです  ——  ブション・ダーシュの一座にいた頃は。今の謝金は、35 ルピー。そして、昨日ラーマ役をしたあのショティシュという若造  ——  あいつは、 80 ルピー。連中は、「アート」を知っているんだそうだ。聞かせてくださいな、昨日のやつの演技がよかったか、私の演技がよかったか? 今日び、座長にとっては、連中のほうが大事なんだ。私らは、雇われ仕事を続けるのさえ、難しくなっとるんです。

内心、こう思わざるを得なかった  ——  彼が今日まで生き延びたこと自体、間違っていたのだ、と。40 年前の若きジョドゥ・ハジュラに、ボウ・マスタ一座のブリグ・ショルカルが仕込んだ身振り手振りの所作と台詞の言い回しを、老いた彼が今日もそのまま舞台で演ずるとしたら、嘲笑以外の何も得られないだろう  ——  このことを彼に、どうやってわからせたらいいのか? 時代はもちろん変わったが、それだけではない。若い年齢で似合った演技が、この歳になってもまだ通用する、とでも言うのだろうか?

 

この出来事の五、六年後、ネブトラの路地を通り過ぎた時のことだ。一軒の伝統薬と香辛料を売る店に目を遣ると、ジョドゥ・ハジュラがすわっている。目にしただけで彼が貧困の極地にいるのがわかった。腰に薄汚れた安物の綿布をまきつけ、背中が破れたシャツを着ている。ぼくを見ても気づかない様子だった。ぼくは、彼を喜ばせようと思って、こう声をかけた  ——  私なんか見ても、お気づきにならないのは当然ですが、あなたを見て、あなたと気づかない人は、どこにもいないでしょう。炎を灰で隠しおおすなんてことが、どうしてできましょう? で、今はカルカッタにお住まいなんですね?

称賛の言葉を耳にして、老人の目に涙が浮かんだ。口を開いた  ——  ああ旦那、私らの時代は、もう、おしまいですよ。ご覧の通りで、この三年間、仕事がないんです。どの一座も、私を雇おうとしないんで。ハジュラの旦那、あんたはもう歳だ、この歳になって、仕事なんかするもんじゃない、と。要するに、私らはもう用済みだ、と言いたいんで。「良きもの」の時代は、終わったんですよ、旦那。今日び、何もかもが、まがいものだ。まがいもののほうが、今では、本物よりも大事にされるんです。私の師匠は、ボウ・マスタ一座のブリグ・ショルカルだった。今日び、ブリグ・ショルカルの足の塵に価するような男役者が、いったい、どこにいると言うんです? 「気が触れたライ」の演目で、アエン・ゴーシュに扮したブリグ・ショルカルを、一度見た時には  ——

さらに何度か称賛の言葉を投げて、この落胆した老役者を慰めた。聞いているうちに次第にわかってきたのだが、老人は現在、この香辛料店に身を寄せているのだ。すぐ側の路地にあるどこかの神寺で、日に一度供応があり、それを食べて、夜はこの店で寝るのである。おそらく、店主が彼の知り合いなのだろう。

仕事の都合で、ぼくは毎日、その路地を往き来する。その帰途、ジョドゥ・ハジュラと少し雑談を交わすのが、習慣になった。そんなある日、老人は言った  ——  旦那、ひとつお願いがあるんです  ——  私にいつか、肉カレーをおごってもらえませんか? ずーっと食べていないもんで。

ある上等なレストランに連れ出して、彼にご馳走した。その食べる様子を見て、老人が、長い間、まともなものを食べられずにいたことがわかった。その後、連れ立って公園に行き、そこで休むことにした。夜 9 時が過ぎていた。冬だったので、公園には、まばらにしか人が残っていなかった。ベンチのひとつにすわると、老人はとめどなく、自分の話を続けた。どの大地主が、いつ、彼を暖かくもてなして、自分の手で黄金のメダルをかけてくれたか。いつ、どんな娘が、彼の演技を見て、彼に恋い焦がれるようになったか。また、いつ、ハティバンダの王が、身にまとっていたショールを脱いで、彼の体に巻きつけてくれたか。

こんな話をしながらも、彼は時折、我を忘れたかのようにぼおっとなった。25 年前の、どこかの若き愛人の、笑みに溢れたまなざしが、彼の甘い青春の夢現(ゆめうつつ)の日々に、爪痕を残していったのだろうか  ——  そうした過去の日々、そうした忘却のかなたに沈もうとしている数々の面影を、ほんとうに彼が、思い起こそうと努めていたのかどうか、誰が知ろう?

しばらく黙した後、ぼくは言った  ——  シキドヴァジャとマドゥチャンダーの、あの演技が、私は、とても好きだったのですよ。あの時の王の台詞、「おまえたち、恋人同士のように、手を取り合って立ち去るがよい」  ——  あの場面は、今でも忘れることができないのです。

老いた役者は、背筋を伸ばして居住まいを正した。彼の目に、若き日のあの失われた輝きが、戻ってきたかのようだった。そして口を開いた  ——  ああ、いったい、何年前のことでしょう! あの演目は、プロションノ・ニヨギの一座にいた時でした。見ますか  ——  やってみましょうか?

ぼくは励ますように言った  ——  覚えていらっしゃるんですか? 見せてくださいな。

幸いなことに、公園にはその時、ほとんど人影がなかった。老人は立ち上がった  ——  ぼくがマドゥチャンダー役だ。彼は自分の役の台詞を言い始めた  ——  何ひとつ忘れていなかった。最後にぼくの方を振り向くと、雷雲の轟きのような声を響かせて言った   ——行け、マドゥチャンダー、おまえたち二人、恋人同士のように手を取り合って、立ち去るがよい。

その台詞の後、ぼくが何歩か歩を進めるや、老人は、あの昔の悲劇的な声で、「はあはあはあ」と叫ぶと、ぼくめがけて、狂人のように駈け寄ってきたのだ。その声の、ほんとうに、何と素晴らしかったことか! そして、何と言う、その身振り! 落魄の老役者は、彼の人生のすべての悲劇を、その演技の中に注ぎ込んだのだ。あたかも、彼がまことに落魄の中年の王シキドヴァジャで、裏切り者のマドゥチャンダーが彼を見捨て、若き愛人と手を取り合いながら、目の前を立ち去ったかのように! わずか数瞬の間、老いたジョドゥ・ハジュラは、30 年前の若き役者ジョドゥ・ハジュラを凌ぐ演技を見せたのだった。

これがジョドゥ・ハジュラの最後の演技だった。この数ヶ月後のある日、ネブトラのあの香辛料店を訪ねた時、彼が死んだ、と聞かされたのだ。


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プロフィール

bengaliterature

Author:bengaliterature
大西正幸(おおにし・まさゆき)

東京大学文学部英語英米文学科卒。1976~1980年インドに留学。ベンガル文学・音楽などを学ぶ。オーストラリア国立大学文学部言語学科にて、ブーゲンビル(パプアニューギニア)の少数言語モトゥナ語の記述研究でPh.D.取得。名桜大学(沖縄)教授、マックスプランク研究所(ライプツィヒ)客員研究員、総合地球環境学研究所客員教授などを経て、現在は同志社大学文化遺産情報科学調査研究センター嘱託研究員。専門はベンガル文学・口承文化、記録・記述言語学、言語類型論。

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