おばさん
おばさん 解題
ビブティブション・ボンドパッダエのこの作品は、前回掲載の「名優ジョドゥ・ハジュラの演技」と同様、彼の二つ目の短編集、『生と死』(1931)に収められています。
「おばさん」の結婚相手となる、気が触れた「ポレシュおじさん」は、ムクッジェ家の息子。また、ナレーターの少年パブー(正式名バニブロト、「言葉を尊ぶ者」の意)は、ガングリ家の息子。ムクッジェ(「ムカルジ」の口語形)、ガングリは、いずれもベンガルの高位バラモンの家系です。
パブーは、「ウパナヤナ」(ベンガル語では「ウポノヨン」または「ポイテ」)と呼ばれる、バラモンの入門儀礼を受けます。この時、バラモンになった印として、木綿の「ポイテ(聖紐)」を導師から授かり、左肩から右脇下にかけます。
また、ヒンドゥー教徒の、特にヴィシュヌ神を信仰する信愛派(バイシュナヴァ派)の間では、太陰暦の月齢11番目の日が、聖なる日と見なされ、この日に菜食を摂る習慣があります(「おばさん」がパブーのために調理する菜食のうち、「モホンボグ」は、セモリナ(荒い小麦粉)をバター油でいため、それにミルクや砂糖を加えて温め、さらにナッツや干し葡萄などを加えたもの。「ニムキ」は、小麦粉に塩を加えてバター油で捏ね、小さな菱形に切ってふっくらと揚げたもの。「コチュリ」は、小麦粉をバター油で捏ねて平らにし、その中にいためたジャガイモなどの野菜の具を包み込んで、揚げたもの)。
また、おばさんがしばしば行う、願掛け儀礼(ブロト儀礼)では、バラモンであるパブーが祭司を務め、おばさんはその見返りとして、パブーに、ポイテ(聖紐)と何某かのお金を喜捨します。
なお、作品の中に、「修行者ニマイ」と題する芝居が言及されています。ニマイは、信愛派の教えをベンガル中に広めた、中世の修行者チャイタニヤ(ベンガル語「チョイトンノ」、1486~1533)の、出家前の名前。最初の妻が蛇に噛まれて死んだ後、母の要請で、彼はビシュヌプリヤ(「ヴィシュヌ神に愛される女」の意)を娶ります。ニマイが24歳で出家した後、ビシュヌプリヤは、彼にまみえることなく、彼が残した木靴を礼拝しながら信仰生活を続けた、と伝えられます。
おばさん
ビブティブション・ボンドパッダエ
本格的な雨季が始まった。
昼も夜も、ポタポタ雨が降り続ける。
ぼくは、チョンディ・モンドプ [四方屋根・吹き抜けの、公共の集いの場] の露台の上にすわって、算数の計算をしていた。もうすぐ真昼時だった。雨が降らなければ、ビノド先生の授業は休みになるはずだった。でも、何てひどい雨だ。運が悪いことに、3日前から、ずっと降り続けだ。
その時、どこかから汚い身なりの人がやって来て、チョンディ・モンドプの正面の中庭に佇み、ぼくの方を見てクスリと笑った。今でも思い出す ―― 身体には汚れたベトベトのカミージュ
[緩い長袖の上衣]、裸足で、ボサボサの髪。年齢は、わかりようがなかった ―― 少なくともぼくには。
ぼくはその人を、見たことがなかった。というのも、この村が両親の村なのは確かだけれど、母方のお祖母さんがぼくを手放したくなかったために、ぼくはずっと、母方の叔父さんの家にいたのだ。ぼくがこの村に戻ってから、あまり日が経っていなかった。戻って来た時、ぼくは6歳になったばかりだった。
ビノド先生は言った ―― 「どうした、ポレシュ、元気かい?」
その人が中庭に立ったまま、雨に濡れているのを見て、ぼくは「上に来ませんか」と言いかけた ―― でも、ビノド先生はぼくを遮って言った、「何の用だい、ポレシュ?」
その人は、もう一度、何やら奇妙な笑いを、顔に浮かべた。この問いに対する答にふさわしい笑い方ではない ―― まるで、自分が褒められたので、遠慮がちに、恥ずかしそうに笑う、という風だった。まだ子供だったとはいえ、ぼくにも、その笑いが場違いのものだとわかった。
その人は言った ―― 「腹が減ったよ。」
ぼくの父方の従兄のシトルが、家の中からチョンディ・モンドプに出て来て、中庭の方に目を遣ると声を上げた ―― 「あれ、ポレシュ叔父さんじゃない? 今まで、どこにいたの?」
その人は、ただこう繰り返すだけだ ――「腹が減ったよ。」
シトルは、家の中に戻って、炒り米を器いっぱいに入れて持って来ると、その人のドーティーの前裾の中に、それを詰めてやったのだ。ぼくはびっくりして、その人は誰だろう、と思っていた。それに、シトル兄さんが、こんな風に敬意をこめて呼んでいるのに、すわるように言わないのはどうしてだろう、とも。とその時、その人は、とんでもないことを仕出かした。グルリと右回りに一回転すると、シトル兄さんがあげたムリを、一口食べただけで、その残りを中庭の泥の上に撒き散らしたのだ
―― そしてそれと同時に、意味不明の俚謡をひとつ、歌うような節回しで口ずさんだ ――:
たにし、たにし ぐーるぐる
神様のお米 手拭い 包んで
たにし、たにし ぐーるぐる
たにし、たにし ……
たにし、たにし ……
その人が、まだ俚謡を唱いながらグルグル廻っている時、ぼくの父方の2番目の叔父さん、ドゥルロブ・ラエが出て来た。威厳があって、ものすごく厳格な人だった。叔父さんは、チョンディ・モンドプの横の、中庭から家の中に通じる扉のところに立つと、大声を張り上げた
―― 「こんな真昼時に、騒いでいるのはどいつだ? あの気狂い野郎か? 炒り米をもらったくせに、なぜそんな風に撒き散らすんだ ―― 他に場所がないのか、こんなバカなことをする?」
こう言うと、近づいて、その人の頬をピシャピシャと何回か平手でなぐりつけ、その後、力任せに身体を突いて言った、「出て行け、ここから。もしまたこの扉から入って来たら、お前の骨を、粉々に砕いてやる。」
―― 頑強な叔父さんに力任せに小突かれて、痩せ細ったその人は少し遠くに突き飛ばされ、泥まみれの中庭に倒れそうになりながら、何とか持ち堪え、少し体勢を整えて佇むと、地面に一度、唾を吐いた
―― 血塗れの赤い唾を。
そうするうちに、ぼくらの家の幼い子供たちが、面白がって、中庭の扉のところに集まった ―― その人が突き飛ばされて倒れそうになるのを見て、彼らはケラケラ笑い声を上げた。
ぼくの胸は、その人に対する同情心でいっぱいになった。
ポレシュおじさんとの、これが最初の出逢いだった。
だんだんわかって来たのは、ポレシュおじさんがこの村のムクッジェ家の息子で、西インドのどこかに、職を得ていたこと。歳はまだ行っていない ―― たったの25歳にすぎない。でも、2年ほど前に急に頭がおかしくなり、仕事をやめて、そこら中、気狂いじみたことをしながらうろつくようになったのだ。彼の面倒をみる人は誰もいない。ムクッジェ家の男たちは、皆、ベンガルの外で仕事をしていて、この村には誰もおらず、気が狂った兄弟を自分のところに引き取ろうという気を起こす者も、これまでいなかった。気が狂ったおじさんは、腹を満たすために、他の家に物乞いして廻るのだけれど、毎日恵んでもらえるわけでもなく、時にはぶたれたり、殴られたりすることもあったのだ。
ある日、ぼくは川岸に、ひとり、鳥の雛を探しに行った。ある人が、野生のシャリク鳥の巣を、川の高い土堤のあたりに、たくさん見かけた、と教えてくれたのだ。さんざん探したけれど、巣は見つからなかった。
日が暮れかかってきた。木の高い枝の上方を見ても、もう陽光は見えない。川岸には、深い翳が差した。家に帰ろうとして見ると、川辺のチョトカ=トラの焼き場にある、村のプロッラド・コルの嫁が建てた小さなトタン屋根の小屋の中に、誰かがすわっている。
怖くなった。お化けじゃないだろうな?
少し近づいて、よくよく見ると、お化けではなくて、ポレシュおじさんだ。小屋の床に、焼き場に捨てられた一枚の古いゴザを広げ、その上に黙ってすわっている。
ぼくを見て、訊いた ―― 金を持っているか?
誰もがポレシュおじさんを怖がって、避けて通るのだけれど、ぼくは勇気を出して近寄った。だって、ポレシュ叔父さんは、それまで、人に殴られることはあっても、誰も殴ったことはなかったのだ。可哀想に、おじさんの背中は真っ赤に爛れていて、その傷痕には蠅がたかっている。傍にある土製の深皿には、豆スープとご飯が少し入っているが、それにも蠅がたかっている。
ぼくは言った ―― おじさん、どうして、こんな藪の中にいるの? ぼくの家に来ない? さあ、おいでよ、焼き場なんかに、いるもんじゃないよ ――
ポレシュおじさんは言う ―― ふん、これが焼き場だって? これは、おれの、居間なんだぜ。おれの家はな、あっちにあるんだ、二つ大きな部屋があってな。兄さんに2千ルピー払ったんだが、兄嫁と喧嘩になって、そのせいで、くれようとしない。喧嘩が収まったら、おれのものさ。5年も仕事をしたのに、金を貯めなかった、とでも思っているのか?
どんなにいろいろ気を惹こうとしても、おじさんは、死骸を載せていたゴザにすわったまま、動こうとしなかった。
このことがあってしばらくして、おじさんの母方の叔父一家が来て、おじさんをフグリ県に引き取った。
2年後、ぼくのウパナヤナ [バラモンの入門式] の日の饗応の場で、ポレシュおじさんが、バラモンたちの列にすわって饗応を受けているのを見た。おじさんの病気は、すっかり治ったのだと聞いた。母方の叔父さん一家が、彼をいろんな医者・伝統医に見せて、たくさんの治療費を払ったのだそうだ。
何て美しい容貌になったことだろう! おじさんがこんな美男子だったなんて、気が触れた状態で千切れたボロボロの服をまとい、泥や塵に覆われてうろつき廻るおじさんを見ていたせいで、ぼくは気がつかなかったのだ。力みなぎる細身の体型、輝くように白い肌、美しい顔。それを目にして、嬉しくなった。
しばらくして、ポレシュおじさんの大掛かりな結婚式があった。新嫁は、カルカッタのどこか裕福な家の、娘なのだそうだ! 夕方、大嵐になったせいで、花嫁花婿の到着は、夜の第一プロホル
[9時過ぎ] になった。灯りをつけて、花嫁を迎え入れる儀式があった。ぼくらは、アセチリン・ガスのランプに照らされた花嫁の顔を見て、びっくりした
―― ここらの地域で、こんな美しい娘を、今まで見たことがなかった。誰もが口を揃えて言った ―― まるで天女だ、ポレシュがこんな嫁を得ることができたのは、何生もの間、徳を積んだおかげだ、と。
式があってしばらくして、花嫁は実家に帰った。2ヶ月ほどして、また村に来た。
朝、ポレシュおじさんの家に遊びに行った。何かの休暇で、ムクッジェ家の家族は、皆、家に集まっていた。ぼくと同年代の子供たちも、たくさんいた。
新しいおばさんは、ベランダにすわって、野菜を細かく切っていた。裾が錦糸のサリーをまとっていた。ぼくらの学校では、その頃、学芸の神サラスヴァティー女神の像が作られていたが、ちょうどその女神像のように、美しい顔立ちだった。
ぼくらは、正面の中庭で走り回って遊んでいた。おばさんがそこにすわっていたせいで、ぼくは、その日は特に、いつもの倍も勇み立った。ありったけの、考えられないようなことを仕出かして、おばさんを喜ばせたくなったのだ。跳びはねたり、駈けずり廻ったり、大声をあげたり、どんなにいろんなことを、突然、やり始めたことか! 百人力を得たかのようだった。
その時、おばさんが、その家の男の子ネパルに訊いているのが耳に入った ―― あの色白の子は誰なの、ネパル? 綺麗な目をしているわね ――
ネパルは答える ―― 向こうの居住区の、ガングリ家の、パブーだよ ――
おばさんは言う ―― あの子を、ここに呼びなさいな?
嬉しさのあまり、ぼくの胸は、ドキドキが止まらなくなった。日向で走り回ったせいで、顔はもう赤くなっていたけれど、今や、恥ずかしさのあまり、顔はますます赤くなった。でも、何も恥ずかしがることなんて、なかったのに!
近づいて、まず初めに足塵を拝した。ポレシュおじさんの新嫁は言った ―― あなたの名前は何なの? パブー? 本当の名前は?
恥じらいとためらいの笑みを浮かべて、答えた ―― バニブロト ――
―― まあ、素敵な名前だこと。顔だけじゃなくて、名前も素敵なのね。勉強してるんでしょ? いい子ね。毎日ここに遊びに来るのよ。わかった?
その夜、嬉しさのあまり、ぼくはよく眠れなかったように思う。どこか天国の女神か御伽話の王女様が、自分から進んで、ぼくの友達になってくれたんだ。あんなに綺麗な姿、人間のはずなんか、絶対に、ないや!
その次の日から、ポレシュおじさんの家に、毎日行くようになった。どんな日も、朝も、昼も。おばさんと、どんなに仲良しになったことか! ぼくはその頃12歳、おばさんがいくつか、その時はわからなかったけれど、今思うに、18、9歳くらいだっただろう。
結婚した翌年、ポレシュおじさんが、外地の職場で、また気が触れたとの知らせが、村に届いた。おばさんは、その2ヵ月前から、実家にいた。気が触れたという知らせを聞いて、お父さんと一緒に、旦那の職場に行ったけれど、ポレシュおじさんは、すでにキチガイ病院に送られた後で、おばさんと会うことはなかった。おばさんのお父さんも、娘をキチガイ病院に連れて行って婿に会わせるのに、乗り気ではなかった。すべて事が片付くと、彼は娘を連れて家に戻った。
ポレシュおじさんの兄嫁は、その頃、子供たちを連れて、村の家にいた。彼女は、その2ヵ月ほど後に手紙を書いて、おばさんを村に呼び寄せた。おばさんが来たという知らせを聞いて、ぼくは、朝起きるとすぐに会いに行った。おばさんの表情や姿には、悲しみのどんな痕跡も見られなかった。昔と同じ笑みを湛え、顔は前のように綺麗で、その稲妻のような色には、これっぽっちの翳りも差していなかった。何と言う、愛情に満ちた眼差し。ぼくが足塵を拝すると、おばさんは、すぐにぼくの顎を手で支えて、笑顔でこう言った
―― あら、パブーじゃない、元気? 少し痩せたみたいね!
ぼくは笑顔で答えると、おばさんの前の床に、腰をおろした。そして言った ―― おばさんは元気なの?
―― この私に、元気もくそも、あるものですか。そんなこと、聞かないで、パブー!
ポレシュおじさんが、気が触れたことを思い出して、おばさんのことを気の毒に思った。可哀想な、おばさん!
おばさんは言う ―― もっと私のそばに、おすわりなさいな、パブー。パブーは、私のことを好きなのよね
―― そうでしょ?
ぼくは肩を左右に揺すって、すごく好きなことを伝えた。
―― 私も、カルカッタにいると、パブーのことを、すごく思うのよ! パブー、この村では、誰も、あなたのように、私を好きじゃないの!
恥ずかしさのあまり、顔を赧らめ、笑みを浮かべたまま黙っていた。13歳の子供に、どんな言葉が思い浮かぶと言うのだろう!
――カルカッタを見たことがあるの、パブー?
――ないよ。誰も連れて行ってくれないもの。
――わかった、今度私がここから行く時、一緒に連れて行ってあげましょう。そう、私の家に行って泊まるのよ。いいでしょ?
――おばさん、いつ行くの? スラボン月[7月半ば〜8月半ば]? いや、もうしばらくここにいてよ。今は行かないで。
――どうしてなの?
笑みを浮かべ、おばさんの顔の方を見ないままに言った ―― おばさんがいてくれると、すごく嬉しいんだもの。
新しくバラモンになったばかりなので、その頃はまだ、十一夜目の菜食のしきたりを守っていた ―― ウパナヤナが終わって、1年以上経っていたにもかかわらず。十一夜になる度に、おばさんは、ぼくを招いてご馳走してくれた。手ずから調理したものを、ぼくのためにとっておいてくれた。モホンボグのこともあれば、ニムキやコチュリのこともあった。夕方遊びに行くと、ぼくを側にすわらせて、その心尽くしの料理を食べさせてくれた。それから、おばさんはいろんな種類の願掛け儀礼をしたけれど、そんな時、祭司役を務めるのは、このぼくだった。ポイテ(聖紐)とお金が、どんなにたくさん、ぼくのちっぽけなブリキ缶の中に、溜まったことだろう。
ぼくのほうも、暇さえあれば、おばさんのところに駆けつけたものだった。屋上の片隅にすわって、おばさんと、どんなにいろんな、他愛ないおしゃべりをしたことか。本を読んで聞かせたりもした。おばさんは読み書きがよくできたけれど、それでもこう言ったものだ
―― パブー、読んで聞かせてくれる? 私、あなたが読むのを聞くのが、とても好きなの! あなたの声、とっても綺麗だから ――
ぼくらの村では、その頃、有志の企画で「修行僧ニマイ」の芝居があった。芝居の中で、ビシュヌプリヤの歌の一つがとても素敵だったので、ぼくはそれを覚えた。けっこううまく、歌うこともできたのだ。
主よ、この目にて まみえること 決して能わず ――
ただひたすら この胸の 内にて まみえん。
わが夜の 夢の中に 来たりたまえ、
はかなき眠りの 覆いの下に。
おばさんは、よくぼくに言った ―― パブー、あの歌を、歌ってくれない?
でも、村人の多くは、おばさんを目の仇にしていた。
ぼくの耳にも、そうした悪口が、聞こえて来た。
ラエ家の一番上のおかみさんが、こう言うのを、一度聞いたことがある ―― まったく何てこと! カルカッタかぶれの、仕出かしそうなことね。旦那がキチガイ病院にいるっていうのに、よくもまあ、あんなに髪を飾り立てて、前髪を小粋に分けて、どこから一体、あんな楽しそうな笑いが、出てくるのかしら! 思わせぶりたっぷり、まあ綺麗な色の、サリーだこと! ――
まったく、いやらしいったらありゃしない ―― でもね、どうせ私たち、時代遅れの婆あですからね、カルカッタのファッションなんて、縁がないっていうものよ。
似たような言葉を、他のいろんな人の口からも聞いた。
そんな連中の鼻を、へし折ってやりたかった。喧嘩をふっかけて、こう言ってやりたかった ―― いいや、お前たちなんかに、わかるものか。おまえたちの話は、全部、嘘っぱちだ。おまえたちなんかより、おばさんの方が、ずっといいんだから
―― ずーっと、ずーっといいんだから!
でも、こんな噂をするのは、皆、村社会のお偉方で、歳もぼくよりずっと上だ。だから、黙っているしかなかった。
おばさんの貌、顔かたちを、こんなに歳月の経った今、すごくはっきり覚えていると言うわけではない。ただ、おばさんの、ある一日の、輝くばかり好奇心に溢れた素晴らしい笑顔が、ぼくの胸に深く刻まれているのだ。その顔を思い出す時、19か20の、めずらし物好きの、笑みに満ちた美しい娘の姿が、目の前にくっきり浮かんでくるのだ。
その頃、ぼくらの村に、どこからか、イナゴの大群が押し寄せて来た。ありとある木、竹藪、ワサビノキの木叢、薮という薮を、イナゴが覆い尽くした。おばさんとぼくは、屋上に立って、この光景を見ていた
―― 二人のどちらも、それまで、イナゴの大群を見たことがなかったのは、言うまでもない。おばさんは、突然、驚きと好奇心を露わにして、指差しながら言った ―― ねえパブー、ほらほら、見てごらん
―― ラエ家のインド栴檀の木に、一枚も葉っぱが、ついていないわ、幹と枝だけよ、こんなの、見たことがないわ ―― あら、あら!
こう言うと同時に、面白がってはしゃぐ小娘のように、ケラケラ笑い始めたのだ。ぼくが覚えているのは、その時のおばさんの、その笑顔なのだ。
雨季が終わり、秋になった。ぼくらの川の両岸は、ススキの白い花が、輝くばかりに咲き誇っている。空は青く、白く軽やかな雲のかけらが、バダムボニの川洲の方から漂って来る。それは村のシャエルの舟着場の上を通り、ギリシュ叔父さんの広大なマンゴー果樹園の上を通り、シュボロトノプルの原の方へ、いずこともなく流れて行く
…… 裕福な金貸し商人たちが、キスティ川を通って行き来を始め、計量を生業とする者たちは、稲の量をはかるのに、昼夜忙しい。
おばさんは、ぼくらの村に残った。ポレシュおじさんも、キチガイ病院から出て来なかった。おばさんたちの家には、おばさんの義理の姉妹の甥に当たる人が、ドゥルガ女神の祭祀の時節にやって来た。名前はシャンティラム、歳は24、5、見てくれは悪くない。短期間だけ遊びに来たはずだったのに、どうしてまた、親戚の家に居座ったまま、動こうとしないのか、どこかに出かけても2、3日で戻って来て、またしばらくその家で時を過ごす ―― その理由が、ぼくにはよくわからない。ただ、耳に入って来るのは、この男の名前とおばさんの名前を抱き合わせた悪い噂が、村人の間に広がっていることだ。ある日の昼過ぎに、おばさんの家に行った。家の裏手の縁台、パパイアの木蔭にある窓際におばさんがすわっていて、シャンティラムはその外側の縁台に立ち、窓に嵌め込まれた鉄の格子を掴みながら、ひそひそ声で、何か一心に、おばさんとしゃべっていた。ぼくを見ると、不快を露わにした声で言った
―― 何だい、パブー、真っ昼間から、うろついているのか? 勉強はどうした? さあ、とっとと行くんだ ――
ぼくはシャンティラムに会いに来たんじゃない、おばさんのところに来たんだ。でも、ぼくががっかりしたのは、おばさんがそれに抗議して一言も言わなかったことだ。ぼくはすぐさまおばさんの家を離れた。おばさんに対してものすごく腹が立った
―― 何か一言でも、言ってくれて、よかったんじゃないの?
このことの後、おばさんの家に行くのを、まったくやめたわけではないけれど、行く回数を減らした。行ったって、おばさんが相手にしてくれることは、あまりない。近頃では、シャンティラムが、時を選ばず、屋上や屋上の小部屋にすわって、おばさんとおしゃべりをしている
―― ぼくが行くのを、それほど喜んでいる様子もない。おばさんの方も、シャンティラムが何か言うと、それに対してあえて口を挟むことは、できない様子だ。
おばさんの名前で、村のあちらこちらでいろんな噂が飛び交うのが、毎日ぼくの耳に入る。気づいてみると、このことについて、ぼくは、おばさんには何の怒りも抱いていない。怒りはすべてシャンティラムに向けられている。彼は色白で、確かに都会風と言ってもいい洗練された話し方で、身なり服装も洒落ていたけれど、もしかすると、その彼の整いすぎた身なりのせいか、あるいは都会風の喋り方のせいか、あるいは彼が、しょっちゅう紙巻きタバコを吸っているせいか、ぼくは最初から、この男を毛嫌いしていた。何だか胡散臭い、と思えたのだ。
ある日、チョウドゥリ家の池岸の、階段横に張り出した石作りの露台の上で、ショルボ・チョウドゥリとカリモエ・バルッジェが、何か話していた ―― ぼくは小魚用の釣竿を持って、池に魚を捕りに行ったのだ
―― そのぼくを見ると、彼らは話を中座した。ぼくが石段を降りて、魚を釣るために池の縁にすわると、ショルボ・チョウドゥリは言った ―― あのちび助、また来やがった。
カリモエ叔父は言う ―― 構うもんか。やつはまだ、子供だよ。何もわかりゃしないよ。
ショルボ・チョウドゥリは言う ―― さて、これからどうするか、だ。何とか始末をつけなきゃならん。村の中でこんなことが起きるのを、ほっとくわけにはいかん。皆で集まって話し合わねば。ポレシュの嫁の噂が、ここまで広がっては、とても黙ってはいられん。ノレシュの職場宛に、手紙をひとつ、書かなきゃならんし、それに、あの、シャンティラムの野郎
―― やつも処罰せねばならん。
カリモエ叔父は言う ―― 処罰がどうのこうの、じゃなくて、やつに、この村から出て行くよう、言うんだな。もし出て行かないなら、身の程を知らせてやれ。ノレシュが、わざわざ職場を離れて、親戚の男を懲らしめに、来ると思うか? やつが家にいない以上、わしらが後見人だよ。
ショルボ・チョウドゥリは言う ―― 嫁の方も、すっかり、調子に乗っていると聞くが。
カリモエ叔父は言う ―― どうも、そうらしいな。歳が歳だし、おまけに、旦那があのざまだ。
カリモエ叔父が、ぼくのことを、どんなにバカだと思ったか知らないが、ぼくには、何もかも筒抜けだった。おばさんに対する怒りは消し飛び、もしかしたら、叔父さんたちが、おばさんに、何かひどいことを言ったり、侮辱したりするかもしれない、と思った。このことをおばさんに知らせて、気をつけるよう伝えた方がいい。でも、すぐにこうも思った
―― こんなこと、とてもおばさんに言うことはできない。絶対に。
シャンティラムに対して、ものすごく腹が立った。どうしておまえ、この村に来て、他人の家庭の平安を、ぶち壊そうとするんだ? 自分の故郷に、どうして戻ろうとしないんだ? こんなにダラダラ親戚の家に居座って、よく、恥ずかしくないな!
この後しばらくして、ぼくは、村を離れることになった。父方の叔父の家に寄宿して、そこから学校に通うために。
村を去る前に、おばさんに会いに行った。母さんと別れるのが辛いのと同じくらい、おばさんと別れるのが辛かった。
おばさんは、ぼくに、優しくこう言った ―― パブー、よく勉強するのよ。あなた、どんなに立派な学者先生になって、どんなに立派な職に就くことでしょう! それでも、おばさんのこと、忘れないでくれるかしら?
はにかみながら、答えた ―― ずっと覚えているよ。ぼく、忘れないよ、おばさん。
おばさんは、すぐさま歩を進めてぼくのそばに近寄ると言った ―― 本当に、絶対、忘れないって言える、パブー?
強い口調で答えた ―― ぜーったい、忘れないから。
答えてすぐ、おばさんの顔を見遣ると、おばさんは目に涙を浮かべて、しかし笑顔のまま、ぼくの方を見つめていた。
本当のことを言うと、村を去るのは、ものすごく嫌だったのだ。父さんのきつい命令だった。どんな恐ろしい危険が襲おうとしているのか、わかっているのに、ぼくはおばさんを見捨てて、行こうとしている
―― ぼくの心は、そう告げていた。
でも、たとえ村に残ったとしても、ぼくみたいな子供に、いったい、何ができたと言うのだろう? 数ヶ月後、夏休みに家に帰って聞いたところでは、マーグ月[1月半ば〜2月半ば]に、シャンティラムがおばさんをどこかに連れ去った、とのことだった。誰も彼らの行方を探そうとはせず、しかるべき気遣いを見せようともしなかったのだ。
おばさんの歴史は、ここまでだ。その後、一二度、おばさんの消息が得られなかったわけではない。たとえば、ぼくが8年次の時、ぼくらの村の誰彼が、チャクドホへ、ガンガーの沐浴に行った時、おばさんを見かけたと聞いたことがある
―― いい服を着て、身体中を装身具で飾っていた、等々。さらに一度、ぼくが10年次の時、村に広がった噂によれば、カンチュラパラの市場で、村のオムッロ・ジェレの母さんか義理の叔母さんが、おばさんに出会った。その時、おばさんのあの美貌は失せていた
―― シャンティラムは、おばさんを捨てて、姿をくらましたのだ、等々。
こうした噂を聞いたのは、おばさんがいなくなって、6, 7年後のことだ。でも、こうした話に、どれだけの信憑性があるのか、ぼくにはわからない。ぼくには、おばさんが村を去ってからというもの、誰かがどこかでおばさんに出会ったとは、とても思えない。
もういいだろう、この話は。ごくありきたりの出来事だ。あらゆる場所で、繰り返し起きてきたことだ。何か目新しいことがあるかと言えば、そんなものは、何もない! でも、ぼくの心とおばさんの歴史との関係は、そんなにありきたりではない。本当に言いたいのは、そのことだ。
大きくなって、カレッジで勉強して、カルカッタに来た。少年の頃の数知れぬ友情、抱きつきたくなるような情愛は、新たに得た友人の洪水に遭って、いったいどこに、消え失せてしまったことだろう! でも、おばさんのことを、ぼくは忘れなかった。このことを知る者は誰一人いない
―― カレッジの休みで村に帰る時、ノイハティやカンチュラパラの駅に汽車が止まる度に、こうした場所のどこかにおばさんがいるかもしれないと、何度思ったことか。汽車を降りて捜したことがないのは確かだが、本当に息苦しいまでに、おばさんのことを思ったのだ。カルカッタの売春宿とおばさんに、何らかの結びつきがあると思うことは、どうしてもできなかった。なぜそうなのかわからないが、たぶん、子供の時に、カンチュラパラやチャクドホでおばさんを見たという噂が広がったために、こうした地域とおばさんとの結びつきが、ぼくの心の中に根付いてしまったのかもしれない。
でも、なぜ汽車を降りて、捜そうとしなかったのか、それには理由がある。誰かがぼくの心に、おばさんはもう生きていない、と告げたかのようなのだ。おばさんが年端も行かないうちに、無知のために犯してしまった過ちの重みを、神様は彼女に、永遠に背負わせることはなさらなかったのだ
―― 世知にたけていなかった若いおばさんの肩から、その重荷を下ろしてあげたのだ、と。
学校、カレッジでの時代を終えて、さらに歳をとり、家庭を持った。どんなに多くの新しい愛情、新しい顔、新しい知己を得ながら、人生を歩んだことか。どんなに多くの、昔日の甘い甘い笑みが、薄れゆく記憶の中で終わりを告げ、それに代わって、どんなに多くの新たな顔の新たな笑みに、新たな日や夜が、輝きわたったことか。人生とは、そうしたものだ。むかし、この人と会わなければとても生きていられないと思っていた人の追憶が、次第にどこかに沈んでいき、ついにある日、その人の名前すら、覚えていないことに気づく。
でも、心の歴史のこうしたゴタゴタの中でも、おばさんの記憶は、長い歳月、生きながらえている。幼い頃、おばさんの許から別れを告げた時、決して忘れないと誓ったのだったが、子供心の、この単純な真心のこもった言葉の重みを、神様は尊重してくださったのだ。
どうしてそれがわかるか、説明しよう。ぼくらの村からおばさんがいなくなったのは、遥か昔のことだ。イナゴの群れは、その後、村にやって来なかった ――
でも、ラエ家のインド栴檀の木は、まだ残っている。そんなに前のことではない ―― たぶん、昨年のマーグ月だったと思う ―― ラエ家の土地について、何か用があって、シタナト・ラエと、必要書類について語り合っていた時だ
―― 不意にインド栴檀の木が目に留まり、何やら気もそぞろになってしまったのだ。長いこと、この界隈に来たことがなかった。子供の頃の、あの、インド栴檀の木 ―― 次の瞬間、奇妙なことが二つ起きた。26年前の、ある、笑みを浮かべた娘の、好奇心と喜びに溢れた顔が浮かび、自分でも気づかぬうちに、胸は、一種得も言われぬ苦痛と悲しみに満たされ、書類についての話し合いに、何のやる気も起きなくなったのだ。そして気づいたのだ、ぼくはおばさんを、まだ忘れていないのだと!
歳を取った今、ようやく気づいた ―― おばさんは、その時、まだ、たったの18、9歳だったのだ! 何て幼かったことだろう!
人間の心に、人間は、このように生き続けるのだ。この26年間の間、木々に挟まれた小道を通って、いったい何人の新嫁が村に来、村から去っていったことだろう
―― でも、26年前の、ぼくらの村の、あの忘れ去られた不幸な若い嫁は、今なお、村の中に生き続けているのだ。