壮麗市場(ショババジャル)のシャイロック
壮麗市場(ショババジャル)のシャイロック 解題
この作品も、ショモレシュ・ボシュ(1924~1988)の五つ目の短編小説集『心の鏡』に掲載されました。
「ショババジャル」は、北コルカタ(カルカッタ)の中心に位置する、最も古い区画の一つ。17世紀末に、ガンガー(ガンジス川)の支流、フグリー川東岸に位置する、ゴビンドプル、コリカタ、シュタヌティの三つの村が、東インド会社の所有となりました。このうち最も北にあるシュタヌティが現在のショババジャルに発展します。
ショババジャルの地名の由来には、二つの説があります。
シュタヌティは、当初、綿織物市場として栄えましたが、そこで富を築いた商人ボシャク家の頭領がショバラム・ボシャクです。彼の名前がこの地名の由来であるというのが、最初の説。
その半世紀後、「プラッシーの戦い」(1757年)で、ロバート・クライヴ率いる東インド会社軍は、当時のベンガル地域の太守であったシラージュ・ウッダウラを破ります。イギリス軍に協力した東インド会社の書記ノボクリシュノ・デーブは、その後、その恩恵に浴します。彼のシュタヌティの邸宅はラジュバリ(王宮)と呼ばれ、そこでは、イギリスの高官を招待して、毎年、ドゥルガー女神を祀る大規模な祭祀が行なわれてきました。(この祭祀は現在も続いています。)この家で開かれる「ラジュショバ」(王宮の集い)の「ショバ」と、「壮麗」の意味の「ショバ」が響き合って、この地名になった、と言うのが二番目の説です。
いずれの説を取るにしても、「ショバ」には「壮麗」のイメージが伴います。周辺には、歴史ある古い建物や寺院が、数多くあります。この短篇の主人公シャイロックが塒とする古い館も、そうした建物の一つだろうと思われます。
ところで、シャイロックは、当初、ガンガーの水を家々に供していた、とあります。当時の北コルカタは、各所にフグリー川からの水を引いた水溜が整備されており、人夫たちは、その「聖なる水」を空き缶に入れて天秤棒に担ぎ、家々に配って歩きました。こうした人夫には、オリッサ(オーディシャー)地域出身の人が多かったようです。
シャイロックはその後、近隣の中高等学校 [「ハイスクール」、5年生または6 年生から10年生まで在籍] の使用人として雇われます。当時の学校教師は、生徒の授業料支払いがないと給料が支給されず、この物語にあるように、生活のため、しばしば借金せざるを得ませんでした。教師に毎月定期的に給料が支払われるようになるのは、1977年、インド共産党マルクス主義派(CPI-M)主導の左翼戦線が、西ベンガル州の政権を取って以降のことです。
壮麗市場(ショババジャル)のシャイロック
ショモレシュ・ボシュ
「壮麗市場のシャイロック」、彼は皆に、この名で知られていた。知られていた、ではない、今もなお知られている。そして彼が生きている限り、この名で知られるだろう。
なぜなら、この名前にこそ、彼の本来の姿が表れているからだ。彼の性格の内と外、すべてをひっくるめて、人びとはこの的確な呼び名を与えたのだ。自分たち自身の体験からこう名付けたのだ。
なぜなら、シェイクスピアの『ヴェニスの商人』に出てくるユダヤ人商人のシャイロックが、借金返済の代わりに彼の債務者の身体の肉を要求したように、われらが壮麗市場のシャイロックの性格にも、同様の冷酷さが際立っているからだ。時代が変わってしまったので、さすがに借金の代わりに債務者の肉を要求することはできないとは言え、借金を現金で返すのが無理な場合は、肉でそれに代えるのも辞さないに違いない。
無論、ショババジャルで、皆さんが彼の姿を見かけることは、滅多にないだろう。その、どこか地下道のような盲小路の中にある、古色蒼然とした、巨大なおどろおどろしい屋敷に、彼は、夜寝るためだけに帰る。その屋敷の部屋部屋は、いまや、地下牢の集積のように思われる。そして、何もかも壊さずにはおかぬ無法者のように、その壁にはバンヤン樹・インド菩提樹が頭をもたげ、野鳩だけがその迫持や天井の窪みに何世代にも亘って住みつき、生と死の戯れに忙しい。
だが、彼がショババジャルの住人であるまさにその理由のために、彼は壮麗市場のシャイロックと呼ばれるのだ。彼がショババジャルのもともとの住人ではなく、彼の「もともと」がいったいどこなのか、それについてのはっきりした情報は、誰一人持ち合わせていないにしても。それでもなお、ショババジャルの誰もが、彼を知っているのだ。しかも、ずっと以前から
—— 彼が天秤棒を担いで、ガンガーの水を、家から家へと供していた頃から。
当時、この界隈のほとんどすべての寡婦、および年老いた既婚の主婦たちが、彼を知っていた。とりわけ、神を祀る部屋の外の世界を知らない女たちが。彼女たちが知っていたのは、ガンガーの水を撒き散らす、四辺形の世界だけだったのだ。
当時、彼女たちの口から、よく次の言葉が聞かれたものだった —— この、ゴテのたわけ者、足に泥をつけたまま家に入るなんて、あんた、何を考えてるの?
この「ゴテ」という呼び名から、彼の本名をまるごと見出すのが困難なのは確かだが、私には、それが「ゴトットコチュ」だというのが自然なように思われる。なぜなら、彼がいま職を得ている場所では、信じられないことに、彼の姓名はラボン・ハルダルと記されているからである。
[「ゴトットコチュ」(ガトートカチャ)は醜い姿をした怪力の羅刹(『マハーバーラタ』)。「ラボン」(ラーヴァナ)は10の顔を持つ羅刹たちの王、ラーマ王子に征伐される(『ラーマーヤナ』)。]
この姓と名、二つともに、無論、ハチャメチャである。どうしてハチャメチャかと言うと、彼は自分の出自をポードだと主張するのだが、北ベンガル出身のバラモン、ポード出自の者が、ハルダル姓を名乗るのは、どう見ても不自然なのだ。そして、名のほうは? それについては、誰もがこの思いを抱きながら沈黙を守るほかはない
—— この地上には、どれだけ奇妙な名があることか! それも、よりによって、われらが壮麗市場のシャイロックに、こんな名前がつけられたとは? なんと奇妙なことだろう!
彼の職業のことを述べる必要があろう。なぜなら、借金の利子で食っている者に、また、職業なんてものがあるのか? という問いが生じるおそれがあるからだ。実際、彼は定職に就いている。その職は、彼の本来の商いの発展に、大いに役立ったのだ。
彼は、近所の中高等学校の使用人である。ガンガーの水の聖なる商いをしながら、この職を、彼はいつの日にか、手に入れたのだ。今や「いつの日にか」という言い回しをせざるを得ないのは、25年以上にも亘って、彼はこの学校にいるからである。この間、三度、校長が代わった。多くの新任の教師が来て、古い教師は去った。亡くなった教師も少なくない。
この職に就く前、彼はガンガーの水を家々に供していた。そして、そのガンガーの水の聖なる商いの時代に、彼ははじめて、一人に金を貸したのだ。
これもまた面妖な話ではあるが、少なくとも、「シャイロック生」の最初の芽生えがどうであったかは、知ることができる。
彼が当時住みついていて、今日なお寝泊まりしている例の屋敷には、彼のような者が多い。彼らは、さまざまな方便で、その日暮らしをしている。
シャイロックの —— そう、もうシャイロックと呼ぶことにしよう —— シャイロックの手元には、その日、1ルピーだけ金があった。その金で、彼はその日の食事を工面しなければならない。
屋敷の知り合いの一人が、彼に、1ルピーの借金をもとめた。だが1ルピーしか持ち合わせがない。貸すわけにはいかない。それに、彼には、金を貸したいという意志が全くなかった。
にも拘わらず、その男はしつこかった。と言うのも、彼には大麻中毒の気があったのだ。男はほとんど足に縋りつくようにして言った、4パイサは無理だが、夜が明けたら、1ルピーと一緒に、まるまる2パイサ [1パイサは1/64ルピー]
の利子を支払う、と。
この言葉は彼の気に染まった。そして、内心怖れを抱きながらも、彼はその男に1ルピー渡したのだった。そのために、彼はその夜、食事を抜かなければならなかったのだが、それでも、ほんとうに、1ルピーとともに、さらなる2パイサが来るかどうか、確かめたかったのである。
その金はやって来た。まるまる2.5センチ直径の、王様の絵の入ったピカピカの銅銭二枚を、彼は手に入れたのだ。その日、そしてその2パイサが、どんなに大きな歴史的出来事だったか、その時にはわからなかった。この出来事を知る者すら、いなかったのだ。
シャイロックの家がどこで、誰と誰がいて、結婚したかどうか、子供があるかどうか、こうした問いに対し、シャイロックの人生は、押し黙った海のように無言である。そこからは、泡のブクブクほどの意味不明の音すら、聞こえてこない。
彼の現在の知人たちの見るところ、この男は、昔からずーっと、この風貌のままだったのだ。痩せてもおらず、太ってもおらず、まるで鎚で鍛え上げたようにがっしりした黒い身体、その年齢は知る由もない。50歳かも知れぬし、65歳だとしてもまったくおかしくない! 禿げはなく、灰色の短い針のような髪、それは決して、伸びることもなければ、色変わりすることもない。脹れた団子鼻、小さな目の上では、太く毛深い一対の眉毛が、前方に垂れ下がっているかのようだ。あの、いつも同じ、アメリカ布地の襟付き半袖シャツに、出来合いの短いドーティ
[インド風の下衣、長い腰布を巻き付けたもの] を、前を畳んで着付けている。彼は決して靴を履こうとはしない。嗜むものと言えば紅茶ばかりである。
教師のほとんどが、彼に一目置いている。内心、怒りや憎悪がないわけではないが、恐れてもいるのだ。なぜなら、このシャイロックは、月末どころか、月初めでも金を貸してくれるからである。使用人の分際で。
いつから彼にシャイロックの名がついたか、それもまた遠い過去の話ではある。誰もが彼をこの名で呼ぶ。彼はまったく意に介さない。
ただ校長だけが、彼をラボンと呼ぶ。シャイロック自身、その名前を失念しているので、返事をしないこともしばしばある。校長が彼をラボンと呼ぶのは、そうすれば、少なくともシャイロックは彼を特別扱いするだろう、と思ってのことである。そして、おそらく同じ理由で、どんなに必要があっても、彼は決して、シャイロックから金を借りようとしないのだ。
シャイロックは、教師たちに対し、いつも、まるで叱りつけるかのようにものを言う。彼にはその権限があり、彼が叱るのを誰もが容認してもいるのだ。
たとえば、ベンガル語のホレン先生が、教室に行かずに、ビリ [大衆向けの葉っぱ巻きタバコ] をうまそうに吸っているとする。授業開始合図の鉦は、もう5分以上前に鳴ったのだ。
シャイロックが声を上げる ——
どうしたんです、ホレン先生、ビリを随分前から吸っていらっしゃるが、あちらでは8年生の猿どもが、ランカーの戦みたいな騒ぎですぜ。さっさとお行きなさい。
[「ランカーの戦」はラーマ王子と羅刹王ラーヴァナの最後の戦い。ハヌマーンの一群がラーマ王子に加勢する(『ラーマーヤナ』)。]
ホレン先生は、当然、怒るべきだ。校長は何も言わないのに、使用人の分際で命令するというのか? だが、どうして怒ることができよう? 元金どころか、今月の利子までまだ払い終えていないのだ。
あるいは、英語のオニル先生を呼びつけて、シャイロックがこう言うこともある—— おおいオニル先生、地面に裾を引きずっていますよ! そんな調子だから、ドーティが破れて、毎月借金してでも、新しいのを買う羽目になるんですよ。
オニル先生の心中は、いかばかりか。
だが彼は、シャイロックの顧客なのだ。
今挙げたのはまだかなりマシなほうだ。これよりずっとひどい言葉遣いになることも多い。算数のラムクリシュノ先生に対しては、彼はしょっちゅう、まさしくその算数の教えを垂れるのである——
ラムケシュト [ケシュトは「クリシュノ」の口語形] 先生、借金の計算にこれだけ間違いが多いのに、よく生徒たちに教えられますなあ。まあ、間違えようが何しようが、あんたの勝手だが、私に、2ルピー53パイサの利子を、払ってからにしてほしいもんですな。
ほとんどすべての教師が彼の管理下にある。校長を除いては。校長はシャイロックに借金しない。
だが、教師たちを管理し、誰に対しても対等にものを言うこの厚かましさは、歯止めを失い、遂には、学校には彼の上に立つ者はいない、と思われるまでになった。彼の思い通り、何でも言いたい放題、やりたい放題なのだ。
つい先月のことだ。学校監査官が訪問した。シャイロックはその日、教師たちの多くを叱りつけた。その上、監査官がやって来ると、シャイロックは前にしゃしゃり出て、紹介し始めた。
—— えーと、こちらがこの学校の校長です。
監査官は礼をし、校長も返礼した。怒りのあまり、校長の腸は煮えくり返っていた。だがその時は何も言うことができなかった。
それだけではない、シャイロックはすべての教師を紹介したのだ。こちらが算数のラムクリシュノ先生、こちらがベンガル語の……云々。
最後に、この見てくれの悪い・腰をまくり上げ・半袖シャツをまとった・ハリネズミのような頭のシャイロックに向かって、監査官は言った —— で、あなたの紹介は、まだでしたね?
シャイロックは、真面目くさった様子で答えた
—— 私はこの学校の使用人です。
監査官は唖然として校長の方を凝視した。校長の顔は真っ赤である。こう言うのが精一杯だった —— ラボン、外に行って、待っていなさい。
シャイロックは外に出てすわった。
監査官が去った後、校長は、シャイロックをほとんど叩き殺さんばかりの勢いだった。
—— 出て行け(ゲット・アウト)! 今すぐ出て行け、学校から!
重大な過ちを犯したことに気づいて、シャイロックは口調を和らげて答えた。
—— 紹介をするのがいけないとは、知りませんでした。分かりました、もう決してこんなことはしますまい。
足に縋りついて謝った訳ではない。彼にとっては、これで十分だったのだ。
その日一日だけ、彼は、どの教師も、叱りつけることはしなかった。
だがこの場所は、シャイロックの本来の仕事場ではない。仕事場は他にあって、そこでこそ、誰もが彼のことを、最もよく知っているのだ。そして、そこには、先生と呼べるような人は誰もいない。皆が下層階級の者たちである。
だから、学校の終了の鉦を鳴らすと、門番にすべての責任を預け、彼は運河縁のいつもの茶店に行って、腰をおろすのである。
その店には、彼が決まってすわる場所がある。紅茶のグラスを持ってそこにすわり、彼の太い眉の下にほとんど隠れている小さな二つの目で、西の空の方を見つめる。
その場所は、彼が意図して選んだのである。なぜなら、西の方角にはほとんど遮るものがなく、ガンガーが見えるからだ。ガンガーの向こう岸まで。そこにすわったまま、彼は日没を見る。
いや、この世の謎の無言の発現を目撃するために、日没を見つめている訳ではない。彼の顧客の一団が借金の返済に来るのだが、日没と同時に、その利子が1パイサ上がるのである。
夕暮れ時に金を受け取る。次の日の日没前までに、利子とともに借金が返済されなければ、また利子が加算される。ここでの商いは、時計に基づいていない。ガンガーの向こう岸の木蔭に太陽の姿が消えるのが、一日の終わりの合図なのだ。こうして、1ルピーの借金の返済額は、1ルピー1パイサではなく、1ルピー2パイサになるのである。
仲買人たちの大部分は、夜、街を離れ、遠い村の市まで野菜類を買い出しに行く、卸し値で。その時のために、彼らには資金が必要になるのだ。翌日、市場での売り買いの末、彼らは損得勘定をするのである。
シャイロックに金を借りた連中も、夕方4時になると空を見上げている。太陽が沈んでしまえばもうおしまいで、10ルピーの利子が20パイサになるのである。
とは言え、その中にはいくつかの抜け道がある。例えば、債務者の列ができて、全員の収支決済が日没前に終わらない場合である。その場合、決済が済んでいない債務者たちは、余分の利子を払う必要がない。なぜなら、彼らは日没前に来ていたのだから。もちろん、本当に日没前に来たかどうか、シャイロックは目を光らせている。
銀行で小切手を現金化するには、2時までに窓口に行かなければならないのと似ている。このやり方をシャイロックは銀行から学んだのである。債務者には、男女を問わず、あらゆる種類の者たちがいる。そしてシャイロックの応対は、誰に対しても同じである。
という訳で、彼は夕方4時に運河縁の茶店に来て、座を占めるのである。膝の上には、お決まりの汚れた分厚い帳面、そして糸で結んだ鉛筆。その鉛筆の先の減り具合は、彼が実際に書くよりも、舌で何度も舐った結果の方が大きいのである。
帳面を開いて、一人一人の収支を、微に入り細を穿って確かめる。数字はすべて彼の手書きであり、彼以外には誰一人読むことはできない。数字の横に書かれたさまざまな印も、彼以外に解読できる者はいない。
1パイサも疎かにせず、彼は勘定する。唾をつけてページをめくりながら、利子計算と照らし合わせる。そうしながら、度々、空の方を仰ぐ。
空を見上げた視線を戻すと、債務者を、鋭く吟味するような目つきで観察する。誰と誰がまだ来ていないか、正確に覚えている。習慣になっているのだ。
大目に見る、などということはあり得ない。「容赦」などと言う言葉は、シャイロックの辞書にはないのだ。…
もし誰かが、—— ねえ、シャリク叔父さん—— とでも切り出したとしたら ……
そう、これも説明を要する。こんな風に、債務者たちは彼を、「シャリク」と呼ぶのである。「シャイロック」という言葉の意味を彼らは知らない。だが、この音を聞き慣わした結果、「シャイロック」は、彼らの理解と発音の両方で「シャリク」
[インドハッカ、ムクドリ科の鳥] となったのだ。
それでも、彼はまったく意に介さない。
もし誰かがこう言ったとする——ねえ、シャリク叔父さん 、今日はちょっと勘弁してくれないかな、もちろん明日払うから。今夜は、子供たちと、とにかく何とか食いつなぎたいんだ。
—— あんたが食いつなぐために、金を貸したわけじゃないぜ。
ごもっとも。日没後にやって来て、足に縋りついて頼んだところで、利子が倍になることを誰も免れることはできない。たまたま誰かの家で誰かが死んだために来れなかったとしても、シャイロックが容赦したことはない。死んだ債務者の金すら、徴収せずにはおかないのだ。ただし、死んだ後の日々の利子だけは、免除するのであるが。
かつて、女仲買人のパンチが、花キャベツを丸ごと二つ、シャイロックにやったことがある。パンチは、借金が少したまっていた。利子もたまっていた。その上、来るのが遅れて夜になった。だからパンチは花キャベツをやったのであろう。だが、花キャベツを受け取ったところで、彼は利子を半パイサすら負けることはなかった。
死・服喪・不慮の出来事、何が起ころうとも、この壮麗市場のシャイロックを、かつて動かすことはできなかった。日没を見ることを、彼はいかなる理由があれ、かつて一度も忘れたことはないし、日没後に利子が増えるのを、1パイサとて容赦したことはない。
債務者たちは、彼のもとに来ない訳にはいかないのだ。なぜなら、毎日の必要を充たしてくれるような貸し手を見つけるのは、とても難しいからだ。しかも、信用のおける貸し手を。だがその実、誰もが心の底から彼を憎悪する。金の必要があるにも拘わらず、誰もが彼の死を望む。そして誰もが堅く信じるところ、こいつが死ねば、ハゲタカが来てその死骸を食い荒らすだろう
…… しかも、死ぬ時には、たぶん、血を吐いて死ぬことになるだろう ……
彼のその死に様を想像しただけで、多くの人は、胸のすく思いがするらしい。
かくも冷酷な壮麗市場のシャイロックではあったが、そんな彼が、ある驚くべきことを仕出かしたのだ。
近隣の象の園市場で野菜を売る寡婦のシュコダは、42歳になる。見てくれはさほどでもないが、歳の割に身体はしっかりしている。顔容も月並みだが、ある種の輝きがある。道を行く時には、誰しも一度は彼女の方に目を注ぐ。
彼女はシャイロックの顧客である。時にシュコダは、シャイロックに色目を使ったり、少しよけいに笑いを見せたりもするのだが、彼の応対に変化の兆しはない。それに、こうしたことを目にしても、彼は半パイサすら負けることはなかったのだ。
シュコダはある日、彼女の16歳の娘を伴って現れた。そして、その日、シャリクが彼女の娘モエナを繰り返し見ているのが、シュコダの目に留まった。
モエナは、16歳ではあるが、やや大柄なのが、回りの目を惹く。その上、彼らが住む居住区は柄が良くない。娘をめぐって、シュコダの心配は尽きることはない。指笛、歌声での誘惑は四六時中。一瞬でも目を離すと、たちまちそわそわし始める。少しでも誰かの方に気を取られる様子を見ると、シュコダは彼女を抓って我に返らせる
—— いったい、何があるんだい、あっちばかり見て?
モエナはシュコダの頭痛の種だ。だが、シュコダには、娘を嫁がせるだけの金力がない。
そうしたことは、シャイロックも承知である。
だが、この「シャリク」の視線を見て、シュコダの胸には驚くべき願望が頭をもたげた。シャイロックを婿にするのも悪くはない。お伽噺の王子様のように、金の山を手中にしている。そんな彼を絡め取る道が、あるにはある。年齢? 金と比べれば、どうと言うことはない。それに、男に、歳が何だと言うのだ!
ある日のこと、こう口を切った——もうこれ以上、この娘を家に置いておくわけに行かないわ、シャリク兄!
—— 嫁がせろ。
—— 持参金はどうするの?
—— いくらだ?
シュコダの胸に震えが走った。こんなことを聞くの、どうしてかしら? 無利子で金を貸す気?
——まあ、今時、嫁がせるとなると、五百ルピーはいるわね。
——ふむ。
言葉を途切らせ、ひとたび日没の方に目を遣ると、シャイロックは言った—— 娘を嫁がせたいのか? あのモエナを? 相手を見つけたのか?
実は、すでに目をつけていた。上物で、シアルダ [コルカタ東部、ベンガル各地を結ぶ路線の発着駅がある] 市場の、かなり格上の店の主人である。だが、シャイロックが彼女を騙していないという証拠が、どこにある? シャイロック自身が婿になりたがっているのが、シュコダには分からない、とでも言うのか? それにしても、一度鞭を入れてみるのも悪くはあるまい。
—— 見つけたわ。
—— いい相手か?
―― 上物だわ。
—— ふむ。おまえの娘はいい子だ、シュコダ。見た目も綺麗だ。おれは気に入ったよ。
どんな風に気に入ったのか、それをシュコダは知りたかった。それで探りを入れた。
—— あんたには、見る目があるわ、シャリク兄。
—— ふむ。おまえの娘が幸せになるようにと、おれは願っているよ、シュコダ。
誰の幸せが欲しいのだろうか、シャイロックは?
シャイロックは、突然言い放った——金はおまえにやるよ、シュコダ。
——そんなにたくさんのお金、どうやって返したらいいの、シャリク兄?
シャイロックは、西の空の方を凝っと見つめた。彼の二つの眉は微動だにせず、両の目は穏やかに大きく見開いていた。重々しい声で言った。
——貸すんじゃない。おまえの娘の結婚のために、やるんだよ。五百ルピーやろう。だからその相手に伝えて、結婚の日取りを決めろ。このジョイシュト月 [5月半ば〜6月半ば] のうちに、式を挙げるんだ。
シュコダは、口をポカンと開けてシャイロックの方を見つめていた。
シャイロックは続ける——おまえの、今日の分の借金と利子を、払いな。
シュコダは借金と利子を渡すと言った——モエナの結婚のこと、嘘じゃないでしょうね、シャリク兄?
シャイロックは凄まじい形相になった。声を荒げた
—— このシャリクが、今まで嘘を言ったことが、一度でもあったか?
シュコダは娘の結婚の手筈を整えた。日取りが決まった。
500ルピーを手元に置いて、シャイロックは、毎日、シュコダの必要に応じて金を渡し続けた。
シュコダを脅す者もある。悪い噂を立てる者にも事欠かない。その醜聞から、母娘のどちらも、逃れることはできなかった。
それにしても、女を手に入れることが、シャイロックにとって、そんなに困難だったのだろうか? まるまる、五百ルピーも払うなんて?
誰もがシャイロックを、驚きの眼差しで見つめた。
こうして、その結婚式の日がやって来た。五百ルピーの残りをすべて、シャイロックはシュコダに手渡した。
式が終わった。招待客の中には、シュコダが招いた、多くの知り合いの仲買人がいる。彼らは皆、シャイロックの債務者である。
驚きと疑いに眉を顰め、さまざまな噂話が飛び交う。もちろん、シャイロックが話題だ。シュコダとモエナだけは、驚きのあまり、呆然としていた。
シャイロックは、他の招待客と並んで座り、食事をした。その後、絹のサリーを一枚取り出し、モエナに渡した。—— さあ、これを。
シュコダはわっと泣き出した。モエナは帰敬した。
立ち去る前に、シュコダを蔭に呼ぶと、シャイロックは言った ——この三日間、おまえの未払いの利子がたまっているぞ。あの7ルピー半だよ、覚えているか?
シュコダは驚いて答えた——はい。
—— どうしてさっさと払わない? 毎日利子がたまっていくぞ。明日、全部、払うんだ。
この男は、何一つ忘れることはない。五百ルピー払ってシュコダの娘の結婚を按配した、その同じ男が、7ルピー半の借金の利子、30パイサの支払いを催促するのを忘れない。
シャイロックが去った、その後を追って、何人かの仲買人たちが去った。
その後、シュコダたちの家からかなり離れた運河縁の、陸橋に隠れた暗闇の中で、突然何人かがシャイロックに襲いかかった。彼らは容赦なく彼を叩きのめした。そして、ただこう言う声だけが聞こえてきた——
この野郎、やっと正体を表したな! 女の尻を追いかけるのに、金を使いやがって! 貧乏人から巻き上げた金を!
翌日、噂は矢のように広がった —— どこかの連中が、シャイロックを叩き殺したらしい、との噂が。
学校の教師たちは見た —— シャイロックの、脹れて傷だらけの顔を。彼は死ななかったのだ。教師たちは鼻の先で笑った。
その日、運河縁の茶店を訪れた債務者の群も、特別の眼差しで、彼を観察した。
だが、シャイロックの応対には何の変化も見られなかった。ただ、五人ほどの仲買人に向かって、こう言っただけだった——いいか、この世では、罪業が、まだ幅をきかせているのだよ。おまえたちはまだ、解脱を得られん。おれにも、解脱はない。
これ以外、彼は何一つ言わなかった。
この出来事の後、五年の歳月が経ったが、シャイロックはと言えば、まったく前のままである。彼には何一つ、変わったところはない。
ただ、シュコダ、および皆の胸には、モエナの結婚を按配したことが、シャイロックの人生の沈黙の海における、いくつかの理解不能な泡のような印象を残したのだ。とにもかくにも、泡のようなものが立ったのである。