黒い山(カラパハル)
黒い山(カラパハル) 解題
タラションコル・ボンドパッダエ(1898-1971)の中期の短篇。彼の三冊目の短篇集、『花の蕾』(ベンガル暦1345年ボイシャク月、西暦1938年4月出版)に掲載されました。
作品に登場する二頭の水牛は、主人公のロンラルによって、それぞれ、カラパハル、クンボコルノという名前がつけられます。いずれも庶民にもよく知られた伝説上・神話上の存在で、二頭の持つ外貌と性格を的確に表現しています。
カラパハル [「黒い山」、カラには「黒」のほか「聾」の意もある] は、本名ラジブロチョン・ラエまたはカラチャンド・ラエ(1534-1580)、北ベンガルのバレンドラ・バラモンの家系に生まれたと伝えられます。言い伝えによれば、彼は、当時ベンガルの君主(スルターン)であったスライマーン・カーン・カララーニーの軍隊に加わり、頭角を現して君主の目に留まります。そして君主の娘とイスラーム式の結婚式をあげ、カララーニー軍の長となります。その後、彼は後悔してヒンドゥー教に再び改宗しようとしますが、ヒンドゥー社会から強い反発と侮辱を受けます。彼はその復讐のため、カララーニーの領土拡大の戦いに伴い、プリーのジャガンナート寺院を始め、各地のヒンドゥー寺院やそこにある神像を破壊したとされています。どこまでが史実かは不明ですが、この綽名から、黒い巨躯を持ち、誰の言うことにも耳を貸さない、破壊者のイメージが伝わってきます。
また、クンボコルノ [「水甕のような耳を持つ者」の意] は、『ラーマーヤナ』に登場する羅刹王ラーヴァナの弟で、巨躯で怪力の持ち主。一年のうち六ヶ月は眠り、起きている時には凄まじい食欲に駆られ、手当たり次第ものを食べたと言われています。
なお、主人公のロンラルとその一家は土地持ち農民で、ショドゴプという出自集団(ジャーティ)に属します。ショドゴプは、ビルブム県では、当時、全人口の一割弱を占めていました。
ベンガルのヒンドゥー社会では、下位のシュードラ種姓が大きく二つの層にわかれます。ショドゴプは比較的裕福な上層に属し、最後に水牛の死骸を処理するために呼ばれるドームは最下層の不可触民、ナマシュードラ(ノモシュドロ)種姓に属します。『船頭タリニ』の解説をご参照ください。
カラパハル(黒い山)
タラションコル・ボンドパッダエ
分からず屋を説得するほど骨の折れる仕業は、この世に存在しない。歳のいった分からず屋ともなれば、幼児よりはるかに面倒である。幼児が月をほしがっても、月の代わりに甘菓子を与えればおとなしくなる。あるいは叩きさえすれば、泣きながら眠りに落ちて静かになる。だが歳のいった分からず屋は、何を言っても耳を貸さず、おまけに、頑固一徹の伝説の女ボビのように、決して忘れようともしないのだ。
ジョショダノンドンは、いかに情理を尽くしても父親を説き伏せることができず、しまいには、いわゆる愛想もこそも尽き果てて、言い放った、じゃあ父さんの好きなようにするがいいさ。象を二頭、買ってきたらいいだろう!
想像上の二頭の象が、長い鼻を振り回して身体に水を撒きでもしたのであろう、ロンラルは怒りのあまり火のようになった。彼は水煙管を吸っていたが、この言葉を聞くと数瞬息子の顔を見据え、手に持った煙管を力任せに地面の上に投げて叩きこわすと言った
―― こいつでも、喰らえ!
ジョシダは呆然として父親の顔を見つめていた。
ロンラルは言った、象? 象だと? おいこの恥知らず、いつわしが象を買うと言った?
ジョショダはこの言葉に対しても何も答えなかった。彼もまた怒りに震え、黙りこくったまますわっていた。
この時になってようやく、「象買い」に対するまっとうな答を見つけたのであろう、ロンラルは今度は痰の絡まった声で続けた、象だと? それより、山羊を二頭買ったらどうだ?たっぷり収穫が増えるぞ。竹藪みたいに稲が育ってな、人の背丈もある稲穂をつけることだろうよ! まったく、百姓の倅が読み書きを身につけると、こんなぼんくらに育つとは! おいこのぼんくら、良い牛がなくてどうやって田畑を耕す? 鋤が土に肘の深さまで入って、土が膝までしんなり柔らかい小麦粉みたいになって、始めて稲が実るんだ、収穫があるんだ。
ロンラルは、今回はどうしても牛を買うのだと言って聞かない。この、牛を買う買わないで意見が衝突し、父子の間で数日前から口論が続いている。ロンラルはかなりの規模の農家で、耕地も広く、土壌も良質である。農作に対する熱の入れようは尋常ではない。逞しい巨躯を持ち、農作業ではその身体で阿修羅のように働く
―― いっさい骨身を惜しまず、とことんまで力を使い果たす。おそらくそれが理由で、牛に対しても彼はこれほどのこだわりを持つのだ! 彼には、一点の非の打ち所もない牛が必要なのだ
―― 若くて豪勢な色、しっかりした角、蛇のような尾、他にも多くの美点が揃っていないことには彼の気に染まない。さらに付け加えるなら、彼の持ち牛に匹敵するような牛が、近隣の誰のところにもあってはならないのだ。彼は牛の首に鈴と鉦の環をぶら下げ、日に二回、麻布で身体中をはたいて拭ってやり、二本の角には油を塗る。時にはその足を拝することさえある。酷使した日があれば、その足を撫でてやりながら言う、ああ! ケシュト神の共連れよ!
過去数年間、不作と息子ジョショダの学費の支払いが続いたために、ロンラルの暮らし向きはここのところやや落ち込んでいた。だが、今年ジョショダは10年生修了認定試験 [後期中等教育(11~12年生)の入学資格を判定する] に合格したし、昨年の稲の収穫も悪くはなかった。そのためロンラルは、いまこそ良い牛が絶対に必要だと言い張っているのである。前回牛を一対買ったばかりなのだが、それらに対し彼は愛着を持っていない。その二頭は小さいわけでもなく決して悪い牛ではないのだが、それよりいい牛はこの地域の多くの農家が持っている。
ジョショダは言う、今年はあれで我慢しようよ。おれが何か仕事でも見つけて、今度も稲の収穫がよかったら、来年買うことにしたらいいだろう。買うとなると二百ルピーでは足りないし
―― そんな金、父さん、いま、どうやって工面するって言うんだよ?
金をどう工面するか ―― そんなことは知ったことではない。とにかく牛が絶対に必要なのだ。
ついにはロンラルの突っ張りが功を奏することになった。ジョショダは腹を立てたまま口を噤んでしまった。金の算段もついた。手持ちの一対の牛を売って手に入ったのが百ルピー、残りの百ルピ――はジョショダの母が工面した。彼女はロンラルに蔭で言い含めた、あの子と喧嘩してどうなると言うの? あんた、牛を買って来なさいな! 買ってしまえばあの子も何も言えないわよ。
ロンラルは勇んで言った、おまえの言う通りだ、そうしよう。あいつがいくら悔しがっても、後の祭りってもんだ!
あの二頭を売ってしまいなさい。そして、ほら、これ ―― これを抵当に入れれば何とかなるわ。良い牛でないと、うちの牛舎には似合わないもの。
彼女は自分の装身具をいくつか手渡した。ロンラルは嬉しさに天にも昇る心地だった。
こういうわけで、ロンラルは金を揃えるとパンチュンディ村の牛=水牛市に行くことを決めた。よく見定めた上で、気に染む二頭の牛を手に入れるのだ。乳のように真っ白か、ヨ――グルトを張る石の器のように真っ黒な、二頭の牛。
パンチュンディの市の入り口に来て、彼は驚きのあまりその場に佇ちつくした。おう、おう! 何てこった! こいつはたまげた ...... 何千頭いるんだ、いったい!
何千頭とは行かないまでも、パンチュンディの市には、牛と水牛を合せて千頭を下らない数が運ばれて来る。そしてそれに見合う数の人も集まる。牛と水牛の叫び声、人間の喧噪
―― 言語に絶する叫喚が響きわたる。頭上ではその時太陽が中天に輝いていた。獣の売り買いが行われているどの場所にも、一点の影すら落ちていない。だが人間のほうはそちらにはお構いなしで、倦くことなく巡り歩いている。ロンラルはその人の群に紛れ込んだ。
牛の群は一カ所に犇めきあい、その目は怖じ気づいている。仲買人たちは辻売りのように叫んでいる ―― さあ、行った行った! さあ、行った! 虎の子並みに力があるぜ! アラビア馬並みに働くぜ!
ロンラルは、鋭い目つきで、好みに合う代物を物色していた。
向こうの方ではさらに派手な騒ぎが起きている。耳をつんざくほどだ。殺し合いが起きているようにも聞こえる。ロンラルは、そちらを目指して進んだ。水牛の市である。漆黒の手に負えない獣たちを、休みなく走らせている。仲買人たちの群は叫びながら大きな竹棒で容赦なく叩き続け、獣たちは前後の見境なく走り回る。池の水に身を沈めているのもいる。まだほんの年端のいかぬものから老いぼれにいたるまで、売るために連れて来たのだ。胴体の皮が破れ、真っ赤な傷跡がてらてら光っているものもある。もう少し向こうのマンゴーの木に囲まれた池の縁にも、人だかりがしている。ロンラルは、そこに何があるか確かめるために歩を進めた。仲買人の一人が水牛を追い立てていたが、不意にその振り回していた竹棒が手から滑り落ち、ロンラルの傍に落ちた。ロンラルは少し腹を立て、その竹棒を拾い上げた。
仲買人のほうは余裕なく、いかにも忙し気に言い放った、おいおい、さっさと竹棒をよこせよ!
もし、おれに当たっていたら!
そりゃ、あんたに当たったら、ちょっとは血が流れただろうが、それがどうした?
ロンラルは言葉を失った。ちょっとは血が流れただろうが、それがどうした、だと?
おい、兄弟、早くよこしなよ! 手が滑ったんだよ、さあ、早く!
ロンラルをしげしげ見つめて、仲買人の言葉遣いはさすがに少し丁寧になった。
竹棒を渡そうとしてロンラルは震え上がった、何だ、これは? 棒の頭に針の先が突き出ているじゃないか!
仲買人は笑って言った、そんなものを見て何になる。渡しなよ、兄弟!
ロンラルはよくよく眺めた ―― 確かに針の先だ。それも一本でなく、二本も三本も。不意に、人から聞いた話が頭をよぎった ―― 仲買人たちは棒の先に針を仕込み、その針に刺されると、水牛たちはあんな具合に前後の見境なく走り回るのだと。何てことだ!
彼は大きくため息をついた。仲買人は言った、どうだい? 買うかい、旦那? 買う気なら、いいやつをやるぜ、安くしとくぜ。おい ...... おおい! こう言うと、ロンラルに見せつけながら彼は水牛たちを追い立て始めた。
いい子だ、いい子だ! おお、何ていい子なんだ! 追い立てながらも、ときに仲買人は愛情をこめて撫でてやったりもするのである。
ロンラルは囲い場の中に入った。
まわりはすべて水牛の群である。ここにいる水牛たちはすっかり肥え太り、無理無体に小突かれて走り回ることもない。あるものはすわり、あるものは立ったまま、おとなしく目を閉じて反芻に余念がない。
牛はこの囲い場にはいない。引き返そうとして囲い場の一番端まで来た時、ロンラルはギクリとして足を止めた ―― こいつは水牛か、それとも象か? こんな巨体の水牛を、ロンラルは今まで見たことがなかった。他にも何人か、そこに立っていた。一人が言っていた、やれやれ、いったいこの水牛を、買うやつがいるのかね?
仲買人は言った、王様か大地主か、さもなきゃ幸運の女神に見放されたなけなし野郎、ってとこだよ! いくつも市を回ったんだが、どうやらまた、別の市に行かなきゃならねえみてえだな。
もう一人が言った、こんな水牛を買い込んで、どうしようってんだ? こいつが曳く鋤を誰が操れる? まずはそいつを捜すんだな!
仲買人は言う、おい兄弟、人間はな、知恵を絞れば虎だって手懐けることができるんだ。相手はたかが水牛だぜ。鋤をでっかくしさえすれば、押さえこめる! こいつの鋤は土の中に、肘どころか、肩の深さまで入るぜ。
ロンラルは、感じ入った鋭いまなざしで、その一対の水牛を見つめていた ―― こいつはすごい! すごい代物だ! 図体の割に、足は短い。あの短い足で踏ん張れば、泥土を20モン [約75キロ] は、胸の高さまで楽々もちあげるだろう。何て黒さだ! まるで黒曜石じゃないか! それに何よりも、二本の角の豪勢なこと! そしてこの二頭、同じ鋳型に流し込んだみたいだ ―― まるで双児じゃないか!
だが、この金で足りるだろうか? まあ、様子を見てみよう。市が終わって、買い手が残らずいなくなった時だ。仲買人のやつも言ったじゃないか、いくつも市を回ったが買い手がつかなかったと。売値だけが問題なんじゃない。一番の問題は、この二頭の二つの胃袋が、底無しにでかいことだ。
ロンラルはとうとうこの二頭を買い取ってしまった。どうしても彼は誘惑に打ち克つことができなかったのだ。手持ちの金で何とかなった。仲買人も、いくつもの市を回ってほとほと嫌気がさしていたのだ。抵当に入れて借りた金が、この間、たまりにたまっていた。ロンラルがほんとうにそれ以上の持ち合わせがないと見て取ると、彼は二頭合わせて198ルピーで手を打った。ロンラルの顔は輝いた。周囲の誰もがそれを見て、賞讃のあまり目を丸くして見入る様を、彼はありありと思い描いたのだ。だが家に近づくにつれ、彼のその胸の昂りは次第に萎み、代わって憂鬱が胸を覆いはじめた。読み書きを知る息子を彼はとても怖れていた。息子の言葉に反駁するために、彼は精魂を注がねばなるまい。その上、こんなに大きな二頭の動物の胃袋を満たすのは容易なことではない! それぞれが、一日80束以上の乾し草を、ペロリと呑み込むだろう。
かかあ ―― ジョショダの母親 ―― は何と言うだろう? 彼女は、水牛の名を聞いただけで、嫌な顔をするのだ。ロンラルはあれこれ思い悩むのに倦み疲れ、しまいには自分に向かって反発の声を上げるようになる。どうした、何を怖れる、それも誰に対して? 家は誰のものだ? 財産の主は誰だ? 誰の言い分を聞かなきゃならんと言うのだ? 農作業がどういうものか、他にわかっている奴がいるか? ロンラルは思った
―― 地面の下に潜む豊饒の女神ラクシュミーの眠りが、いまや破れようとしているのだ、と。びっしり埋め尽くされた土の覆いを、鋤を入れて粉々に砕きさえすれば、女神は豊饒の籠を腰に携えて現れ、この世を照り輝かせながらそこに鎮座される。膝までぐっしょり泥にまみれ、湿った土の薫りをあたりに振り撒きながら! 稲の苗は三日のうちに三つの株に分かれ、さらにいや増しに殖えるであろう。
だがこの思いも長続きしない。再び息子と妻の顔を思い浮かべ、落ち込んでしまう。彼は心の中で、彼らを満足させるための世辞甘言をひねり出し始めた。
家に着くと、彼は笑いながらジョショダに言った、とうとうおまえが言った通り、象を一対買うことになったよ。
ジョショダは、たぶん巨大な雄牛でも買ってきたのだろう、と思った。彼は言った、大きすぎる牛はよくないんだよ、父さん! がっしりした、引き締まった身体の、あまりでかくないやつ
―― そういうやつがいいんだよ。
満面に笑みを浮かべてロンラルは言った、牛じゃないぞ。わしが買ったのは水牛だ。
ジョショダは驚いて言った、水牛?
ああ。
ジョショダの母も言う、水牛を買ったの、あんた?
ああ。
笑い事じゃないわよ、あんた! まったく、虫唾が走るわ。 彼女は怒鳴り声を上げた。
おいおい、ちょっと待てや。まず自分の目で見て、それからものを言うんだな。さあ、水瓶と、ウコンと、油と辰砂を用意しろ ―― まずはドゥルガー神の御名を唱えて、家に迎え入れるんだ!
水牛を目にして、ジョショダの顔はますます苦虫を潰したようになった。彼は言った、まったく、稲藁を何束やることになるんだか。とてつもない胃袋だ! どっちもクンボコルノみたいに、底無しに喰らうだろうよ。そんな稲藁、いったいどこから手に入れるつもりなんだ!
いっぽうジョショダの母は、茫然として二頭の水牛を見つめていた。恐ろしくは見えるものの一種の偉容を備えているのは確かだ ―― その姿は人の目を釘付けにさせずにはおかない。二頭の水牛は、少し頭を垂れて斜交いに皆のほうを見つめていた。目の黒い部分の下に、赤みがかった白い広がりが少しだけ露出している。恐ろしい容貌にふさわしい目つきだ。
ロンラルは言った、さあ、足に水をやれ。
とんでもない! あんなののそばに、私、とても行けないわ。
ダメだ、ダメだ。おまえ、こっちへ来るんだ、怖がることはねえ、さあ、早く。おとなしいぞ!
ジョショダの母は、おそるおそる歩を進めた。二頭の水牛は、ふうと激しく息を吐き、何か言いたげな様子を見せた。ロンラルは言った、おい、気をつけるんだ! おまえたちの母さんだぞ。ご飯汁をくれる、ご飯をくれる、稲殻をくれる。お主婦さんだぞ、覚えとけ!
それでもジョショダの母は身を退いて言った、ダメだわ、この油と辰砂とウコンはあんたがやりなさい。私にはとても無理だわ。まるでカラパハルみたいなんだから!
ロンラルは口を開いた、おお、ぴったりの名前だ! カラパハルに決めよう ―― こいつだ、この太ったやつだ、こいつがカラパハルだ。で、こいつは何と呼んだらいい?
少し考えた後、彼は再び口を開いた、もう一頭はクンボコルノにしよう ―― ジョショダの言った通りだ。これもぴったりの名前だ!
ジョショダの母も喜んだが、ジョショダは不機嫌な顔を変えなかった。
ロンラルは不快を露わにして言った、わしはな、むっつり顔は大嫌いなんだ。牛だろうが、聖者様だろうが。
ロンラルは、早朝からカラパハルの背に乗りクンボコルノを追い立てながら、彼らを川岸に導き放牧する。戻るのは夕方3時である。稲藁を倹約するためだけではなかった、すっかりこの習慣の虜になってしまったのだ。このことは家中の者の顰蹙を買った。ジョショダの母親にすら嫌がられる始末だった。
ロンラルは笑って言う、今年は稲藁の収穫でどれだけ稼げることか。まあ、見てのお楽しみだ。売れたらすぐ、おまえの装身具を買い戻してやるからな。
彼女は言う、装身具がほしくて、私が夜眠れないとでも思っているの? そんなことのために、昼も夜もあんたの尻に火をつけているとでも?
ジョショダは言う、そのうち蛇に嚙まれるか虎に喰われるかして、あの世行きさ。
実際、川縁には蛇が山ほど待ち受けているし、ときには虎の一、二頭さえ紛れ込むことがあるのだ。だがロンラルはそんなことにはお構いなく、川縁に行くとお決まりの木蔭に大手拭いを敷き、その上に横たわる。二頭の水牛は草を食みながら歩き回る。二頭が遠くまで行ってしまうと、彼は口で奇妙な音を立てる
―― アーン アーン! 水牛の声と寸分違わない声だ! 遠くからその声が聞こえてくると、カラパハルとクンボコルノは草を食むのをやめ、顔をもたげ耳を欹てる、そして二頭とも同じ「アーン アーン」という声で応え、急ぎ足でゆさゆさ身体を左右に揺らしながらやって来る。時には走り始めることすらある! ロンラルのところまで来ると、彼らは彼の顔を見遣りながら佇ちつくす、あたかもこう問い質すかのように
―― どうして呼んだんだ、いったい?
ロンラルは、二頭の頬を両掌で一つずつぴしゃりと叩き、おまえらの腹が、火で燃えちまえばいいんだが! 草食うのに夢中になって、外国にでも行くつもりか? この周りを離れるんじゃない!
二頭の水牛は、もう動くことなくそこに横たわると、目を閉じて反芻する。時には川の水に喉まで浸かったまま川底にすわっている。ロンラルが呼ぶと水を滴らせて陸に上がってくる。
鋤入れの時には、彼は巨大な鋤を力いっぱい土中に押し込む。カラパハルとクンボコルノはやすやすとそれを曳きながら進み、その後を巨大な土の塊が両側に転げ落ちる。肘を入れても届かない深さまで土を耕す。巨大な牛車の上に、平屋の屋根と同じ高さにまで稲束を積み上げる。人びとは驚きに目を見張り、ロンラルはそれを見て笑う。
ときおり、カラパハルとクンボコルノをめぐって、のっぴきならぬ事態に至ることもある。二頭の間にどんな意見の相違が起きたのか ―― そんな日には、二頭は戦場の阿修羅のように向き合って立ち、怒りに胴体を脹らませる。頭を下げ、それぞれの角を上に向けて、両の前肢を地面に打ちつけ始める。そしてその後すぐに闘いが始まる。こうなると、ひとりロンラルを除き、誰もこの二頭の間に行く勇気はない。ロンラルは、巨大な竹の棒を手に、恐れ気もなく彼らの間に立ち塞がると、両者を容赦なく叩き始める。殴打されるのを恐れ、二頭とも身を退いて立ち竦む。そんな日には、ロンラルは二頭に罰を与えるため、別々の牛舎に閉じ込めて食餌を与えない。そうしてから別々に彼らに水を浴びさせ、腹一杯の餌を与え、そうしてようやく二頭を一緒にする。と同時にいろいろな教訓を与える。このおバカさん! 喧嘩なんかするもんじゃないぞ! 二人一緒に仲良くするんだ ...... わかったな!
さて、こうして三年あまり経ったある日、突然、大きな災いが降りかかった。時は夏、ロンラルは川縁の灌木に囲まれた庵のような茂みの中、くつろいだ眠りを貪っていた。カラパハルとクンボコルノはほど近い場所で草を食んでいた。不意にハアハア言う異様な息の音に眠りが破れ、目を開くと、ロンラルの血は凍り付いた。深い灌木の茂みの入口で、一匹の豹が、兇暴な目つきで凝っと彼を見据えていたのだ。貪婪な欲望にその歯を剝き出しにしていた。ハアハア息を吐きながら、今にも襲いかかりそうに見えた。ロンラルは臆病者ではない。以前に何度か、自分から豹狩りに加わったことがある。彼にはよくわかった
―― 豹が中に入るのをためらっていたのは、ひとえに入り口が狭いせいなのだ。さもなければ、豹は睡眠中に彼を襲っていたことだろう。彼は素早く這いつくばり反対方向に身を退くと、茂みの真ん中にある巨大な木の蔭に隠れて声を上げた、アーン アーン アーン!
即座に返事が来た、アーン アーン アーン!
豹はギクリとして茂みの入り口から身を退くと、四方に怯んだまなざしを投げ、カラパハルとクンボコルノが彼めがけて近づいて来るのを見た。豹も歯を剝き出しにして唸り声を上げ始めた。ロンラルの目に映ったのは、カラパハルとクンボコルノの異様な形相である! 彼らのこんな凄まじい姿を、彼は今まで見たことがなかった。彼らは徐々に互いから離れて別々の方向に進んでいた。数瞬のうちに一方にカラパハル、もう一方にクンボコルノに挟まれ、豹は浮き足立った。自分が危地に陥っていることを悟ったのだ。小柄だがそれでも豹は豹である。おそらく我慢できなくなったのだろう、豹は突然一跳びしすると、クンボコルノの上に身を投げた。次の瞬間、カラパハルがその上向きの角で豹を攻め立てた。角の一撃を浴びて豹はクンボコルノの背から吹き飛び、遠くに落ちた。傷ついたクンボコルノは、気が狂ったように頭を下げ、角を振り立て、豹の上に跳びかかった。クンボコルノの二本の角は、恐ろしく鋭利な上ほとんど曲がっていない。その一本が豹の腹にまっすぐ突き刺さり、豹をあたかもはりつけたかのようになった。死の苦しみに悶えながら、豹も必死に牙を剝きその肩にかぶりついた。向こうからはカラパハルも近づいて来て、豹目がけて角の攻撃を浴びせ始めた。すでに茂みの中から出ていたロンラルも、激情に駆られ、手にした竹棒をしゃにむに振り回し始めていた。間もなく闘う二頭の獣はともに地面に崩れ落ちた。豹はまだ生きてはいたがすでに虫の息で、一二度体を痙攣させるのみだった。クンボコルノは倒れたままひたすら喘ぎ続け、そのまなざしはロンラルの方を向いていた。目からはドクドク涙がこぼれ落ちている。
ロンラルは子供のように泣き始めた。
カラパハルをめぐって難題が持ち上がった。彼は、ひっきりなしに、「アーン アーン」と叫び声を上げては泣くのである。
ロンラルは言う、こいつは、連れ合いなしにはいられないんだよ。今度の市で、一頭買ってやらないと。
市に行くと、彼はあれこれ見て回った挙げ句、高い金を出して、カラパハルの連れとなる水牛を買った。大きな出費となった。この一頭のために150ルピーも払ったのだ。それでもカラパハルに釣り合う相手とは言えなかった。だがこの水牛はまだ若い。もっと成長して、一、二年も経てば、カラパハルと肩を並べることになるだろうと思われた。今はやっと、四本の歯が生えそろったばかりである。
カラパハルはだが、その水牛を見ただけで怒り狂った。角を下げると前肢で地面を堀り始めた。ロンラルは慌ててカラパハルを遠ざけ、杭に縛りつけて言った、こいつが気に入らないだと? ダメだ、そんなことは。いいか、こいつに手を出しでもしたら、おまえを叩きのめしてやるからな!
新しい水牛の方も杭に縛りつけ飼い葉を与えると、彼は家の中に入って妻に言った、カラパハルのやつ、新しい連れ合いを見て、怒り狂ってやがる。まったく、手に負えねえ!
ジョショダの母は言う、まあ、可哀想に。クンボコルノのことを忘れられないのね? ずーっと昔から、仲良しだったんですもの。 こう言うと、夫の方を見てクスリと笑いこぼした。
ロンラルも笑い返した。左右を見渡してから、彼は囁くように言った、おまえとおれ、みたいだな!
バカね、あんた、変なこと言うもんじゃないわよ! あの二頭は男友達でしょ!
それもそうだな! ロンラルはその言い分を受け入れながらも、嬉しさを隠し切れなかった。そして言った、さあさあ、行こうぜ、水、油に、辰砂とウコンを持って。
まさにこの時だった。家の牛飼いが駆けつけて来て言った、おおい旦那様、急いで来てくだせえ! カラパハルが、新しいやつを殺っちまったんで!
何だと? 縛りつけておいたじゃないか!
ロンラルは外に駈け出した。牛飼いはその後を追いながら言った、杭を引きちぎっちまったんで、旦那! そしてものすげえうなり声をあげて! 今頃は、多分もう、殺っちまってるにちげえねえ!
ロンラルが到着して見ると、牛飼いの言葉に、一点の誇張もなかったのがわかった。縄ごと杭を根こそぎにすると、カラパハルは、手のつけられない怒りに任せて、新来の水牛を攻撃し打ちのめしていた。新来の水牛はただでさえカラパハルより弱く、まだ仔牛と言ってもいい年齢である。その上縛られた状態ではまったくなすすべとてなく、その場に倒れたまま哀れな悲鳴を上げるばかりだった。ロンラルは棒で叩き始めたが、カラパハルは見向きもせず、容赦なく新来の水牛を攻撃していた。さんざん苦労してカラパハルを何とか抑え込んだ時には、新来の水牛はすでに虫の息だった。ロンラルは頭を抱えてしゃがみ込んだ。
ジョショダは言った、やつをもう、家に置くわけにはいかないさ。売っちまいなよ。別の相方を連れて来たって、やつはまた打ちのめすに決まっている。すっかりのぼせ上がっているからな。
ロンラルは返事する力もなく、黙り込んで思案に暮れた ―― ジョショダの言葉には反論しようがない。カラパハルがのぼせ上がっているのは、まったくその通りだ。水牛が一度のぼせると静まることはなく、むしろますます荒んでくるのが常だ。だがそれでも、彼の目には涙が溢れてくる。
数日経ち、例の牛飼いが来て言った、旦那、もう、とっても仕事にならねえ。カラパハルのやつ、ハアハアすげえ勢いで息を吐くんで。いつおれを殺しに来るか、気が気じゃねえです。
ロンラルは言う、バカなこと言うな! 息を吐くのは、水牛の習いだろうが。どれ、一緒に来い! おれが見てやる!
ロンラルはカラパハルに近づいて、その傍らに佇んだ。カラパハルは血走った目でロンラルの方を見やり、頭をもたげてロンラルの膝の上に載せた。ロンラルは、深い愛情をこめて彼の頭を指で掻き回し始めた。
だが、ロンラルがいつもカラパハルの側にいて宥めすかしているわけにはいかない。他の誰かが行くと、カラパハルはその荒んだ本性を露わにする。時には頭をもたげて叫び始める
―― アーン アーン アーン!
彼は頭をもたげ、クンボコルノを捜す。縄を引きちぎり、呼び声を上げながら、あの川縁に向かって姿を消す。ロンラル以外の誰かが連れ戻そうとすると、頑として動こうとしない。
先日はまた、仔牛を一頭殺してしまった。この仔牛と彼ら二頭の間には、睦まじいと言ってもいい関係が築かれていた。クンボコルノとカラパハルが満腹になって反芻している時、仔牛はやって来て、彼らの飼い葉桶から飼い葉を食べて行ったのだ。まだほんの幼い頃には、まったく頑是無い者のように、長いこと彼らの腹の下に潜って母牛の乳首を探したものだ。だがその日、カラパハルは機嫌を損ねていた。仔牛が飼い葉を食べるためにやって来て、彼の頭越しに首を差し伸べた。カラパハルは激怒して、仔牛を角で攻めたて、追いやったのだ。
ジョショダはロンラルの対応を待たなかった。彼は仲買人を呼ぶとカラパハルを売り払った。破格の安値で売らざるを得なかった。
仲買人は言った、60ルピーでもおれの損になるだろうよ。こんな血ののぼった水牛に、買い手がつくかね、旦那?
ジョショダは、さんざん談判した末、ようやくもう5ルピーだけ売り値を上げることができた。仲買人はカラパハルを連れて去った。
ロンラルは黙って地面の方を見つめながらすわっていた。
アーン アーン アーン!
ロンラルがなお黙り込んですわっていた時だ、「アーン アーン」という声が耳に入り、ハッとした。 カラパハルじゃねえか! カラパハルが戻って来たのだ。ロンラルは駈け寄って彼の傍らに立った。カラパハルはその膝に頭を載せた。
仲買人が来て言った、金を返してくだせえ、旦那。この水牛を買うのは、やめだ。まったく、とんでもねえタマだ! 命がいくつあっても足りませんぜ、旦那!
彼の話では、カラパハルは、しばらくはおとなしく進んでいたが、そのあと急に根が生えたように立ち竦んだ。誰がどうしようと、一歩も動こうとしない!
仲買人は続ける、竹棒でも振り上げようものなら ...... いやもう、その目つきの恐ろしいことときたら! そのあと、すげえ勢いで追いかけて来るんで、おれは1キロも走りづめで、何とか命拾いした、というわけで。そうしてからやつは、自分でここに戻って来たんです、まったく、ものすげえ勢いで走って。金を返してくだせえ、旦那。
彼は払った金を取り戻すと去って行った。
ジョショダは言った、こうなったら、市に連れて行くしかないな。
ロンラルは言う、わしにはできないよ。
父さんの他に、いったい誰が連れて行けるんだよ?
やむなく、ロンラル自身が曳いて行くことになった。その途次、彼はさんざん泣き暮れた。彼がカラパハルを買ったのはこの市だったのだ。
だが、浮き浮きした様子で彼は戻って来た。カラパハルに買い手がつかなかったのだ。例の仲買人が、その市でさんざん悪口を触れ回ったので、彼には誰一人、近寄りさえしなかったのだ。
ジョショダは言った、じゃあ、この次の市に連れて行けよ。あの市だったら、この辺の仲買人はあまり行かないからな。
ロンラルは、結局行かざるを得ない。ジョショダは読み書きのできる、稼ぎのある息子だ。成長した彼の言葉に、ロンラルは異を唱えることができない。それに、カラパハルを飼いおくことを強く主張することもできない。大きな損害を被ったのだ! 買値が150ルピー、仔牛を殺した贖罪の儀式のために7〜8ルピー。この一ヵ月農作業が途絶えているが、その損失は計算外である。
市では、仲買人の一人が、カラパハルを見て非常な熱意を見せ、買い取った。ある大地主が、ちょうどこんな水牛を一頭、求めていたのだ。買値も悪くなかった。105ルピーである。
ロンラルは言った、おい兄弟、この水牛、おれにすっかりなついて、離れようとしないんだ。ここでこうやって縛りつけている間に、おれはいなくなるからな。その後、おまえたちで連れて行ってくれ。さもないと、騒いで暴れまくるかも知れねえ。
彼の目からは涙が流れていた。仲買人は笑って言った、よし、わかった。じゃあ、こうして縛っておくから、おまえはさっさと行きな。
ロンラルは、急ぎ歩を進め、そのまままっすぐ町の駅に行くと汽車に乗り込んだ。歩いて帰るだけの力がなかったのだ。
しばらくして、仲買人はカラパハルの綱を手に持ち、強く引いた。カラパハルは彼の方を見やり、ハッとして四方を見渡し、声を上げた、アーン アーン アーン!
彼はロンラルを捜していたのだ。 どこだ? ロンラルはどこだ?
仲買人は、竹棒で軽く叩きながら急かせた、さあ、行くんだ!
カラパハルは再び声を上げた、アーン アーン アーン!
彼はその場に釘付けになった。頑として動こうとしない。
仲買人はもう一度彼を叩いた。カラパハルは気が狂ったように、あたりにロンラルを捜している。 どこだ、ロンラルはどこだ? いない、どこにもいないじゃないか!
カラパハルは、凄まじい勢いで、仲買人の手から首を縛る縄を引き剥がし、駈けた。
この道だ! この道を通って彼らはここに来たのだ。彼は一目散に駈けた、そして必死に呼び続けた、アーン アーン アーン!
仲買人は人を何人か集め、カラパハルの行く手を遮ろうとした。だが荒れ狂うカラパハルは、背に浴びせる竹棒の嵐をものともせず、正面の人を角で引っかけ虚空に投げ飛ばすと、遮るもののない道を血眼になって駈けた。
だが何てことだ! 目の前には見たこともない世界が!
大通りの両側には店が列をなして並び、人びとが群がっている! 何だ、あれは!
馬車が一台、こちらを目指してやって来る。カラパハルは恐怖に駆られ、脇道に逸れて駈けた。
道では人びとが騒ぎ立てている。 誰の水牛だ? 誰のだ? 何て図体だ! 途方もない音を立てて!
自動車が一台やって来た。カラパハルは完全に我を失った。その心の目に映るのは自分の家、声を限りにロンラルを呼び続ける。パーンを売る露店を一軒、木っ端微塵にすると、再び反対方向に向きを変えた。
人びとは身の危険を感じて逃げ惑う。カラパハルもまた、身の危険を感じて走り回る。見る見るうちに二人が傷を負った。カラパハルは駈ける、そしてロンラルを呼ぶ、アーン アーン アーン! だが、どうしたことだ! こんなにぐるぐる回り続けて、いったいどこに行き着くと言うのか? どこに家が? どれだけ遠くに?
またあの途方もない音! あの見たこともない動物! 今度は彼は、怒りにまかせ、相手と闘うために毅然として立ち止まった。
自動車も彼を捜していた。白人警視の車である。気が狂った水牛の知らせが届いていたのだ。
車も止まった。カラパハルは、威風堂々と前に進み始める。 ―― だが、その前に、高い、非情な音が鳴り響く。カラパハルは何もわからなかった。ただ耐え難い、凄まじい痛みが走った
―― ほんの一瞬のことである。そのあと彼は、ゆらゆらと体を揺らしながら、地面に転げ込んだ。
白人警視はリボルバーを鞘に戻すと、同乗していた巡査を車から降ろした。そして言った、ドームの連中を呼んで来い!